世界文化遺産・奈良の国宝を訪ねて       綾部の文化財

「綾部市文化協会後援」
第十一回秋の文化財・史跡学習会のご案内      事務局 四方續夫

見学箇所についての紹介

 世界文化遺産登録の「東大寺・興福寺」と言いますと、奈良はシルクロードの終着地とも言われ、私にとっては、すぐにスタートと云われるイタリアの首都ローマやトルコの東西文化の交差点とも言われるイスタンブールのトプカピ宮殿(現・博物館)に展示されている巨大な(高さ一メートル以上)の一対の古伊万里焼の素晴らしい壺を思い出します。

 ラクダの背によって運ばれたものか、それとも海のシルクロードを船で運ばれたかは知りませんけれど奈良はそういう文化財を持つ”国宝の山です。

 又、昭和六三年(一九八八)平城京跡で、天武天皇の第七子、高市(たけち)皇子(のみこ)の第一皇子の長屋(ながや)(おう)邸宅跡が発見されました。長屋王は右大臣を経て神亀元年(七二四)に左大臣に就任し、皇臣を代表し藤原氏の勢力に対抗したが、天平元年(七二九)に「左道」を学び国家を傾ける危険人物と密告され自殺に追い込まれました。これは藤原の陰謀と云われ、犠牲となった人物の邸宅が初めて確認されたのです。

 十数万点という木簡等が発見され、その内、綾部資料館ではビジュアルで見れる高津里(今の高津町)から鮎の干物が長屋王邸宅へ運ばれたことが判る木簡も発見され「木簡の旅」として常時無料で見学(除く月曜日)できます。

  東大寺「南大門横の駐車場」で現地のボランテアガイドさんが待っておられ、ここから見学にスタートです。一千三百年の昔にタイムスリップして、さあ、見学開始です。

 此処には書ききれませんので、ご参加者には当日「古代皇室系図」「現地地図」「古都奈良の歴史概略」等の資料を差し上げます。

東大寺(華厳宗総本山)の略歴

 奈良、春日山の西麓に建つ東大寺は、盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする華厳宗(けごんしゅう)の総本山。

 仏教を中心とする国造りを進めた聖武天皇の発願で、総国分寺として創建。

 大仏建立は国力を傾けた一大プロジェクトでした。その背景には、皇太子(もとい)親王の病死をはじめとして、当時の世上は、政治の中枢を占めていた藤原(中臣(なかとみ)鎌足(かまたり)の第二子の不比等(ふひと)の子供、南家・北家・武家・京家の四兄弟の病死や、疫病の流行、全国的な飢餓の広がりがありました。

 又、幸いにも奥州で砂金が見つかり、大量の砂金が大仏の塗金のため寄贈されたとも言われています。

 天平勝宝四年(七五二)、開眼法要が盛大に営まれました。治承四年(一一八0)、平重盛の南都焼き討ちで大半の堂塔を焼失したが、すぐに重源(じゅうげん)の勧進で復興。

 しかし、永禄十年(一五六七)に松永久秀の兵火で再消失。

 江戸中期の元禄五年(一六九二)になって五代将軍綱吉の母・桂昌院を動ごかし幕府の多大な援助を引き出し、大仏開眼をしたのは大和出身の僧・隆光でした。

 この境内には数得れないほどの国宝があります。例として、南大門とその仁王像・大仏殿と大仏・鐘楼・三月堂(法華堂)と内部の十二の像などであります。

東大寺南大門(国宝)

         

 

一、東大寺南大門(国宝と金剛力士像(国宝)

 天平勝宝四年(七五二)に創建された東大寺の正面で、十二世紀後半の台風による倒壊や治承の兵火を得て、重源上人が宋の技術を導入してつくらせた、いわゆる「大仏様式」の代表的な建物で重層入母屋造りの五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造である。

