播磨の国の国宝と文化財を訪ねて 第39回春の研修旅行 綾部市文化協会後援
 
事務局:四方續夫  綾部の文化財を守る会HP

見学箇所についての概略とコースのご紹介

 今回「播磨の国の国宝と文化財を訪ねて」と称し研修旅行を設定しておりますが、播磨の国(兵庫県)は広大で瀬戸内海の尼崎から姫路を越え赤穂まで含みますが、今回訪れるところは、小野市、加西市、加古川市、明石市ですので「東播磨」と呼ばれる地域となります。
 見学して頂きたい所が多数ありますが時間の都合上で、四ヶ所に絞らせて見学及び参拝頂くことになります。特に加西市の一乗寺の本堂は改築中で今までに八年もかかっており、まだ完成は八年後の諭旨ですが、国宝の三重塔は良く見れますので、本研修旅行を決行する旨、ご了承頂き、ご参加をお願いします。
 又、上林・山家地区及び物部地区の方に是非ご参加頂きたくバス2台を廻しますので是非とも多数の方の申し込みを頂くようお願い申し上げます。

浄土寺(真言宗)  (到着9時50分、出発10時50分予定)

小野市の浄土寺の国宝・浄土堂

兵庫県小野市(きよ)(たに)にある浄土寺の駐車場到着から徒歩五分で到着です。東に朱塗り白壁の壮麗な建物が見える。階段を上ると、左手に鐘楼堂(県指定文化財)が見える。そして、右手の朱塗りの建物が国宝の浄土堂(阿弥陀堂)である。

浄土堂(阿弥陀堂)国宝
 鎌倉時代の初頭は浄土宗、浄土真宗、禅宗などの新宗派がつぎつぎと起こり、宗教界に清新の気風が入って来た時代であり、同時に仏教建築においても、唐様・大仏様(天竺様)が伝えられ多彩な建築様式が広がりました。特に、大仏様(天竺様)建築は構造力学的な原理に即した合理性を尊重し、それに徹しようとしたものであったため、建築の美を実用にもとめ真の建築美を構造の合理性に表したものであります。この浄土寺の国宝、浄土堂は奈良の東大寺南大門と並んで、大仏様(天竺様)建築を代表する最も大切な建物です。
 この浄土堂は桁行三間、梁間三間、巣層、屋根宝形造、柱間の隔たりは二0尺という広いものです。
 鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事が始められた際、大勧進職となった俊乗房重源上人は、領所として与えられた大部荘に壮大な寺院を興しましたが、そのときのままに残っているのがこの浄土寺です。
 創健の建久三年(1192)から昭和32年まで約770年間一度も解体されずに持ちこたえてきた偉大な建物です。
 東大寺南大門とともに全国にただ二つしかない大仏様(天竺様)の建物で雄大な円柱から何本も突き出ている(さし)(ひじ)()()(ばな)、この(さし)(ひじ)()とを結ぶ厚みに富んだ(こう)(りょう)、天井を張らずに化粧屋根裏を高いところまで見せている雄大さは、重源上人の雄渾(ゆうこん)な気迫と大陸風のおおまかな雰囲気に見るものは圧倒されてしまうほどです。柱にエンタシスをもっていること、斗の下に皿を付けている(たる)の配りかたが四隅だけ(おうぎ)(たる)としていること、(たる)(ばな)に鼻隠板をうちつけていることなど、純粋な天竺様の建築手法はこの浄土堂の昭和三二年の解体で解明されてきたものです。又、背景の透かし(しとみ)()からさし込む西陽が化粧屋根裏につかえんばかりの阿弥陀三尊像を西方極楽浄土よりの来迎の姿として浮かび上らせる、まさに浄土思想の建築的表現の究極(きゅうきょく)とでもいうお堂でもあります。

木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(国宝)
 浄土堂の本尊で、浄土堂創建当時につくられ、安置されたものであり、阿弥陀如来立像の高さ530センチメートル、脇侍の観音勢至の両菩薩立像はそれぞれ370センチメートルあり鎌倉初期の名仏師快慶の作です。丈六の坐像は諸地方に多く残っていますが、立像は珍しくその上、安定に細心の注意を払い、特殊な据え付け方をしています。作風を見ると、鎌倉初期の写実風がかなり濃厚あらわれ、且つ、雄渾な気迫に満ちています。  しかし、宋朝風の影響も見逃すことができません。これも浄土堂と同様、当初より大きな修理をせずにいる優秀なもので昭和39年に新国宝に指定されました。いづれも雲形(くもがた)の台座に立たれ朱色の屋根裏いっぱいまでの重量感で西陽に浮かび上がる来迎の御姿は重源上人や仏師快慶そして多くのお弟子様達の阿弥陀信仰の篤さを物語っているかのようです。

