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第九回秋の史跡学習会「なにわの国史跡見学」   事務局 四方續夫

見学箇所についてのご紹介

 今回の研修旅行は「なにわの国史跡見学」と題し、電車等では大変行きにくい、南河内郡太子町の三骨一廟で有名「聖徳太子御廟所・磯長山(しながさん) (えい)福寺(ふくじ)」、美しい「推古陵古墳(磯長山田陵)」、「大阪府立近つ飛鳥博物館」、そして本年七月一般公開された大阪の「四天王寺とその本坊庭園」、最後に中之島の「大阪市立東洋陶磁博物館」で国宝の()(てき)天目(てんもく)茶碗(ちゃわん)(とび)青磁(せいじ)花生(はないけ)等を見て帰る一日コースです。 見学箇所を順次ご紹介いたしますのでご参照下さい。
綾部から高速道路の舞鶴若狭街道、中国道(赤松PAでトイレ休憩)、近畿自動車道から阪和自動車道へ、美原北ICで、約百五十キロ、ここで高速道路を下り、南河内郡太子町へは約十二キロメートルです。高速道路網のお蔭で日帰りで見学出来る様になりました。

(えい)福寺(ふくじ)の起源と聖徳太子を祀る御廟
 聖徳太子の御廟所として、羽曳野市(はびきのし)野中寺(やちゅうじ)の「(なか)の太子」、八尾市勝軍寺の「(しも)の太子」に対して「(うえ)の太子」と呼ばれる。

 叡福寺は聖徳太子(五七四〜六二二)の御廟を守るため建てられた寺である。推古天皇三十年(六二二)太子の母、(あな)穂部間人(ほべのはしひと)大后の眠る御廟を聖徳太子自ら廟地として選定され、(みずか)ら造営された磯長(しなが)(びょう)は、叡福寺境内の北側にある。磯長山の丘陵を利用した円墳で、高さ七・二メートル径五十四・三メートル、内部は横穴式石室になっている。円墳の周囲を聖地と俗界をへだてる二重のいずれも観音の梵字が刻まれている「結界(けっかい)(せき)」が四百九十体あり、内側のは弘法大師の寄進として有名です。

太子が薨去(こうきょ)されたのは推古三十年(六二二)旧暦二月二十二日(太陽暦四月十一日)四十九歳であった。「日本書紀」に「この月に磯長陵に葬る」と書かれている。太子は前日に亡くなられた妃・(かしわ)部大郎女(べのおおいらつめ)膳手(かしわで)(ひめ))と共に、二ヶ月前に亡くなられた母后・穴穂部間人皇女の眠る太子廟に埋葬され「三骨一廟」となった。寺伝によると、この折、推古天皇が、霊廟守護のために坊舎(墓守の家十軒)を建てたのが草建という。神亀元年(七二四)聖武天皇が法隆寺を模して東西両院を造り、東を(てん)法輪寺(ぽうりんじ)、西を叡福寺と称した。その後兵火にあい現在の堂宇は豊臣秀頼の寄進によるものが多い。

 この三骨一廟の思想は阿弥陀三尊が仮に人間の姿をとってこの世に現れ出たとするもので、母后を阿弥陀、太子を救世(くぜ)観音(かんのん)、妃を勢至菩薩になぞらえている。救世観音とは、人々の苦悩を救う慈悲深い観音のことで、あらゆる人々の訴えに耳をかし、手をさしのべられた太子の姿をよく現している。太子廟の正面には、扉の上に阿弥陀三尊の御来迎を現した木彫浮彫の円額がかかっている。延享三年(一七四六)、叡福寺中尾坊の玄雅が寄進したもので、三骨一廟の意味をよく象徴している。

