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豪商稲葉本家(久美浜)(平成十五年一月・国登録有形文化財)
当家は平成13年、十四代当主にあたる稲葉昭次氏から土地を買収、家財・文書を含む建物を提供頂き「豪商稲葉本家」として開館したものである。当家初代・喜兵衛は「織田信長の家臣団、美濃三人衆の一人稲葉一鉄の分家の次男として生まれたが武田信玄に抗して敗れこの地に移り住んだ」と言われているが正確にはわからない。推測では約四百年前、美濃国(岐阜県)又は信濃国(長野県)からこの地に住んだものと思われる。
 初代喜兵衛の代から家業は代々「糀屋」(米、麦、大豆、糠などで酒、醤油等を作る)で六代目から藩の御用達とともに沿岸交易により財を成した。七代(これより市郎右衛門を名乗る)八代から付近諸藩の金融を一手に引き受ける豪商となり、代々付近を買い取り現在の屋敷となったのは八代目市郎右衛門代の寛政六年(1794)である。
@主屋(国登録有形文化財)
 
この住宅を建てたのは十二代市郎右衛門である。当家は長年火災等にあわなかった為不便となり、明治十年に今までの家屋を取り払い、明治十八年(1885)から五年の歳月をかけ新築されたものである。
 稲葉家住宅の規模は大きく、部材もの柱を多用し、松材の太い榛を井桁状に組み上げて豪壮な木組みを示し、上質かつ堅牢な構造形式となっている。最大の見所は当家の家柄と経済力が象徴される土間と居間による一体的な吹き抜けの大空間構成である
A奥座敷「吟松舎
 奥座敷は文政年間(1818〜1829)十代市郎右衛門の時建築され、浜別荘として当家北側にあったものを移築したといわれている。ここには、大名も泊まり、久美浜代官、県知事もしばし訪れ、慶応四年正月には山陰道鎮撫総督西園寺公望の本陣ともなった由緒ある建物である。
B長屋門雛御門}(国登録有形文化財)

 
平入桟瓦葺き切妻造りの二階建てで、桁行9.4m、梁行3.9m(約二間)。屋根の両妻側には、格式的な外観要素として、但馬地方の伝統的な町家にある「卯建」をあげている。表側の外観に変化を与えるため、二階部の表側に約一尺ほど迫り出しているのが特徴。

宝蔵土蔵
 南宝蔵と北宝蔵は国登録有形文化財である。主屋から廊下で接続された宝蔵はよく保存されている。この蔵は宝蔵(tからぐら)とも呼ばれ、久美浜代官所の「金びつ」があったとされる。2階建てで廊下には畳が敷いてあり、その下の床板の一部を開けると銅の金びつ(今で言う金庫)があり、大部分は土中に埋められ、この金びつを護るため夜間2人の不寝番がついていたと言われている。他の3棟の土蔵も母屋と同時期に建築されたものと推測されるが、文化財登録されたものは主屋に続く蔵2棟である。
その他
 
稲葉家と「ぼたもち」の歴史は古く、久美浜縣誕生を記念して地域の人々に「ぼたもち」をくばったとか
稲葉本家主屋(国登録有形文化財) 稲葉本家入口 十四代当主 稲葉昭次氏銅像
入り口でガイドさんの説明 帳場と台所の間の通路 大福帳のかかる帳場
帳場に上がる 几帳(冬の屏風岩)を見る 奥座敷 吟松舎
宝蔵見学 船印 ぼた餅のへっつい
庭園 灯籠のある中庭 紅葉の美しい奥の庭園
如意寺 関西花の寺二十五ヶ所・第七番札所 宝珠山・日切不動尊
如意寺縁起
 天平年間、行基菩薩が当地来訪のおり、山上より火がでて海に入り、また山に昇るのを見て、海士に頼んで網を入れたところ、過去七仏の如意宝珠の舎利塔を得た。そこで、ここに伽藍を建立したのが当山の開基。

 鎌倉時代には伏見天皇(1278〜1288)より勅額を賜るなど、以後、寺領五百石、塔頭十二坊を有し、真言密教の道場、又萬人帰依の中心として参拝者常に絶えず今日に至る
 現在も初詣や千日会、厄除などのご祈祷、また、年間約五百種の花が咲く「四季折々の花と花説法の寺」として知られる。
 境内はすぐ門前に久見浜湾が広がる景勝地で、周囲には温泉などもある。

