浄土寺を訪ねて 二号車 事務局総務 延町 森本一郎    HP:綾部の文化財

 前回一号車の始発を白道路にしたことが大変好評だったので、今回はニ号車も上林を始発として、山家経由で綾部駅北口に集結し、出発する事と成った。 その効果が出たのか、参加申し込み人数は過去最高の九十五名もあったが、インフルエンザの感染や近所のご不幸などで取り消しが相次ぎ、結局八十一名の参加者で実施する事となった。 駅北口では一名出発前になっても顔が見えないので、電話しても出られないし、どうしたものかと気を揉んでいたら、事務局長が味方から乗られると聞いていたとの事で一安心する。

 私は播磨の有名寺院では、書写山圓教寺くらいしか行ったこともなく、今回は建物が国宝となっている物を多く見せて貰えると言う事で楽しみに出発する。

 兵庫県の南部は、それほど用事もないので来たことが無かったが、丘陵地帯で綾部とは少々様子が違う。播磨と讃岐は、同じ瀬戸内海気候で河川も少なく、奈良と共に溜池の多いところと、ガイドさんの説明であった。麦と米の二毛作の為、遅い田植えの水田地帯からやや小高い丘の裾に着いた。浄土寺である。着いて直ぐ西尾公認ガイドと共に全員で記念写真を撮る。国宝の浄土堂に入る。金箔がしっかり残った阿弥陀如来さんと、脇侍の観音菩薩さん、勢至菩薩さんの三体が、圧倒的な迫力で我々を迎えて下さった。これまで色々な仏さんにお出会いしたが、今回ほど感動した事はない。オォーと言った感じである。天井もない屋根裏丸見えの空間一杯にお立ちになったそのお姿は、実に我々を魅了するものだった。快慶作とのこと。桧四本の寄木造りで、その基台は床下の地面に有るとの事である。八百年間動く事無く変わらぬお姿とのこと。あまりの感動で拝む事も忘れて見とれていたら、西尾ガイドさんに「お堂に入ったら先ず仏様に挨拶する(手を合わせる)ものだ」と、お叱りを受けた。以後気をつけよう。それにしても此のお堂の木組みは立派なものである。虹梁を支える挿肘木、豪快に丸柱に文字通り挿し通されている。その組方も良く考えられていてバランスが良い。屋根を支える垂木受けのもやを、桁から天秤状の腕木で上下に支えてあった。この様な処理をされた建物は初めてである。天竺様と言うそうだが、建築学会で注目されていることも良くわかる。

 堂内の木材は朱で塗られていて、仏像の金色と良く合い夕日の光が入ったら素晴らしい浄土が見られる事だろう。外に出て軒端を観ると確かに垂木の端は化粧板で隠されている。又、軒丸瓦も軒平瓦も蓮華模様や唐草模様でなく、「南無阿弥陀仏」といずれも文字が入っていた。これは国内にニ、三例しかない貴重な物との事であった。いずれにせよ平安時代の終わりから鎌倉初期の建物であり、それがそのまま遺っているという事は素晴らしい事である。もう一つ感激したのは、明治の初めの神仏分離令で、従来全国的に神仏混合であったものが破壊され、今ではその形態を見る事は出来ないものと思っていたが、ここにはそのまま、しかも鎌倉時代から室町時代に建てられた八幡神社と共に、存在していた事が嬉しく、又それが見られたことで、この旅に参加した甲斐が有ったと満足に思った。

 今回は、此の浄土寺の印象があまりにも強かったので、感想もここで止めたいと思う。此の地方に一乗寺や鶴林寺など、いずれの建物も、物としてだけではなく、その教えと共に八百年の昔から延々と守られて来たことに、深い感銘を受けた。

 地味な旅ではあったが、適度な歩行距離で天気も良く、定刻に無事帰着できたことは世話役としても幸いだった。