当麻寺・石上神宮・天理大学附属参考館を訪ねて!   一号車 高津町 塩見弘之様

 
石上神宮の国重文楼門バックに一号車の皆さん 

 六月二日(木)第四十二回春の研修に参加した。バス二台は綾部駅北口を定刻の七時三十分に出発。我が一号車は三十五名乗車とか、すぐに参加費の徴収があって、綾部ICから舞鶴若狭自動車道を一路目的地に向かった。前日の雨で新緑が一際映える山間の丹波路を快走、窓外は初夏らしく霞たなびく山並み、水田風景が過ぎて行く。西紀SA,東大阪PAでトイレ休憩、美原JCから南阪奈道を径て葛城ICを降り、最初の目的地である当麻寺の駐車場に着いた。バス毎に記念撮影の後、境内で現地ガイドの説明を受けた。その後、同寺中之坊にて精進料理(弁当)の昼食をとってから、バスで十分余り北行、次の目的地である石上神宮に午後一時十分に着き、その頃から日差しが出て来た。

 石上は「いそのかみ」と呼び、案内パンフレットによると「石上神宮は大和盆地の中央東寄り、龍王山の西麓、布留山(ふるやま)(標高二六六メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残している。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られ・・・。神宮は日本最古の神社の一つで、・・・」とある。種々の古典にも出てくる神社として、又、旧官幣大社ながら、私はこの神社は全体的に小ぢんまりとした、相当に古い神社なのだと感じた。

 「山の辺の道」の道すがらにありながら、そしてまた先年の二十一・二十二年の二回、町内の知人に誘われて二泊の天理教春の大祭行に参加した折、すぐ近くに来ていながらこれ程直近に此様な由緒ある古い神社が在ることを不用意にも知らなかったものだった。

 さて日頃でもボォーと眺めている程度でその方面の知識は疎くて、鋭い観察眼や描写能力も無いが、私なりにここで印象に残ったのは、参道入り口の鳥居脇に

柿本人麻呂の万葉歌碑「未通女(おとめ)()が 袖布留山(そでふるやま)瑞垣(みずがき)の久しき時ゆ 思ひき吾は」(巻四―五0一)が建っていたこと。

 神宮入口の手水舎辺で久しぶりに多くの(にわとり)鳴を聞いたこと。国宝に指定されているとかの「七支刀」、重文の「鉄盾」。そして神宮対面に移築された中央に一間の「()(どう)」と呼ぶ通路がある一寸変わった様式の国宝の「(わり)拝殿(はいでん)」の建物など珍しく思った次第であった。ここは確かに、万葉集など古歌に詠まれた時代を思わせるような場所の神社であった。

 凡そ一時間若の参拝見学の後、そのすぐ西方にある最後の見学地、天理大学附属参考館に着いた。

 前期の春の大祭行で二度共見ることが出来なかったもので、ここは一度は見ておきたいと思っていた博物館だった。

 平成十三年おやさと館南右第一棟に移転開館した同館には、収集物三十万点余だそうで、一階は世界の生活文化、二階が日本の生活と交通、そして三階は世界の考古美術(オリエント、日本、中国など)の展示がされており、三階では特別企画展「世界の古代瓦」展も催されていた。私は世界における諸民族及びその民具、装飾品等にも興味があったが、特に二階の日本の古き時代の生活に密着した諸道具、農具、生活品そして絵地図、鉄道交通に関するものなど思いを昔に戻したものだった。しかし、よくもまあ!これだけ集めたものだと感心した。

 帰路は三時二十分参考館を出発、天理ICから西名阪道、香芝SAでトイレ休憩と買物、松原JCを径た頃には眠ってしまったらしく、フッと目が覚めるとバスは西宮北の辺を走っていた。前方が暗かった空から、やがて強い雨がフロントガラスを突いてきた。西紀SAで小憩。綾部駅北口には予定より三十分早く十八時二十分に帰着。十八時三十二分発福知山行電車に間に合った。一人高津駅を降りると、雨は相当激しかった様子でひどく濡れていた。