 又、屋根裏まで達する大円柱十八本は

二十一メートル、基壇上二十五・四六メートルに達する我が国最大の山門である。

 この門の中には東西相対し、阿吽(あうん)一対の金剛力士像(仁王)が安置されている阿形は八・四三メートル、吽形は八・三六メートルもある巨大なヒノキ材の寄木造りの工法でつくられた木造である。

 又、この像は鎌倉初期・建仁三年(一二0三)に運慶や快慶ら仏師たちによってわずか六九日で造像されたと云う。

 尚、南大門両端の北側の阿形二体の「石造獅子」は共に国重文です。

 午前十時「中門」前で全員の集合記念写真を予定していますのでご協力をお願い申し上げます。

 尚、他の参拝者にご迷惑をお掛けしないよう注意して下さい。

二、八角灯籠(国宝)

 左側から拝観料を支払い更に、境内に入ると巨大な大仏殿が目に付く。此処から更に大仏殿の前に行くと巨大な金銅の八角灯籠がある、高さ四・六メートルもありこの灯籠は東大寺創建当時のものとされ、その後、多少手を加えているが天平時代の金工技術と工芸意匠の素晴らしさを現代に伝えている。非常に大きな火袋が特徴で東西南北の四面には両開きの扉に雲中を走る唐獅子と他の四面には優美な音声(おんじょう)菩薩(ぼさつ)の浮彫が見られる。

八角灯籠(国宝)

    

三、大仏殿(国宝)

 東大寺の金堂である。二度兵火に遭い江戸時代に再建されたが、天平・鎌倉時代の大仏殿は十一間であったが、財政困難で今は七間であるが、それでも世界最大の木造建築物である。東西五七・0一二、南北五0・四八、高さ四八・七四二メートルである。

四、盧舎那仏(るしゃなぶつ)(国宝)(特別拝観) 

 一般参拝者が入れ無い、大仏様の基盤まで上がり、ここでご説明をお聞きする予定です。

東大寺大仏殿(国宝)

     

 大仏様は正しくは()盧舎那仏(るしゃなぶつ)と云いその意味は、知恵と慈悲の光明を遍く(あまねく)照らし出されている仏ということである。

インドのカピラ城(今のネパール)に生まれた釈尊は二九歳のときに出家され、以後六年間難行苦行を重ね、ついに尼連(にれん)(ぜん)()のほとりの菩提樹下で大いなる宗教体験を得られた。「大方広仏華厳経」は時間と空間を超えたほとけとなられたその瞬間の釈尊の姿を描いたお経で、偉大で、正しく、広大なほとけの世界を、菩薩のさまざまな実践の(はな)によって飾ることを説いている。このお経によれば、鳥の声、花の色、水の流れ、雲の姿すべて生きとし生けるものを救おうとするビルシャナ仏の説法であり、大仏尊像の台座の周りの蓮弁には「蓮華蔵世界」と呼ばれている毛彫図が刻まれ、「華厳経」の説く「悟りの世界」を絵に表している。

 尊像 像高十四・九八、目長一・0二、耳長二・五四、顔長五・三三、鼻高0・五、台座三・0五メートルです。

 私は、仕事柄インド・ネパール、アフガニスタン、ボルブドール、アンコールワット、ベトナム、ビルマ、タイ、中国等多数の仏跡めぐりに行ってきましたが、ご承知の通り仏教はインド(今のネパール)で生まれました。

 十二月の冬でも日中は四十度を越える温度、夜はマイナスになり凍死者が出る。 

 一日にして、朝は春、昼は夏、夕方は秋そして夜は冬。一日にして春夏秋冬を経験できます。 

 なぜか、世界三大宗教の仏教、キリスト教、回教のみならず、他の有名な宗教は生きるのに非常に過酷な地で起こっています。

五、鐘楼(国宝)

 ひときわ天空にそびえる鐘楼は、鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人を継ぎ、大勧進となった栄西(ようさい)禅師が承元年間(一二0七〜一0)に再建したもので大仏様や禅宗様的な要素を加味した豪快な建物である。重さ二六・三トンもある梵鐘(国宝)は東大寺創建時のもので、鐘声の振幅は非常に長く「奈良太郎」と呼ばれ、日本三名鐘の一つである。

