第三十八回春の研修旅行―京都の国宝と文化財を訪ねるー研修旅行に参加して
   1号車:常任幹事・多田町 小村一郎 氏       綾部の文化財へ
 
昨秋の「古都奈良」への研修旅行には、病のため参加できず大変残念な思いをした。今回も体調に問題があり心配したが、何とか参加することが出来た。朝六時四十五分集合は厳しかったが、顔なじみの皆さんの顔をみて参加できる喜びをしみじみと感じた。
 定刻、無事出発し、用意していただいたビデオで予備知識をしこみながら、又はずむ話でお互いの親睦を深めあう中に、東寺へ着いた。早速、五重塔をバックに記念撮影の後、京都スカイ観光ガイドさんの懇切な説明に導かれて広い寺域内を見学してまわった。
 東寺の塔は日本一高い五重塔であるとか、最上層から最下層まで各層の大きさが殆んど変わらないという珍しい特徴を持っているとか、話を聞きながら見上げる塔はいかにも美しく、力強く感じられた。金堂は桃山時代を代表する豪壮で、もこし(裳層)の正面が一部高く切り上げられ破風(はふう)がつけられているのは、大仏殿(天竺様と云う)によく似ておりいかめしささえ感じた。正面扉の上に開き窓があるのは、庶民が遠くから仏を拝するためのものであるとのこと、仏教が貴族のものであった当時の社会の姿を考えさせられた。全国至る所にあるお大師さんの姿や、庶民を救おうとされたという伝説との間に大きなへだたりが感じられるが、これはどういうことなのだろうと、ふと思った。講堂においては、堂内に配置された二十一体の仏像群の素晴らしさに目を見張った。密教宇宙界を表現する立体曼荼羅といわれるが、その仏像がすべて国宝・重文である。宇宙の真理の体現とされる大日如来を中心に、如来、菩薩、明王諸天が整然と並ぶ姿に、荘厳さと共に理知的なものを感じた。優れた理論家であったと言われる、弘法大師の構成されたものであるせいであろうか。更に進んで大師堂を参観した。
 大師の住房であったと言うここは、一転して優雅さを感じさせる場であった。 ガイドさんの説明によれば寝殿造りの貴重な国宝であるとのこと、今迄見学して来た堂々たる仏殿、仏像の世界と異なるくつろぎを覚える世界であった。 弘法大師の芸術家空海としての一面をあらわすものと言えようか。

東寺の日本一高い国宝・五重塔をバックに1号車

 アミタ本店での、楽しい昼食やショッピングのひとときの後、上賀茂神社へ向かった。鳥居から神殿まで広々とした芝生の中の道を、何か和らぎを感じながら歩いた。国宝の本殿・権殿の特別参拝が出来るということであったが、丁度、「紀州梅献上行列」及び「献上儀式」にぶつかり、大きく予定が狂ってあわただしい参観になってしまった。しかし珍しい古式豊かな行列を見学し、普段は絶対に入れない内庭に入り、献上儀式の様子を垣間みることが出来たのは収穫であった。
 参拝が終わる頃、急に雷鳴が聞こえ好天気と思われた空から少し雨も降って来た。別雷大神の感応があったかと話しながらバスに急いだ。

 下鴨神社では、二十年毎に式年遷宮があったことに驚いた。遷宮のあるのは伊勢神宮だけと思っていたのである。もっとも現代では大修理をもって遷宮としているとのことであった。大都会の中とは思えぬ「糺の森(ただすのもり)」の静けさを賞でながら歩き、やぶさめ神事の行われる広い広場を見て、その勇壮な姿を偲んだりした。その中でならの小川の話を聞いた。
  風そよぐならの小川の夕ぐれは
   みそぎぞ夏のしるしなりける   
百人一首のなかのなじみ深いうたであるが、上賀茂神社の夏越祓を詠ったものと聞いて、「ならの小川」を「奈良の小川」と思いこんで奈良の夏の情景と思っていた不明を恥ずかしく思った。鴨長明の寓居「方丈(復原のもの)」を見学して方丈記を、更に受験の頃を思い出すなど、実りの多い見学であった。
勉強することの多い一日であったが、中でも特に印象に残ったことをまとまりなく列記し、感想文に替えさせていただくことにしたい。