世界文化遺産:京都の国宝を訪ねて 東寺・上賀茂神社・下鴨神社     綾部の文化財HPへ
第三十八回春の研修旅行 「綾部市文化協会後援」 事務局 四方續夫

見学箇所についての概略とコースのご紹介
 「京都」とは本来「都」をさす普通名詞であるが、平安時代後期に至って固有名詞となった。平安京の地は三方を山に囲まれて河川が南流したことから「山河襟帯(きんたい)自ら城をなす」とされ、それまで「(やましろ」国とよばれていたのを、この地より南方は「山城(やましろ)」と改められました。又、京都は(ししん)相応の地ともいわれた。四神とは天の四方の方角をつかさどる神で、「東に清竜、西に白虎、南に朱雀、北に玄武」が存在することであり、それが相応するのは、地上で最良の地勢を意味します。
 帝都として京都の最盛期は平安時代であり、その中期から衰退の兆しがみえる。その頃から「京都」のほかに京洛・洛陽などの呼称も生まれた。幕府が鎌倉・江戸に移って政治の中心は京都を離れるが、なお隠然たる勢力を持ち、経済、特に文化上は日本の中心であり続けた。
 京都の歴史を語ることは、日本の歴史を語ることだといわれるゆえんであります。又、国指定の国宝の数も、都府県では京都府が一番多く、254件もありますが、北海道にはまったくないのが実情です。

午前、九時半頃東寺の駐車場に到着です。ボランテァ・ガイドさんが待っておられますが、先ず手洗いを済ませ、見学開始です。見学途中、国宝・五重塔をバックに号車毎に記念写真を予定していますのでご協力をお願いします。

世界文化遺産登録東寺教王護国寺(こんこうみょうしてんおうきょうおうごこくじ古義真言宗東寺派総本山

東寺南大門と国宝・五重塔

概略(身は高野、心は東寺におさめおく) 延暦十三年(七九四)桓武天皇は、動乱の中に奈良から長岡京を経て、平安京へと都を遷され、羅城門の東西にそれぞれ大寺を置かれました。現在の京都は御所を始めとして大部分が東方へずれてしまっていますが、東寺はもとの場所にそのまま残っていて一級史蹟に指定されています。東寺は左寺ともいわれていますが、本格的に活動を始めたのは弘法大師の造営以後であります。
 このお寺にはアショーカ王(インド)以来の伝統に従って、仏法によって国の平和が護られ、その光が世界の隅々にまでいきわたるようにということと、それぞれの思想が共に侵さず共存していく原理を見出し伝え、共々に力を合わせ実現されていくようにとの大師の願いが込められています。
 東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置されています。塀で区別さえた境内はそのまま曼荼羅であり密厳浄土であります。我々はそこから様々な眼メッセージを汲み取ることができます。大師はまた高野山を自らの修禅の場として開かれ、そこで得られた智慧を利他行として東寺で実践されました。生老病死に代表される衆生の苦悩の解決法とその生活への表現が大師の一生でありました。

 大師は祈りなき行動は妄動であり、行動なき祈は妄想であるとの信念から、水なき所に池を掘り、橋なき所に橋をかけ、道なき所に道をつけ、食の乏しき者には食を得る方法を教え、病む者のために良医となられたのです。弘法さんは」毎月二十一日、大師の命日に催される京の風物詩。
 境内には千軒以上の露店が並び、二十万人以上の人出でにぎわいます。

 東寺は平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を消失しましたが、その都度、一般の民衆の信仰によりもとの姿に再建され、とくに五重塔は古都の玄関の象徴として昔の姿をそのままに伝えております。又、大師の遺品をはじめとする、国宝・重要文化財は数多く、国民の宝です。(参拝見学時間は九時三十分〜十一時二十分出発を予定しております。)参拝・見学する度に新しき物等が必ず見つかります

主なる見学箇所は、@五重塔、A南大門 B金堂C講堂D食堂E大師堂です。残念ながら、「宝物館」は閉鎖中です。

「拝観入場箇所」から、美しい庭園を歩き、「瓢箪池」や「経蔵跡」を見ながら五重の塔へ向かいます。

五重の塔(国宝・江戸時代)
 寛永二一年(1644)の再建で京都のシンボルとなっている。和様で現存する五重塔では最も高く56メートル。古式を残し、八方の板壁に真言八祖像、扉に護法八天などが極彩色で描かれている。

南大門(国重文・桃山時代)
 この南大門は内側から見学するわけですが、三十三間堂(国宝)の西門を移したもので、切妻造本瓦葺きです。

金堂(国宝)
 南大門の正面にあり、堂々たる大建築で桃山時代の仏堂を代表するものです。大仏様式をとり入れ 内部は一部禅宗様式である。基壇・礎石・仏壇の位置や大きさは当初そのままである。堂内の木造薬師三尊(国重文)は、薬師如来の頭部から発見された願文により慶長八(1603)年仏師康正の作で、醍醐三宝院の長者(ぎえん)大僧正が豊臣秀頼の武運長久、淀君と北政所の安息を願い、豊国大明神の法楽を祈って入魂(じっこん)したものであることがわかった。