鐘楼と梵鐘(二つ共国宝)

   

  

六、念仏堂(国重文)

  鐘楼の東にある寄棟造りの念仏堂はもとは地蔵堂といわれ、鎌倉時代の建物である。堂内には嘉禎三年(一二三七)に仏師・康清が造った地蔵菩薩像(国重文)

がある。

七、法華堂(三月堂)(国宝)

 修学旅行などでは中々入りませんが、拝観料を支払い皆様には拝観・見学して頂きます。「拝観券の裏の内陣配置図」を見ながら観賞してください。

 法華堂は天平十二年(七四0)から十九年までの創建と考えられている東大寺最古の建物である。不空(ふくう)羂索(けんさく)観音を本尊とするところから羂索堂と呼ばれていたが、毎年三月に法華会(ほっけえ)が行われたところから、後に法華堂と呼ばれるようになりました。この法華堂は東大寺の前身である(きん)鐘寺(しょうじ)の主要伽藍(がらん)の一つであり、華厳経が日本で初めて講義された所と云われています。

 内部にはかの有名な透徹した美しさで人を魅了して止まない、日光・月光菩薩像(国宝・()造)二像を初めとして、国宝の塑像には十二月十六日のみ特別開扉の秘仏「(しゅ)金剛(こんごう)神像(しんぞう)」の三体と重文の吉祥天像、弁財天像二体、乾漆造の国宝では、不空羂索観音像、梵天像、帝釈天像、髪を逆立て、忿怒(ふんぬ)の相もすさまじい金剛力士(阿・吽)二体、四天王の持国天像、増長天像、広目天像、多聞天像の九体の

国宝像が、更に鎌倉時代の木造の地蔵菩薩像、不動明王像の二体で国宝像十四体、重文像二体で合計十六の像が祀られています。

(注)乾漆(かんしつ)には塑像(そぞう)の原形に麻を(うるし)で貼り、塑土(そど)を取ってから漆に()(ふん)を混ぜたもので仕上げる脱活(だつかつ)乾漆と、木の心木へ漆に木粉を混ぜたもので仕上げる(もく)(しん)乾漆がある。天平時代に多く用いられた技法です。

   

三月堂(法華堂・国宝)

  

 さて、私達は国宝「開山堂」を外から斜め向かいに見て二月堂へ向かいます。中には、鎌倉時代、鷲にさらわれ、杉の木の上に下ろされて、後に名僧となった(ろう)(べん)僧正の秘仏「良弁僧正坐像・国宝」(十二月十六日のみ特別開扉)が祀られています。

 

八、二月堂(国重文)

 法華堂の北側にある石段をゆっくり上ります。この二月堂の舞台から眺める夕日は素晴らしいものですが、昼間でも東大寺、奈良市外、遠くに信貴・生駒の連山が望めます。又、裏手・東側一帯は「若草山」ご承知の通り、一月十五日山焼きが行われます。又、本尊様は絶対秘仏の「十一面観音」様で、三月の修二会(しゅにえ)(お水取り)で有名で、このお水は平成十二年の春の研修旅行で見学した、若狭小浜の神宮寺の「()()」からはるばるこの東大寺の二月堂の下の「若狭井」へ運ばれ、この神事に使われます。

 この時、二月堂では「籠松明」等が使われ、まるで火事が起こったような状況がよくテレビで見ます。

 又、この二月堂の奧に休憩室やトイレがあり、無料のお茶・水も各自で飲むことが出来ますので、ここで少し、休みましょう。

 私達は、二月堂からゆっくりと階段を下って行くと、所謂「裏参道」ですが、此処は大変(おもむき)があります。途中の左側に「大湯屋」(国重文)が見えてきます。創建はさだかでは有りませんが、現在の建物は室町時代の形式で中世の浴室の遺構として貴重であります。又、大仏殿裏側を通りますが、一三00年前、この北側の芝生のあとには「大講堂」や、およそ一00メートルもあった七重の東塔や西塔がそびえていたことを想像してみてください。一三00年前の当時は素晴らしいものだったことでしょう。