ご本尊・十一面観世音菩薩(伝、行基作 眼守護の秘仏)
◆日切不動尊(伝、弘法大師爪彫 厄除・所願成就)
◆阿弥陀如来座像(伝、恵心僧都作 木造(平安後期)
◆木像金剛力士像(鎌倉時代初期)
◆役行者座像(江戸時代)
◆不動堂(重層宝形造 我国唯一の様式)
◆伏見天皇勅額(京都府指定文化財)
◆銅尖塔(東京国立博物館にて保管)
◆閼伽井の水(眼守護の霊水)
不動堂 山門前にて 1号車 山門前にて 2号車
花説法「心の花が開くとき」 海が開けている 住職・友松祐也師
仁王門 境内より 阿弥陀如来座像 友松住職を囲んで
人形供養 願掛けの駒札 お地蔵さん
本堂 十一面観世音菩薩 本堂内
 閼伽井の水(眼守護の霊水) 不動堂(十方閣) 住職から花の説明を聞く
昼食は丹後半島・間人港・宿坊  魚火温泉火亭
伊根の船宿 車中から
浦嶋神社(宇良神社・伊根町本庄浜)
日本人の誰もが知っている浦島伝説で名高い「浦嶋神社」「日本書記」に雄略天皇の御代、水の江の浦嶋子、仙亀にひかれて海神の都にわたり・・云々」とあり、当時の丹後の名族であった浦嶋一族の業績をたたえて創られたという。
 祭神は時代によって違っていたが、現在は浦嶋子、相殿神を
月読命・大神とし、延喜式内社に比定され、33年毎に式年造営の制度があったという。現在の建物は、明治十七年(1884)に再建された。本殿は切妻造・茅葺で、直線的な構成である。拝殿は中央を通路とした割拝殿である。境内には「蓬山の庭」(その他、神山・仙都と書いて「とこよ」とよませている)又、万葉集では「常世」を「とこよ」としている。これは古代中国の神仙思想を強く受けたものである。その他「力石の事」が書いてあり重さ三十二貫(120s)の石を担いだ力持ちの話である。
浦島神社 鳥居と拝殿 1号車 2号車
住職から浦嶋子のお話 本殿 みの亀
蓬山(とこよ)の庭 力石(120Kg) バスに急ぐ
元伊勢 籠神社 お伊勢さまのふるさと・丹後一宮
本宮 籠神社 主神:

相殿:豊受大神・天照大神・海神・天水分
末社:恵美須社・天照大神和魂
春日大明神・猿田彦神社
真名井稲荷社 延喜式社格 
名神大・月次新嘗・案上之官幣 山陰道一之大社
御由緒 神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原に豊受大神がお祭りされて来ましたが、その御縁故によって人皇十代・崇神天皇の御代に天照皇大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を與謝宮(吉佐宮)と申して、豊受大神と一緒にお祭りされた。その後天照皇大神は十一代・垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代・雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつられた。それに依って当社は元伊勢と云われています。両大神が伊勢にお遷りのあと、天孫・彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社として、又、丹後の国の一之宮として朝野の崇敬を集めて来ました。
社殿 社殿の様式は伊勢神宮と同じ唯一の神明造りで、御柱や棟持柱があり、特に高欄上の五色(青・黄・赤・白・黒)のは伊勢神宮御正殿と当宮以外には拝されないもので、神社建築として最古の様式と高い格式を表しています。 先ず、参拝される社殿は内宮様式の本宮で、千木は内そぎで一番奥の本殿のは十本であります。
御神徳 家内安全・商売繁昌・縁結び・安産・願成就・交通安全・厄除・水源水道守護
宝物 籠名神社祝部海部直等系図(国宝)
海部宮司家伝世息津(直径175o(学名:内行花文長宣子八葉鏡・後漢 時代・約1950年前のもの)海部宮司家伝世邊津鏡(直径95o(学名:内行花文昭明鏡・前漢時代・約2050年前のもの) 藤原佐理卿筆額面(国重文)
石造
狛犬2頭(国重文)
(この狛犬は日本様式化された狛犬の傑作と云われ、他社の狛犬の形と全く違い、頭は小さく胴体と足は大きく、どっしりと安定しており、しかもその姿勢は静と動を同時に表現している。その昔、作者の魂が狛犬にこもり、石の狛犬が天橋立に暴れ出て通行の人を驚かせたが、たまたま仇討ちに来ていた豪傑・岩見重太郎が一夜待ち伏せし、剛刀で狛犬の足を切ったところ、それ以来社に還り、魔除けの狛犬と云われ、霊験があらたかになったと伝えられている)
銅製経筒(重文)、小野道風筆額面など 又、画僧・雪舟(1420〜1506?室町時代、中国「」で水墨画を修行)は秀れた作品を数多く残しているが、晩年八十余歳の時、当地に来遊し、当時丹後の国府や国分寺の塔があったこの地を、当神社を中心として雄渾に描いた国宝「天橋立図」は当時の海部家の当主に献じ、同家は代々大事にして伝えていたが江戸時代末期、やむなき事情により手を離れるに至った。現在この絵は国宝として京都国立博物館が保管している。
元伊勢と海部宮司家
 
