「高台寺(北政所ねねの寺)400年祭と太閤秀吉ゆかりの地を訪ねて」
綾部市文化協会後援
第12回秋の文化財・史跡学習会 お知らせ
  事務局 四方續夫
     綾部の文化財会報 63号 転載            HP「綾部の文化財」へ

見学箇所の概略とコースの紹介

 今回の学習旅行は、「綾部が民俗・民具・文化財の宝庫」なら、「京都・奈良は国宝の山」です。

 京都府の国宝の数は254件で正に日本一です。延歴十三年(七九四)に桓武天皇は長岡京から、この地、京都に平安京を遷都されました。京都の最盛期はこの平安時代ですが、源平・鎌倉・南北朝・室町・安土桃山、そして江戸時代へと政権が武士の幕府に移りましたが、なお隠然たる勢力をもち、経済、特に文化上は日本の中心であり続けました。特に安土桃山時代、即ち、豊臣秀吉の時代は京都を「お土居(どい)」で囲み、又、伏見城、(じゅ)楽第(らくだい)など数々の桃山文化の華を咲かせています。

私達は今回「高台寺(こうだいじ)()北政所(きたのまんどころ)・ねねの寺)四百年祭と太閤秀吉ゆかりの地を訪ねて」と称し、豊臣家滅亡の原因となった「方広寺」の「国家安康君臣豊楽」の銘のはいった大釣鐘や豊国神社の国宝・唐門や宝物館、国史跡・名勝指定の高台寺とその有力塔頭(たっちゅう)であり又、国名勝指定の「北庭」のある「ねね終焉の地」圓徳院を特別参拝・見学いたします。これら両寺は隠れた紅葉の名所とも言われています。

午前十時前、豊国神社へ到着です。

 京都スカイ観光ガイドさんが待って居られます。トイレは神社前の道を五十メートルほど国立博物館の方へ歩いていきますと角にあります。 

ここで号車毎に国宝・唐門をバックに記念写真を撮り、号車別に見学です

豊国(とよくに)神社(じんじゃ)(ほうこくじんじゃとも云う)
 当社は京都市東山区大和大路正面茶屋町、旧方広寺大仏殿遺跡地にある。

 京都の人々から「ほうこくさん」と親しまれているが、正式な名称は「とよくにじんじゃ」であり」ご祭神は「太閤記」で今でも有名な前(さき)の関白太政大臣贈正一位豊臣秀吉公である。 
由緒 天下の英傑豊臣秀吉公は慶長三年(一五九八)八月十八日、京都、伏見城で六十二年の生涯を終え、遺命により京都東山連峰の秀峰「阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)」に埋葬された。翌慶長四年には山腹の「太閤坦(たいこうだいら)」に日本最初の権現造りで壮麗にして雄大な

社殿の造営が成され、後陽成天皇により

「豊国大明神」の神号を与えられ神として祀られた。その境内は約三十万坪にものぼり、現在神社の「宝物館」の重文・「豊国祭礼図屏風」(狩野内膳筆)でその当時の規模が想像できるが、しかし、豊臣家滅亡後、この華麗な豊国社は徳川氏によって破壊された。 ただ、現在は豊国神社の飛地境内として、この阿弥陀ヶ峰に「豊国廟」があるが、皆様ではとても登っていけない。

唐門(国宝)

豊国神社の唐門

神社正面石鳥居をくぐり参道を進むと、前面に厳然と威容を誇る大唐門は伏見城の遺構で国宝である。西本願寺・大徳寺と併せ国宝の三唐門と呼ばれている。

 総欅造りで創建当時は彫刻等には金箔が施され、その形式や彫刻などいずれも従来の規格にとらわれず自由奔放な手法を示し、豪華な気風を表現した桃山建築の中でも代表的なものに数えられている。