 御廟は宮内庁の管轄で、明治十二年、廟修理の際に大きな岩石をもって羨道を閉じたので内部を見ることは出来ないが、叡福寺に伝えられる「聖徳太子御廟窟絵記文」には窟内玄室の三館配置絵図がある。太子の父は第三十一代・用明天皇であり、蘇我氏の血を受けた皇子の中で、皇位継承の順位からいうと(うまや)()皇子(聖徳太子)になるべきだったが、(その聡明さに馬子が敬遠したと思慮される。)二十歳の時、叔母に当たる日本最初の女帝で三十三代・推古天皇の摂政に就任、三十一歳で日本最古の成文憲法「十七条憲法」を起草した。今日でもなお新鮮さを失わないこの憲法には、第一条に「和をもって(とうと)し、(さから)うことなきを(むね)とせよ」という有名な言葉が書かれ、現代の民主主義の先鞭ともいえる言葉である。

 大陸文化を積極的にとりいれた太子はまた、法隆寺や四天王寺を建立するとともに、仏教によって人々を教化しようと試しみた。生きとし、生きるものの究極のよりどころを仏教に求め、仏教を通して理想的な国家や社会組織を築こうとしたのである。従って、憲法第五条では、役人たちに私利私欲を捨てて自らの人格の向上をめざし社会に奉仕せよと訴えている。このように常に人民の側に立って政治を行ったので、太子は人々に慕われ敬われて、薨去の後には救世観音の生まれ変わりと信じられ、太子信仰が生まれた。なかでも太子の御廟がある叡福寺は、太子信仰と大乗仏教の聖地として栄え、弘法大師空海や親鸞、日蓮を始めとして多くの聖人たちが訪れ、修行して道を切り拓いたところである。

 (注)、太子廟のある南河内郡には、敏達・用明・推古・孝徳天皇陵のほか、小野妹子、大津皇子、源義家等の源氏三代の墓もあります。
 太子町には「竹内街道」が通っており叡福寺から現在の国道一六六号線にほぼ沿って「万葉の森」、「竹内峠」を越えると約八キロで奈良へ、二十キロメートルで飛鳥寺へ。又、堺の世界一巨大な古墳「仁徳天皇陵」までは約十六キロメートルです。「竹内街道」は飛鳥時代、推古天皇が大陸からの使節を迎えるため、難波の港から飛鳥の都へ至る「大道」を置きました。又、大津皇子が眠る「二上山」も近く、石器の材料・サヌカイトをこの山に求め、この道は立派な官道となっていたのです。

磯長山 叡福寺(宗派 単立) (見学所要時間約四0分)駐車場到着予定は午前九時五十分、出発時間は十時四十五分です。(時間厳守)先ず駐車場のすぐ前にあるのが南大門です。太子町の町並みの中に一段高く南大門が立ち白壁越しに多宝塔が姿を見せる。階段を上がるのはここだけです。 お渡しする地図をご参照頂くと良いでしょう。

H南大門
 天正二年(一五七四)の兵火で焼かれ、慶長年間に再建。腐朽のため昭和三三年再々建築した。左右に金剛力士を安置している。この南大門を上がると一直線上に@二天門と聖徳太子の御廟が見える。

K多宝塔(重要文化財)
 南大門を上がると広い境内左手に見える多宝塔は承応元年(一六五二)、江戸の三谷三九郎の再建。本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置し、四本の柱には四天王の像が描かれている。木割りは太めで近世では正統派に属する塔である。

M聖光明院
 多宝塔から左手の塀越しに見えるのが、聖光明院です。ご本尊は大日如来像。聖徳太子に仕えていた調子麻呂が、太子の埋葬が終わったのちも長く留まって太子の菩提を弔った建物です。

L金堂
 多宝塔の前にある金堂は享保十七年(一七三二)に再建。本尊は高さ九0センチの如意輪観音の座像。聖徳太子の本地が観世音菩薩であるという平安朝以来の信仰に基づいているという。脇侍は不動明王と愛染明王。共に弘法大師の作と伝えられている。