 時間の都合で私達は、ここから東大寺の正面の「鏡池」の横を通り南大門の駐車場へ引き返します。駐車場の出発は十一時四十五分です。時間が有れば鹿と遊んでやってください。

 尚、東大寺には国宝の「戒壇院」、国名勝の「依水園」や「正倉院(国宝)」は外側のみ見学可能であります。正倉院の西方に「転害門(国宝)」もあります。

 午後の自由行動時間で「戒壇院」は入場料五00円で中には「四天王像(国宝)」があり、見学に行ってこれます。

 「守る会」では次回の奈良の国宝見学は「西ノ京・薬師寺、唐招提寺と正倉院展」で計画する予定です

 駐車場を出発し、「国立博物館本館」を右手に、角を曲がり「春日大社一の鳥居」を左手に見、「荒池」を渡ると昼食の場所

に至ります。

昼食は、「なら(なご)み館」

(電話:0七四二ー二一ー七五三0)

十二時〜午後一時出発(時間厳守

此処でほとんどの奈良の名産・名物が購入できますのでお買い求め下さい。

 興福寺の駐車場へ入ります。ここでは、

「国宝・五重塔と東金堂」をバックに号車毎に記念写真を撮りますのでご協力をお願いします。

興福寺(法相宗大本山)の略歴 

 南都(奈良)七大寺に数えられる興福寺は、京都山科藤原(ふじわらの)鎌足(かまたり)私邸に建立された(やま)(しな)寺に始まり、飛鳥を経て平城遷都(せんと)

に伴い現在地に移り興福寺と号した。

 藤原氏の氏寺として隆盛し、平安時代には大和国(奈良県)を支配し、僧兵を擁し、比叡山延暦寺とともに、南都(なんと)北嶺(ほくれい)と呼ばれ(おそ)れられた。東大寺と同様、治承四年(一一八0)に平重盛の南都焼き討ちで大半の堂塔を焼失したが鎌倉時代に復興。その後も、堂塔は焼失と再建を繰り返したが、寺勢は徐々に衰え、明治の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)で崩壊寸前に追い込まれたが、それでも東金堂(国宝)、五重塔(国宝)

北円堂(国宝)、三重塔(国宝)、南円堂(国宝)などが残り、昭和三十三年(一九五八)に「国宝館」が出来て各国宝の建物より、数多くの国宝・重文が移され此処で展示されています。

興福寺五重塔と東金堂(二つ共国宝)

  

  

一、興福寺国宝館

 昭和三十四年(一九五九)に,旧食堂・細殿跡に興福寺宝物収蔵庫として建設され仏像彫刻・絵画・工芸品・典籍文書・考古資料等の寺宝を各所から集めて最優秀品を展示しています。

全員入場致します。

午後一時三十分から二時十五分(時間厳守)但し、このあと出発まで自由研修をされる方は、ご自由にどうぞ!

  陳列品は、一部変更になる場合がありますが、お世話役がお渡しする「拝観券」

を開き順次鑑賞下さい。

 特に、入り口から左の中の、阿修羅像(国宝で天平六年(七三四)は「拝観券」の表紙にもあり・八部衆立像(八部衆とは沙羯(さか)()鳩槃(くばん)()乾闥婆(けんだだつぱ)阿修羅(あしゅら)迦楼(かる)()緊那(きんな)()畢婆迦(ひばから)()五部(ごぶ)(じょう)、をさす。そのなかの阿修羅は、通常三面六臂(さんめんろっぴ)(三つの顔と六本の腕)の荒々しい戦闘神として表されるが、この像は少年のような清純さと神秘性を併せ持っている脱活乾漆造りであり有名である。

