会報:綾部の文化財第75号(平成24年秋)編集     HP:綾部の文化財
綾部の文化財を守る会研修旅行参加感想記

「なにわの国」の国宝・文化財を訪ねて 2号車 位田町 大槻洋子様

 
住吉大社の国宝・第一本宮本殿をバックに
二号車の皆さん。左、担当の奉賽課長権禰宜の
坂野文俊さん、京都交通ガイドさんも一緒です
 
 最初、市民新聞で見たときには「なにわの国」が遠いことや、‘文化財’ってなにがあるだろうともう一つ興味が持てずにいたのですが、今回縁があって初めて研修旅行に参加しました。

 事前に何の勉強もせずにバスに乗ってしまったので、見逃したり、聞き逃したりしたことが多く、いざ感想を書く段になって慌ててしまいました。

 住吉大社については初詣の賑わいと太鼓橋程度のことしか知りませんでしたので、バスが駐車場に入る前に大きな石灯籠に先ず驚きました。

 次に本殿と思える社殿に第四本宮と表示があり、これは今までに参拝したことのある神社とは違うと興味が湧いてきました。

四人の「神楽女」によるお神楽の奉納と言う正式の参拝は初めての体験で、つい垂れておくべき筈の頭を少し上げては、その所作に見入りました。

厳かな、それでいて清々しい雰囲気で身も心も引き締まって見学のテンションが上りました。

神官の方が宝物殿や境内を詳しく案内してくださるのは、他の観光では知りえないような説明と内容で面白い経験でした。

住吉大社は、現在海まで七キロメートルもあるとのことですが、往事は太鼓橋のすぐ側からが海で、日本の美景の原風景の白砂青松の地で「住吉模様」と言われたと聞きました。あの謡曲「高砂」に出てくると思うと、神官の方が指さされる先の数本残っている立派な松まで貴重なように見えてくるから不思議です。

「住吉造」と呼ばれる様式の社殿が第一本宮から第三本宮まで東から西へ縦に並び、第四本宮は第三本宮の南に建つという矩形(くけい)の配置が珍しく、各社殿が西を正面としているのは、海の彼方の大陸につながる海路を守護している為だろうか等勝手に推測してしまいました。

帰り際に気になっていた石灯籠に近寄って見てみると、糸荷廻船荷主、伏見三十石船頭等寄付した人の名が刻まれています。奥州会津・羽州米澤荷主の灯籠には、貞享だったか享保の年号も刻まれています。寛文十二年に河村瑞賢が西回り航路を整備してから盛んになった海上輸送の安全を祈願したものだろうが、これだけ立派な灯籠が寄付できる財力とお金を掛けても願った航路の困難さも同時に伝わるようで歴史が身近になりました。六百五十基程ある灯籠をいつかゆっくり見て回りたいものです。

堺市では堺観光ボランテア協会の方に南宗寺の千利休一門の供養塔や本当は堺で亡くなった(?)徳川家康の墓、仁徳天皇陵、堺市博物館などを案内していただきました。ユーモアをまじえたお話の中に「堺はものの始まりはなんでも堺やと自慢します。鉄砲やタバコ包丁に線香、自転車、三味線、金魚にチベット探検まで」と出てきて対明や南蛮との貿易や商業で栄えた堺を誇りにする人達の心意気を感じました。

昼食を頂いた「美々卯」は大阪に本店があるので大阪が創業かと思っていましたら、お店のパンフレットによると堺で二百数十年続いた料亭が始まりとのこと、ここでも「始まりは堺」と思わず笑ってしまいました。

帰ってからも江戸時代堺の商人は長崎の生糸取引の権利(糸割符)を持っていたと知り、住吉大社の石灯籠の糸荷廻船荷主はもしかしたら堺の人かな等勝手に想像を広げて余韻に浸っています。

住吉大社は一千八百一年前に神功皇后が新羅出兵に加護を得て祭ったのが始まりで、孫の仁徳天皇が墨江の津を開港し、そこから遣隋使や遣唐使が船出して上代にはシルクロードにつながる国際港になり、堺には住吉大社の御旅所宿院頓宮があり、中世には「自由都市」堺は世界への玄関口になる・・・古代から現代まで遠く大陸までも人や文化が繋がっていることを実感し、ロマンをかき立てられる充実した旅でした。

時間と空間を越えた巧みな行程を組んでくださった役員・事務局の方に感謝し、次の研修旅行も楽しみにしています