 又、唐門正面に高くかかげてある「豊国大明神」の御神号額は後陽成天皇の御宸筆によるもので、旧豊国社伝来の勅額である。


宝物館

 桃山風造りの宝物館(大正十四年開館)では、豊太閤ゆかり深い宝物が公開されている。主なものとしては「豊国祭礼図屏風」(狩野内膳筆)、与二郎鉄燈籠(国重文)、桐鳳凰蒔絵唐櫃(国重文)等約八十点が展示されている。

方広寺の大梵鐘

方広寺の大梵鐘

 天正十四年(一五八六)太閤秀吉は奈良の大仏以上の巨大な木像大仏を建立したが、幾度も消失で、現在は豊臣家を滅亡の一つの理由とされた「国家安康君臣豊楽」の銘が入った高さ、四・二メートル、重さ八十二・七トンもある巨大な梵鐘と本堂と大黒天堂を残すのみである。

 出発は十一時です。豊国神社前の道筋でまとまってバスをお待ち下さい。

 

バスは高台寺前の駐車場にはいります

この反対側には、「霊山観音」や又、南には「八坂の塔」など京都の美しい眺望が楽しめます。

昼食は駐車場内の「洗心寮」にてユバを使った京料理をお楽しみ頂きます。 ここには電話はありません。

緊急の連絡は京料理の「羽柴」電話:0七五―五三一―0六六六又は高台寺0七五―五六一―九九六六へ伝言を頼んで下さい。)

昼食は、十二時十五分頃終了、買い物、付近の散策を楽しみ下さい。霊山観音は拝観料二百円で各自払いです。)

注)十二時四十分には必ず「表門」へご」集合下さい。ここで、京都市観光大使・高台寺執事兼圓徳院のご住職・後藤典生師(ごとうてんしょう)と号車毎に記念写真を撮ります。(注)高台寺入り口の庫裏ではありません。

(じゅ)峰山(ぶざん)高台寺(こうだいじ)(臨済宗建仁寺派)

高台寺由来
東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寺寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(きたのまんどころ)(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長一一年(一六0六)開創した寺である。今年が創建四00年にあたり種々の催が実施された。

当初、秀吉の正室北政所が、生母朝日局(あさひのつぼね)追福のため寺町に建てた康徳寺(曹洞宗)を寛永元年(一六二四)建仁寺の(さん)(こう)和尚を中興開山としむかえ、高台寺と号し臨済宗建仁寺派に改宗した。 造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援(寺領五百石)を行った、寺観は壮麗をきわめたという。

しかし、寛政元年(一七八九)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失ったが、次のような国重文や国史跡・名勝の庭を現在も保っている。尚、北政所ねねは天正一六年(一五八八)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(一六二四)国名勝指定の有力塔頭(たっちゅう)「圓徳院」で九月六日七七歳でなくなられた。

表門(国重文・桃山時代)

 薬医門の形式で伏見城から移したという。

開山堂(国重文)

 高台寺第一世の」住持、三江紹益禅師(一五七二〜一六五0)」を祀る塔所である。左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の各子天井には秀吉の使った御船の天井が用いられている。

観月台(国重文

観月台と庭園の一部

 庫裏から廊下を廻って行きますと、廊下が続く、檜皮葺きの四本柱の建物が池の上に見えます。三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物である。

庭園(国史跡・名勝指定)

 庭園は開山堂の()(りゅう)()、西の(えん)(げつ)()を中心として展開されており、小堀遠州の作によるもので、偃月池には、秀吉遺愛の観月台を配し、北に亀島、南の岬に鶴島を造り、その石組みの見事さは桃山時代を代表する庭園として知られている。

 この庭園を楽しみながら圓徳院のご住職後藤典生師の特別「法話」や「お茶」のご接待を私達「綾部の文化財を守る会」

の参加者のみにして頂きます。

霊屋(おたまや)(国重文)

 秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。(しゅ)弥壇(みだん)(仏壇)や厨子には、華麗な蒔絵(まきえ)が施され世に「高台寺蒔絵」と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めている。開山堂とこの霊屋を結んでいる階段を龍の背に似ていることから「()(りゅう)(ろう)」と名付けられた。