宝物館
 お渡しした寺発行の「案内図」には掲載されておりませんが、特別に入館します。寺宝の共に国重文の「絹本著色文殊渡海図」、「高屋連枚人(たかやのむらじひらひと)の墓誌」が見れると思います。

N聖霊殿(重要文化財)
 太子堂とも呼ばれ、聖徳太子十六歳植髪等身像と南無仏太子二歳像が祀られている。十六歳像は後鳥羽天皇が文治三年(一一八七)、宮中にあったものを下賜された。建築様式は桃山末期の特徴を示している。

@二天門
 聖徳太子御廟の前の門です。失礼ながら、この階段に立ち「記念写真」を撮ります。静粛にご協力をお願いします。

O(うえ)の御堂
 御廟の左手には、上の御殿ともいい、聖徳太子三十五歳像が祀られている。元禄元年(一六八八)当国の丹南藩主・高木主水正が、回廊・二天門・鐘楼などと一緒に寄進したと「古事類苑」に記されている。

御廟
 御廟につきましては、前ページの「叡福寺の起源と聖徳太子を祀る御廟」をご参照下さい。詳しく明記しましたので、割愛(かつあい)させて頂きます。

A浄土堂
 御廟の右手にあり、慶長二年(一五九七)伊藤加賀守秀盛の再建。御本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊。弘法大師御参籠(さんろう)の時九十九夜にわたって御廟の中から音楽が聞こえ、三尊がご来迎(らいごう)されたという。この様子を模写して作成したものが伝えられる。
又、御廟の右手奥には、「B見真大師堂」、「D経蔵」、左下側には「C弘法大師堂」、「E念仏堂」、「F客殿」そして「G志南香苑」が周囲に配置されている。又「H南大門」の前方の参道には「I隔夜堂」「J西方院」等もある。駐車場を十時四十五分出発に出発します時間厳守でお願いします

推古陵古墳(磯長山田陵)
 太子町には他に敏達、用明、孝徳天皇陵があるが、国指定の二子(ふたご)(づか)古墳と山田(やまだ)東条(ひがしじょう)台地の先端を利用してつくられた三段造の方墳の「推古天皇陵が」ある。 一辺五八メートルの美しい形となっている。但し、北側斜面には段は見られず西側と南側のみに段を認めることができる。最下段と二段目は現在民有地であり、三段目のみが宮内庁管轄の陵墓である。
(注)バスを止めることが出来ませんのでここで下車し、写真等を各自撮って頂いている間に、バスを回送して来ます。出発時間は十一時十五分(時間厳守)約十五分間の滞在です。

大阪府立(ちか)飛鳥(あすか)博物館(見学所要時間約四0分)
 一須古墳群と呼ばれるこの地は、その貴重な文化財に触れて親しむ場として、二十九万平方メートルの風土記の丘には一0二基の古墳が有り、そのうち四0基が見学出来るよう整備されている。

 駐車場から太古のいぶきと未来への謳歌(おうか)を表している近代な型破りの建物(安藤忠雄氏設計)の階段を登っていくと入口・出口が一見三階のように見えるが一階のロビーへ上がる。
見学は、各自でお願いしますが、この博物館のメインテーマは「日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐる」であり、第一ゾーンは@倭の五王と渡来文化A聖徳太子の時代(四天王寺の模型、聖徳太子文楽人形の展示もある)B仏教文化の開花C文字の時代D古墳の終わり