講堂(国重文・室町時代)
 金堂北のこの講堂は密教の理想をあらわすものとして、堂内の諸仏の配置は仁王護国曼荼羅(にんのうごこくきょうまんだらの形式による。
 中央に五仏、向かって右に五大菩薩(中尊を除く四体が国宝)、左に「五大明王」両端に「梵天」と「帝釈天」、四隅に「四天王」(いずれも国宝)を置く。承和六(八三九)年に講堂の諸仏開眼が行われており、その当時の造像と考えられ、わが国最古の本格的密教彫像であり、これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅です。

食堂(じきどう)は、もと衆僧が食事をしたところである。内部には千手(せんじゅ)観音・地蔵菩薩・聖僧文殊」の各木像はいずれも国重文・平安時代作です。

大師堂(西院御影堂、国宝・室町時代)
 食堂の左手側にあり、弘法大師空海の住房といわれ、桧皮葺(ひわだぶき)(しとみど)や妻戸の建具などが古式を伝える。靴を脱ぎ、奥間に入ると、木造不動明王坐像(国宝・平安時代)を安置するので「不動堂」ともいう。

 この仏像は「秘仏」で拝観出来ないが、天蓋(てんがい)(国宝)の保存状況も当初のままと言われている。又、北間の木造弘法大師像(国宝・鎌倉時代)は運慶の第四子・(こうしょう)の作で、弘法大師像としては最古のもので、ほかの大師像の見本とされている。

昼食「アミタ本店」にて時間:十二時から十二時五十分発)住所:京都市左京区岡崎平安神宮北 電話:075−76−7000
おてがるな京料理をお楽しみ頂きます。京都のお土産全てここで販売しておりますので、お土産はここで購入をお勧めします。お土産は一階から三階。トイレは三階から五階にあります。

世界文化遺産登録 上賀茂神社(賀茂神社(かもわけいかづちじんじゃ) 山城国一ノ宮・厄除明神 (午後一時二十分から二時十五分の出発です。バスは降りた所と別な駐車場で待っています。ガイドさんが案内しますがご注意下さい。又、神社正面で号車毎に記念写真を予定していますのでご協力をお願いします。)

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

御祭神 賀茂別雷大神
御神徳
*厄 除 (いかづち)の御神威により、厄を祓い災難を除き給う厄除明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されている。
(ほうよけ) 桓武天皇の御代に都が京都に移されて以来、皇城鎮守の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、今日も建築関係等の方除祈願が多い。
御柚諸
 神代の昔、本社の北々西にある秀峰神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営された。本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大事には必ず奉幣、御祈願があった。嵯峨天皇は杖代(みつえしろ)として皇女智子(うちこ)内親王をと定め、その制度は以来三十五代、約四百年続いた。「延喜式」では明神大社に列し、のち山城国一ノ宮として尊崇せられた。 

摂関賀茂詣、武家社参相次ぎ、特に徳川家は家紋の三つ葉葵が、当神社の二葉葵に関係があるところから特別の信心を寄せた。明治以後終戦まで、官幣大社として伊勢神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。
 又、五月十五日の「賀茂祭(葵祭り)」は欽明天皇(六世紀)のときに凶作が続いて、賀茂神のたたりを鎮めるため始まったといわれる。現在では午前京都御所を出発、下鴨神社で祭儀を行った後、午後に当社に到着。勅旨の御祭文上奏、(ひきうま)東遊(あずまあそび)、走馬等の儀式が古儀のまま約二時間行われる。(詳細については研修旅行参加者には別途お渡しします。)

 その他年間を通じ、多くの祭祀があります。当社の特別なご好意で本殿・(ごん)殿(でん)(ともに国宝)を号車毎に特別参拝本殿権殿取合廊・本殿東渡廊取合廊ともに国重文)は文久三(1863)年の造営です。そのほか、東渡廊・北神饌(しんせん)所(神様に御供えものをする所)・舞殿(この前にある二つの立砂が珍しい)・塀中門・西渡廊・透廊・渡廊・祝詞舎・四脚中門・御籍屋・神宝庫・唐門・東御供所・直会所・楽所・西御供物所・幣殿・忌子殿・幣殿忌子殿取合廊・高倉殿・楼門・廻廊・土屋(到着殿)・拝殿(細殿)・外幣殿・楽屋・摂社若宮神社本殿・摂社新宮神社本殿及び拝殿・摂社片岡神社本殿及び拝殿・片岡橋は寛永五年(1628)年の造営でいずれも国重文です。又、御物忌(みものい)川と御手洗(みたらし)川が合流し、ならの小川となりそれに沿って、奈良社等を見ていきますと、川は神社の南の「社家町」をめぐります。この地域一帯は「京都市上賀茂伝統的建造物群保存地区」に国から指定されております。出発は駐車場を午後二時十五分です。手洗いを済ませ、時間厳守でお願いします。