 又、霊屋から更に登って行くと、灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席であり、鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席「()(ほう)(あん)」もある。

傘亭(かさてい)時雨亭(しぐれてい)(共に国重文)

 利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。傘亭は内部が竹で放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えるところからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。

 高台寺から階段を下るとすぐ圓徳院に到着です。
圓徳院(秀吉の妻、北政所ねね終焉の地臨済宗建仁寺派)

圓徳院由来

 豊臣秀吉没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長一0年(一六0五)、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。爾来(じらい)北政所を慕い大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が訪れたと伝えられている。ねね、五八歳のことである。これが今日の圓徳院の起こりであり、ねねは七七歳で没するまでの一九年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。 そのねねを支えていたのが兄の木下家定とその次男・利房である。圓徳院は利房の手により高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。寛永九年、ねねの没後九年目のことである。

正門
 当院は木下家初代以降歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷となっていた。そのため正門は長屋門の形態がとられている。

三面大黒天尊天
 福徳信仰の象徴として、豊臣秀吉が念持仏としたといわれる珍しい尊像である。 いわば秀吉の出世守本尊である。御堂は京都御苑から移築したものである。

桧垣の手水鉢
 宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものである。笠石は室町時代の作と考えられている。

歌仙堂
 木下家定の嫡男で若狭藩主だった勝俊は歌の才に恵まれ、後に長嘯子(ちょうしょうし)と号し、歌聖とまで呼ばれた。歌仙堂は長嘯子を祀っている。

北庭(国名勝指定)

北庭(国名勝指定)

 もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園の一つである。賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。池泉回遊式だが枯山水となっている。原点となるのは東北部で、枯滝石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、あるいは蓬莱石組を作る。(池泉にかかる数個の橋は見事な巨石をあてているが、その厚さからくる迫力はこの庭の特筆すべき点でもあろう)このように多数の巨岩大石がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。

障壁画(長谷川等伯「冬の絵」部分国重文)

 桐紋などを散らした唐紙には絵は描かないのが通例だが、この襖絵はすべて桐紋襖の上に描かれた非常に珍しいものである。三玄院住職春屋宗園に襖絵制作を常々懇願しながら許されなかった等伯が、ある日住職が留守であることを知って、客殿に駆け上がり、腕を振るって水墨を乱点し、一気に描き上げてしまったものだと伝えられている。

他にも南庭・書翰(しょかん)襖絵(ふすまえ)など素晴らしいものがある。

 最終出発は「高台寺バス駐車場」を午後三時三十分です。トイレを済ませ時間厳守でお願いします。

「綾部市文化協会後援」 第十二回秋の文化財・史跡学習会参加のご案内 事務局 四方續夫

今回皆様のご要望に答え、又、今回の見学先は副会長のご縁で実現するもので「高台寺(北政所・ねねの寺)四百年祭と太閤秀吉ゆかりの地を訪ねて」と称し次の要項にて募集をします。ご家族、ご友人をお誘いの上、ご参加下さい。
    記

一、期日 平成十八年十一月十六日(木)
二、集合場所・時間 JR綾部駅北口 午前七時二十分(出発七時三十分)山家バス亭七時三十五分
三、見学箇所  豊国神社とその宝物館、方広寺の大釣鐘、午後、高台寺とその塔頭「圓徳院等
四、参加費 おひとり九千円(バス代、拝観料、昼食代、手作り記念写真二枚を含みます。)

五、募集人員 九十名(京都交通貸切バス2台予定)(但し、満員になり次第締め切ります。)
六、申込方法 十月三十日(月)までに参加者全員の〒番号・住所・氏名・電話番号を記入し葉書にて申し込み下さい。特別緊急意外の電話申し込みはお断りします
七、 申込先〒番号:六二三―000四  綾部市多田町後路二八 四方續夫 宛
八、受付と出発案内は申し込み締め切り  後、葉書にてお知らせします。