第三十六回春の研修旅行に参加して    綾部の文化財を守る会のHPへ

   2号車 十倉名畑町 川端桂子

 

出発前夜、「明日は研修旅行で京都市内に行ける!」特に銀閣寺・相国寺・等持院・金閣寺と懐かしい名前を思いつつ寝付かれなかった。

 京都に生まれ主人の郷里・綾部へ帰綾するまで、五十一年間この四ヶ寺の近くや前を通りすぎることがあっても、参観する機会がなかった。

 次々と、聞き覚えのある道路を通り、銀閣寺の庭に、降りたった時は良いお天気にもかかわらず、苔の素晴らしい緑にはびっくり。

 でもどこかで見たような風景、それもそのはず、義政公が身ら、西芳寺へ足を運び参考にして造園されたとか。

 私事ですが、私の実家は西芳寺の近くで、来客が有るときはよく西芳寺を案内した所以(ゆえん)でしょう。

 総門から中門にかけての生垣には、またびっくり、始めて目にする石垣、竹垣、椿と三段生垣、椿の見事に咲いた様子を思い浮かべ、相国寺(しょうこくじ)に向かう。

 京都に居ながらそう国寺と呼んでいたので、勉強になりました。法堂の狩野光信の「(ばん)龍図(りゅうず)」を中心に丸く回って、何処から見ても、龍に見つめられていて印象的でした。

 庫裡の香積院の外観は天竜寺(嵐山)を思い出しました。

 等持院には尊氏公の本当のお墓・宝篋印塔(ほうきょういんとう)が有りここから、関係寺院に分骨されたとのこと。

 足利将軍家歴代二百三十有余年の菩提(ぼだい)所とそれにまつわる文化財はあまりにも有名でした。

 金閣寺は昭和二十五年焼失、三十年に再建、其の後、書物やテレビで時々登場するのを見ていてあまり私は好まなかった。

 西園寺公から譲渡された時は、侘び、寂の、静かな山荘だった筈。義満公は何故金閣にしたのか等考えながら、金閣寺を前にした。今午後の陽を浴び、少し影を池に落とした金閣(舎利殿)は想像以上に美しかった。

 今日は最高の一日でした。