鴨長明で有名な河合神社

 午後二時三十分頃「下鴨神社」のバス参道に入り、かの有名な「方丈記」を書いた鴨長明(かものちょうめい)ここの社家の出身)の関係深い摂社「河合神社」を参拝し、高野川と賀茂川の合流する間の広大な森は国指定史跡「(ただすのもり)」でこの道を約二百メートルほどの散策を楽しみながら下鴨神社へむかいます。

世界文化遺産登録 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)(下鴨神社)(午後二時三十五分〜出発三時四十五分です。号車毎に記念写真を予定しておりますので、ご協力をお願いします。)

下鴨神社(賀茂御祖神社)

御祭神
賀茂身命(かもたけつぬのみこと)(西殿・国宝)
開運・災厄守護・大願成就の神
(たまよりひめのみこと)(東殿・国宝)  水徳・縁結び・安産育児の守護神

御由緒
 下鴨神社は「延喜式」神名帳の名神大社で、正式には賀茂御祖神社といいます。上賀茂神社と下鴨神社は両社をあわせて賀茂社と総称されていた。祭神は「建角命」とその娘、「玉依(たまよりひめ)で、上賀茂神社の祭神「別雷命」はその子にあたる。「山城国風土記」逸文によると、賀茂社は平安遷都以前からこの地を本拠とした賀茂氏の氏神で、建角身命が大和の葛木山から久我の国の北山基(きたのやまもと)(京都市北部)に移ったが、娘の玉依日唐ェ瀬見の小川(賀茂川)で川遊びをしているときに塗りの矢が流れ着き、床においたところ懐妊して別雷命が生まれたという。

 朝廷や幕府との関係が深まったのは、上賀茂神社で説明した通りですが、桓武天皇が賀茂社を大同二(807)年正一位とし、伊勢神宮についでの地位を与えられ、伊勢神宮と同様、(さいおう)(神に奉仕する未婚の皇女)がおかれた。
伊勢神宮の宮と呼ぶのに対し、賀茂神社の場合は院という。現在の社殿の配置は、の居所である院と神宮寺がなくなったのを除くとほぼ平安時代末期のものと一致する。下鴨神社では平安時代から二十年に一度の式年遷宮がおこなわれていた。戦国時代に一時絶えていたが、江戸時代の寛永六(1629)年から三十年に一度の本殿の式年遷宮が八回実施され、現在の
本殿(国宝)は文久三(1863)年のもので、西殿・東殿どちらも三間社流造・桧皮葺で、千木(ちぎ)(かつおぎ)を伴っていない。そのほかの社殿二十九は国重文でほとんど1629年のものである。今回は世界文化遺産登録を記念して非公開であった、大炊殿(おおいどの)(大炊所とも呼ばれ、神饌(御供えもの)を調理する社殿で寛永五年(1624・江戸前期)の造替。御井(おい)は同様に寛永五年の造替えで井戸屋、井戸屋形といいます。

葵の庭(カリンの庭)」はカリンの古木が有名でカリンの庭とも呼ばれている。以上三箇所を特別参拝・見学いたします。

最終出発時間は午後三時四十五分です。バスは降りたところ違いすぐ近くの駐車場で待っていますので時間厳守ここのトイレで必ず済ませご乗車願いします。

参考文献:「京都府の歴史散歩 山川出版社発行」

「綾部市文化協会後援」 第三十八回春の研修旅行参加の案内

今回の研修旅行は、「世界文化遺産登録・京都の国宝を訪ねて」と称し、久しぶりに日帰りで京都を訪れます。ご家族・ご友人をお誘いご参加下さい。

一、期日 平成18年6月6日(火)
二、集合場所・時間 JR綾部駅北口  午前6時45五分(時間厳守)
三、見学箇所  東寺・上賀茂神社・下鴨神社とその摂社河合神社
四、参加費 お一人9,000円(バス代、昼食代、心付、拝観料、手作り記念写真代を含みます。)
五、募集定員 90名(京都交通貸切大型バス2台予定)
六、申込方法 5月17日(水)までに参加者全員の〒番号・住所・氏名・電話番号を記入し、葉書にて申し込み下さい。電話での申し込みはお断りします。
七、申込先 〒623−0004
八、受付と出発案内は葉書にてお知らせします。尚、この「会報六二号」を持参し、ご参加をお願いします。 綾部市多田町後路二八 四方續夫宛

行程表
綾部駅北口==山家バス停==丹波町経由==京都縦貫道==南丹PA==東寺(教王護国寺)===午前7時出発  7:05  (休憩)    9;30〜11:20==左京区「アミタ本店」(昼食)===上賀茂神社(拝観)・社家町====摂社「河合神社」参拝・・・・・・・・12:00〜12:50     13: 20 (国宝本殿・権殿特別参拝)14:15  14:35〜(徒歩で「礼の森」・・・下鴨神社(大炊殿特別参観)==京都縦貫道==丹波町・やまがた屋(休憩)==山家バス停===の散策を楽しみながら本社へ)15:45出発(時間厳守)  17:15〜17:30      1800頃==綾部駅(頃)到着  18:10