 階段を下りると第二ゾーン・古代国家の源流として巨大な堺にある世界一の墳墓「仁徳天皇陵の模型」や「鹿谷寺石塔」が展示されている。
 又、この隣にある特別展示室では平成十五年度秋季企画展がこの時期開催されている。テーマは「壁画古墳の流れ」で今、かびで問題になって、古墳の上の竹林を伐採し、覆いをかける等重大な保存問題なっている「高松塚とキトラ」が主題で展示されているので、是非ご覧下さい。
 駐車場の出発時間は十二時十五分です。一階の出入口から戻るのに七分かかりますので、宜しくお願いします。
 ここから、大阪南のど真ん中、天王寺動物園横の通天閣のある新世界へ向かいます。約二五キロ、途中から阪神高速道路に乗ります。
昼食は大阪名物味自慢の「づぼらや新世界店」(午後一時〜二時の予定)大阪市浪速区恵美須東二丁目五番五号
 電話:0六ー六六三三ー五五二九 FAX:0六ー六六四八ー四一四七
料理内容は「前菜(二種盛)、寿司盛り合わせ、揚げ物、酢の物、汁物」
 食いだおれの都大阪の通人達の舌を満足させてきた「づぼらや」の技。季節の彩りを大切にした旬の素材に腕が自慢の板前達の包丁が冴えます。 食事が早く終われば、近くの散策も楽しいですが、スリにご注意を!
出発時間は午後二時(時間厳守)、出発場所は到着時ご連絡申し上げます。

和宗総本山 四天王寺 (見学所要時間約六0分)

四天王寺縁起

 四天王寺は今から約一四00年以前、推古天皇元年(五九三)に聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺である。
 太子が当寺を創建されるに当たって敬田、悲田、施薬、療病の四箇院を構え、以って鎮護国家の道場として、また済世利民の実践所として物心両面の救済により平和国家の樹立と文化国家の荘厳をはたされ、その意味では当寺が政治外交の中枢となったのみならず美術工芸産業等

あらゆる方面に於いて日本文化の発生地となったのである。それ以後、当寺は太子の偉業をついで教学伝道等本来の使命達成はもとより社会教育・福祉事業・仏教の興隆等の充実につくし現在に至っている。
 当寺の寺域は三三000坪」(約十一万平方メートル)、堂塔伽藍(がらん)は創建以後度重なる戦火天災に遭いその都度再建を重ねて来た常に寺域と伽藍配置は飛鳥時代創建当初の姿を伝え、境内全域が史跡に指定されている。昭和二0年三月十四日の空襲によって七堂伽藍の大半は焼失したが、西門石鳥居、本坊通用門、六時堂、五智光院、元三大師堂、湯屋方丈、元和(一六一五〜一六二四)再建の建築物は戦火をまぬがれ、昭和二九年九月十七日国の重要文化財に指定され、中心伽藍は、昭和三八年十月飛鳥時代創建当初の様式、結構を再現復興したもので所謂(いわゆる)四天王寺伽藍配置の今に在る貴重な遺構として文化的に優れた価値を有するものである。
 バスは南大門前の駐車場に入ります。出発もここからです。万一迷子になった場合は必ずこの駐車場に午後三時十五分までにお戻りください。

南大門
 南大門は、本来の正面に当たる門で、江戸時代末期、文化年間に焼失した後本格的に再建されませんでしたが、昭和六0年に本来の姿に再建されました。重層、総檜造り、本瓦葺の四脚門です。
 ここを通り抜けて中心伽藍の「仁王門」の前へ出ます。ここで「仁王門」と「五重塔」をバックに記念写真を撮りますのでご協力をお願いします。

中門(仁王門)
 中門は当寺中心伽藍の最南端にあたり、脇の間に仁王尊像を祀っていることから俗に仁王門と呼ばれている。東側(向かって右)は那羅延金剛力士、西側(向かって左)は密迹金剛力士であり、四天王寺大仏師松久朋琳氏の作である。
 この仁王像の重さは約一トン、身長五・三メートル、顔の長さ七0センチ、足の親指の幅だけでも十三センチもあり、大きさでは奈良東大寺の仁王様に次いで我国で二番目に数えられる。
 ここから中心伽藍の外側を左側へと歩くと「西重門(せいじゅうもん)」へ至ります。途中、左手には「万灯院」、「阿弥陀堂」、「納骨堂」、「大師堂」等があります。
 中心伽藍への出入口はこの「西重門」のみで、入山料を支払い各所入場可能な「共通入場券」と地図入りパンフレットをお渡ししますので、無くさないよう大事に持っていて下さい。