 板彫十二神像(国宝・木造り・平安時代)、金剛力士像(国宝・鎌倉時代)、天灯鬼・竜灯鬼像(国宝・木造・鎌倉時代)等は見逃せない。

 国宝の南円堂、北円堂、中金堂より持ってきて展示しているものも多い。

 国王合計は、ざっと、二十八、重文は

ざっと、十像以上です。

 見学に四十五分も取っていますので国宝(文化財)の粋をお楽しみ下さい。

 宝物館見学後、此処で、2号車、1号車を自由研修組みと、更なる興福寺見学コースの二班に分けます。

 自由研修組はこの駐車場出発は午後三時四十五分(時間厳守で戻って来てください。)

(注)世話係りに自由研修組か興福寺見学続行組かを「興福寺国宝館」を出たところでご一報をお願いします。

自由研修組へ

国宝の五重塔を目指していくと、横断道路があります。そこを渡ると目の下に、懐かしの「猿沢(さるさわ)(いけ)」があります。そこから、更に南へと歩いていきますと今、有名な奈良町センター街へでます。買い物やお茶を一服飲んで休む等の楽しみもあります。

 春日大社の見学も可能で、五重塔へ向かい、そこから東へ向かうと、「春日大社一の鳥居」がありその奥が「春日大社」です。

 又少し、歩いて頑張れば先ほどの東大寺の「国宝・戒壇院・内部の四天王像(国宝)が有名」拝観料五00円・と「正倉院」外部のみ見学可能へ行けます。

 

引き続き

興福寺見学組へ

 ボランテア・ガイドさんの指示に従い 「興福寺国宝館」見学後、各自で「拝観料三00円」を支払い、各自で入館・見学願います。

二、「国宝・東金堂(とうこんどう)

を見学して下さい。所要約三十分位で出口でガイドさんが待っています。「興福寺・東金堂(国宝)」は興福寺の三つの金堂の一つであり、亀神三年(七二六)創建ですが、六度も焼失に遭い、応永二十二年(一四一五)再建されたものです。

内部には、薬師如来(室町時代・国重文)、

日光・月光菩薩立像(白鳳時代の七世紀・銅造・国重文)は文治三年(一一八七)に飛鳥山田寺から移されたと云われています。文殊菩薩坐像((桧材・寄木造・鎌倉初期・国宝)、維摩(ゆいま)居士(こじ)座像(桧・寄木造。鎌倉初期・国宝)、十二神将立像(寄木造・鎌倉初期・国宝)四天王立像(桧・一本造・平安初期・国宝)等がある。

 「東金堂」見学後、出口で午後三時からボランテアガイドさんが次の所を案内します。

三、五重搭(国宝)

 高さ五一メートル。古塔としては、京都の東寺の五重塔五五メートルに次ぐ高さで、天平二年(七三0)藤原不比等の娘・光明皇后の発願で建立。現存の建物は、室町時代の応永十三年(一四二六)に建てられた六度目の室町時代の建物ながら、全体に創建当時を伝える純和様の名建築である。

四、南円堂(県文化財)

 西国三十三箇所九番札所北円堂と対になる八角円堂。現在の堂は江戸時代・寛政元年(一七八九)に再建されたもので、国宝の像は「興福寺国宝館」で拝見してきた。

五、三重塔(国宝)

 南円堂から猿沢池への石段へ降りる途中にあり、平安時代に建立されたものですが、現存のものは、建立年代が定かでないが、鎌倉初期に藤原様式で体験されたもので高さ一八メートル。

六、中金殿とその跡地

 伽藍の中心である中金堂は、江戸時代の享保(一七一七)の大火の後、一00年後、町人の京屋市左衛門の努力により仮堂として建てられたものである。

六、北円堂(国宝)

 興福寺の創健者、藤原不比等の一周忌にあたる養老五年(七二一)に慰霊のため元明太上天皇と元正天皇の発願(ほつがん)により建てられた。興福寺の北西隅に建ち、仏堂としては珍しい八角堂。現在の建物は承元四年(一二一0)に再建されたもので、創建当時の姿を良く残し、構造の細部は、貫の使用など、鎌倉時代の大仏様の技法を取り入れ強化が図られている。