全国には元伊勢と称する所が数箇所ありますが、内宮(天照皇大神)と外宮(豊受大神)との両宮の元宮であり、且つ之に仕える宮司家が神社の始まり(神代:2500年ほど前)以来連綿として血脈一系で奉仕し、裏付けとなる神宝、古文書、口伝等を有するのが特徴であります。古代では格別の由緒ある神社にお祭りする神と、之に奉仕する世襲の(神主)の家は不離一体の関係でありました。元伊勢である籠宮(古称佐宮)に奉仕する祀職は古来海部と呼ばれ、丹波国造としての伝統を持ち、現当主は八十二代目にあたります。この海部宮司家が所蔵する通称「海部氏系図」は平安時代初期の書写で、現存する日本最古の系図として昭和五十一年に国宝に指定されました。
籠神社到着  魔除狛犬2頭(重文:鎌倉時代)阿吽               拝 殿
お神楽を拝観の後 八十二代目宮司・海部落光彦様のお話を聞く
御神酒をいただく
丹波国造八十二代(當主)丹後一宮元伊勢籠神社 宮司 海部光彦様と 籠神社全景
京都府立 丹後郷土資料館 秋期特別展をみる「人と技術:見えてきた古代丹後」
1階常設展示 丹後の歴史と文化(縄文時代)(弥生時代)(古墳時代)(歴史時代)
歴史展示(籠之大明神扁額・国重文、天橋義塾等)
民俗展示(丹後の漁業、丹後の回船業、丹後の織物等)
「人と技術ー見えてきた古代丹後ー」の主題での特別展示を2階で見ます。丹後国営農地開発事業に伴う発掘調査は昭和60年に行われた弥栄町スクモ塚古墳群を皮切りに、110を越える遺跡で行われました。中でも奈具岡遺跡や遠處遺跡といった生産遺跡の発掘では、これまでわからなかった古代の手工業生産の有り様が明らかとなりました。また数多く発掘調査された古墳の副葬品からも、当時の技術を伺い知ることができます。今回の展示では、こうした古代の丹後に生きた人々の生活の様子とそれを支えた技術とを紹介します。
奈具岡遺跡で出土した玉作りの道具と原石(弥生時代中期)が国の重要文化財に指定されました。
外部の展示物見学
旧永島家住宅(この住宅は竹野郡丹後町徳光に建てられていたもので、天保十年(1839)と大黒柱に墨書きで書かれていました。ここに移築し、復原整備されました)
京都府立 丹後郷土資料館 館長:西岡喜与一様と 1号車  2号車
常設展示 漁労 展示を見る 土器
土器 瓶 円筒埴輪 鉄剣
 人と技術 熱心に見学
勾玉 飛鳥時代後半 陶恵器 倭の鏡づくり
旧永島家住宅
旧永島家住宅 いろり (ナベザ) 食器 (ナベザ)
クド (ニワ) 籾ふるい (ニワ) 織機 (ナンド)