この「西重門」に向かって真正面から後ろを振り返って見てください。
「四天王寺縁起」で説明した重文の「石鳥居」や「極楽門」が一直線上に見れます。
 時間が無いので石鳥居までは行けませんが、次の通りです。

石鳥居(重要文化財)
 創健時の木造の鳥居を永仁二年(一二九四)忍性上人が勅を奉じて石造りに改めたのが現在の鳥居である。鳥居の中央に高さ一・五メートル、横一・一メートルの鋳銅製箕形の扁額があり、「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」と浮彫風に鋳出している。{裏に嘉暦元年(一三二六)の銘がある}
 平安時代のものといわれる山形市成沢の八幡神社の鳥居と山形市小立にある石鳥居につぐ古いものであり、昭和九年国の重要文化財に指定されている。
 さて「西重門」から中心伽藍に入り、前ページで説明した「中門・仁王門」の裏側を見み、「五重宝塔」、「金堂」、「講堂」と見て廻ります。説明は伽藍内のスピーカーによりますので、聞き取れなかった場合はパンフレットを参照してください。

五重宝塔
 聖徳太子創建の時、六道利救の悲願をこめて、塔の基礎心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪六毛をおさめられたので、この塔を「六道利救の塔」といいます。現在の塔は昭和三四年(一九五九)の竣工であって、仏舎利は第五層に奉安されています。その規模は下層の大きさ七・四五u、建坪四七・三u、高さ三九・二mであります。
 構造形式は鉄骨鉄筋コンクリート造り、屋根は本瓦葺です。この構造は日本最初のものです。宝塔の壁画は山下麻起画伯の筆、朝日新聞社の奉納、昭和美術の代表作とたたえられています。

金堂
 様式・構造とも五重塔と同様であり、昭和三五年(一九六0)三月に竣工しました。建坪は二三0・八五三u、総高一八・三八mであり、御本尊は救世観音菩薩、芸術院会員平櫛田中氏の指導による二紀会員村上丙氏の作、ブロンズ造像であり、またその周囲に四天王の像が配置されています。壁画は中村岳陵画伯筆、毎日新聞社の奉納、絢爛(けんらん)豪華(ごうか)まさに昭和の代表作であります。

講堂
 法華・勝鬘等の大乗経典を講ずるところでありますから、正確には「講法堂」といいます。冬堂と夏堂から成り、御本尊は十一面観世音菩薩と阿弥陀如来を安置し、昭和三八年(一九六三)に再建されました。様式・構造等は五重塔と同じ、建坪三一七・三九u、総高七・五八m。壁画は郷倉千靱画伯の筆。読売新聞社奉納、雄大壮麗他に類を絶する作品です。
 四天王寺は見るべきところが多く、この中心伽藍の見学は十五分位とし、今年七月より一般公開の「本坊庭園」、「宝物館」、「奥殿」、「聖霊院(太子殿)」、へと見学を進めて行きたいと思います。ご協力をお願いします。
 又、「西重門」から出て、中心伽藍の外側を右手方面へ向かいます。途中、「北鐘楼」、「楽舎」、「石舞台」とその両側の「亀の池」を通り「本坊庭園」入口へ行きます。ここから真後ろを振り返りますとはるかかなたに、「南大門」前の駐車場が見えます。

本坊庭園「極楽浄土の庭」入園の際、共通入場券を提示しパンフレットを貰って下さい。)

 大阪南のど真ん中にあるこの庭は、本坊敷地の東北側にある約一0,000uの庭園で、東側に「大堀池」があります。西南は小丘となって、本坊庫裡につながり、昭和七年(一九三二)わが国造園の権威木津宗泉宗匠の設計指導によって大改修しましたが、戦火で埋もれ又これまで非公開でしたが、再改修が完成し本年七月より一般公開を始めました。大阪には珍しい幽邃な庭園です。
入口で受け取ったパンフレットを見、「極楽浄土」を味わいながら十五分位で見学をお願いします。