 総高十五・二メートルの規模をもつ八角堂は鎌倉初期の名建築である。

 以上で、興福寺見学を終了します。

駐車場の出発は午後三時四十五分です。

尚、興福寺・五重塔前の南大門跡の「土塀」の中にトイレがありますので必ず済ませて、時間厳守でご乗車下さい。

「綾部市文化協会後援」

第十一回秋の文化財・史跡学習会

参加のご案内

         事務局 四方續夫 

 今回の文化財・史跡学習会は、「綾部が民俗・民具・文化財の宝庫」なら、「奈良・京都は国宝の山」です。

 皆様のご要望に答えて、久しぶりに奈良への日帰り旅行を計画しました。

東大寺と興福寺を中心に普段中々見学できない東大寺の法華堂や興福寺国宝館を組み込み、又、副会長のご縁で東大寺では、塔頭・宝珠院の住職様の話や「大仏様の特別拝観」の案内をして頂ける予定です。

 興福寺宝物館を見学後、国宝の山を見てお疲れの方には、一時間半の自由研修でお好きな所を見学して頂くコースもご用意しました。又、奈良の紅葉も格別です。ご家族、ご夫婦、ご友人をお誘いご参加下さい。

一、期日 平成十七年十一月十七日(木)

二、集合場所・時間 JR綾部駅北口

     午前六時四十五分(時間厳守)

三、見学箇所

(一)東大寺・南大門、金剛力士像、

 八角灯篭、大仏殿(法話拝聴を予定)、

 大仏、 鐘楼、法華堂(三月堂特別拝   

 観)、二月堂、裏参道等

(二)興福寺宝物館

興福寺見学続行B組は更に「国宝・東金堂(とうこんどう)とその内部」拝観料三00円は各自払い、

五重塔、三重塔等「見学箇所の紹介」を参照下さい。

(三)帰路、平城宮跡(車中にて見学)

四、参加費 お一人九、000円(バス

  代、昼食代、心付、拝観料、手作り  

  記念写真代を含みます。)

五、現地参加費 お一人六千円(東大寺

  駐車場から、興福寺で解散まで、昼 

  食等、右に同じ。葉書に現地参加の

  旨を明記して申し込み下さい。)

六、募集定員 九十名(京都交通貸切

       大型バス2台予定)

(但し、満員になり次第締め切ります。)

七、申込方法 十一月二日(木)までに  

 参加者全員の〒番号・住所・氏名・電

 話番号を記入して葉書にて申し込みさ 

 い。特別緊急以外の電話申し込みはお 

 断りします。

八、申込先

 〒番号:六二三ー000四

 綾部市多田町後路二八番地

 四方續夫 宛

九、受付けと出発案内は等は、申し込み

 締め切り後、葉書にてお知らせします。

尚、学習旅行にはこの「会報六一号」を持参頂くようお願い申し上げます。

テキスト ボックス:  行程表
 綾部駅北口 ==綾部IC=(舞鶴若狭道)=中国道・赤松PA==(近畿道・第二阪名道)=  午前7:00出発(時間厳守)          8:00(休憩)8:15==駐車場・東大寺の南大門・金剛力士(見学)==東大寺の八角灯籠・大仏特別見学を予定)9:45(ボランテアガイドと一緒に見学開始)====東大寺鐘楼 ==東大寺法華堂(三月堂)見学==二月堂と裏参道等見学=======南大門駐車場出発 ==昼食・なら和み館・買物 ======興福寺・国宝館(見学)= 11:45(時間厳守)12:00〜13:00( 時間厳守) 13:30〜14:15(此処から自由研修組(A班)と興福寺見学続行組(B班)に分けます。興福寺駐車場の出発は15:45(時間厳守)です。「見学箇所についての紹介」をよく読んでおいてください。  =興福寺駐車場====(第二阪奈道・近畿道)==中国道・赤松PA====JR綾部駅 15:45出発(時間厳守)      17:40(休憩)18:00 18:50頃到着予定

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