四天王寺宝物館(共通入場券を提示してください。)パンフレットを貰ってください。
 四天王寺は創建以来、度重なる罹災のため、貴重な宝物が失われましたが、それでも千三百余年の間、大切に保存されたもの、その後蒐集されたものもあり、現在国宝、重要文化財が五百余点、その他これに準ずる物を展示しています。
先ず、正面に巨大な「行事鐘」が展示され、その両側には織田信長寄進の巨大な「?()太鼓(たいこ)」二基が眼に入ります。
又、聖徳太子が帯びられた伝承を持つ「七星剣(国宝)」等も一興です。
 この「宝物館」も十五分位で見学を終えて頂くようお願いします。
これより、「南大門」の駐車場へ向かいますが、途中、「経堂」、法隆寺の夢殿様式を採り、八根と基壇は八角のであるが堂は円形の「奥殿」前を通り、聖徳太子を祀る「聖霊院(太子殿)を通ります。
 南大門前「駐車場」出発は午後三時十五分です。(時間厳守)南大門横の無料の休憩所のトイレで必ず手洗いを済ませご乗車願います。

大阪市立東洋陶磁美術館 (所要三0分〜五0分)

大阪の都心部に広がる緑と水の空間、中之島公園内にあります。先ず、パンフレットを貰い、会議室にて特別に職員の方より、当美術館の概略を聞き、各自で見学して頂きます。早く見学を終えられた方は、近所の散策も可能です。
 ただ、是非見ておいて頂きたいのが、展示室九番中国陶磁室(宋時代)のNO.9.()(てき)天目(てんもく)茶碗(ちゃわん)、展示室十番(元時代)NO.10.(とび)青磁(せいじ)花生(はないけ)です。中国製ながらもいずれも国宝です。
 美術館前は駐車禁止です。最終出発時間は午後四時四十五分です。四十分には美術館前に館内で手洗いを済ませ集合をお願いします。

第九回秋の史跡学習会参加のご案内
今回の史跡学習会は「なにわの国史跡見学」と題し、次の計画で実施します。
 ご夫婦で、ご家族で、知人・友人をお誘いの上、ご参加頂きますようご案内申し上げます。
一、期日 平成十五年十一月十四日(金)
二、集合場所・時間JR綾部駅北口 午前六時四十五分集合(時間厳守)
(お車でお越しの方は、北口西側に市
営の有料駐車場へ駐車願います。)
 出発朝七時、帰着は午後七時を予定し
ております。
三、見学箇所
  1.(えい)福寺(ふくじ)と聖徳太子磯長(しなが)(びょう)
    2.推古(すいこ)陵古墳(磯長山田陵)
    3.大阪府立(ちか)飛鳥(あすか)博物館(はくぶつかん)
  4.和宗総本山 四天王寺とその
    本坊庭園(極楽浄土の庭)
  5.大阪市立東洋陶磁美術館
四、参加費用 お一人九千円{(づずぼらや)の昼食代、別紙掲載の拝観料込}
五、参加定員 五十名(京都交通バス一台を予定しています。)
 (但し、申し込み超過の場合はお断りしなければなりませんので、お早めに申し込み下さい。)
六、申込方法 十月二十八日(火)までに参加者全員の氏名(ふりがな)・住所・電話番号を明記し、葉書で申し込み下さい。(尚、電話での申し込みはお断りします。)
七、申込先 郵便番号六二三ー000四 綾部市多田町後路二八番地 四方續夫(つぐお) 宛
八、受付と出発案内等は、申し込み受付後、葉書にてお知らせ致します。
(注)見学旅行のご参加には、是非この「綾部の文化財報、第五十八号を持参して頂くようお願い申し上げます。