薬師堂(国重文)
 桁行五間、梁間五間、単層、屋根宝形造、本瓦葺。
浄土堂とほぼ同形同大の建物で、浄土堂と相対し、浄土寺の根本道場となっています。もと浄土堂と同様に、重源上人によって建立され、天竺様の堂々とした姿を示していましたが、室町時代の中頃に消失し、その後、永年一四年(1517)に再建されたのが今の建物です。
 したがって、天竺様の建て方をしていても浄土堂ほどの純粋性がなく、和様や唐様の手法を混じているのを惜しまれています。

八幡神社拝殿・本殿(国重文)
 大和の東大寺に鎮守の手向山八幡宮があるように、同寺の末寺には鎮守八幡の建てられているところが少なくありません。この浄土寺でも鎌倉時代後期の嘉禎元年(1235)に八幡宮を建てたことが寺記に載せられ、現在の拝殿と本殿はその遺構とされています。

その他
文殊堂、経蔵、開山堂(重源上人の開山)不動堂、八十八ヶ所霊場等があります。

一乗寺(天台宗) (到着11時20分、出発12時10分

加西市の一乗寺の国宝・三重塔

由緒
 法華山一乗寺はインド(りょう)鷲山(じゅせん)の五百持明仙の随一・法道仙人の開基である。仙人一日仙苑を出て紫雲に乗り、中国朝鮮を経て日域に入り、当山に留まって法華経を読誦し、(みつ)(かん)を修し、千手飛鉢の法を示して有情を教化し、仏法弘通の時機を持ち給えりという。
 大化五年(649)時の帝孝徳天皇不与の病あり。即ち左大臣阿部倉内に宣して仙人を宮中に召し入れ玉躰(ぎょくたい)を加持せしめ給う。仙人一七日の間加持し奉るところ、玉躰たちどころに平癒し給う。仙人山に帰り、この年本堂建立の勅あり、超えて白雉元年(650)9月落慶法要ありて、孝徳天皇法華山に行幸あらせられ一乗寺の勅額を賜る。仙人伝来の観音像を安置して永く鎮護国家の道場となし給う。

 永延元年(987)花山法王、西国三十三ヶ所巡礼の砌り、第二十六番札所となし給い、
 
春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の崋山
と御詠あり。爾来庶民信仰の霊場として済世利民の益多く、巡礼の同行者絶えることなく今日尚盛んである。

(注)この花山法皇の出家巡礼を契機に各地の巡礼道が整備され、室町時代には今生の罪と穢れを巡礼で消滅させようとする人々の願いによって、現在のあやべ西国観音霊場三十三ヶ寺番外六ヶ寺の前身「何鹿郡三十三ヶ所」が設定されたのもこの頃と言われています。 駐車場から少し、歩いた所にトイレが有りますので済まして、参拝・見学をします。

金堂(本堂)(国重文)
 本尊・銅造聖観世音菩薩(国重文・秘仏)創建白雉元年(650)孝徳天皇勅願、法道仙人開基、再建寛永五年(1628)姫路城主本多忠政公発願、梁間九間、奥行八間で現在仮本堂で修復中です。

三重塔(国宝)
 残された銘から平安時代末期承安元年(1171)に建築が始まり、数年のちに完成したことがわかる。屋根の上の(そう)(りん)と塔全体のバランスがよく古風を残す。

その他、護法堂・妙見堂・弁天堂・五輪塔等いずれも国重文である。

昼食「ドライブイン土岐(12時30分から1時20分予定)姫路市飾東町豊国5411 電話:0792-53-8355 (注)この店での売店は小さく品数も少ないので各所で買いたいものが有ればその場でご請入して下さい。

鶴林寺(天台宗・聖徳太子創立)(1時50分から2時50分予定)

加古川市の鶴林寺の国宝・本堂

高句麗(朝鮮)の僧、恵便法師が、物部氏ら排仏派の迫害を逃れてこの地に身をかくしておられたので、聖徳太子は法師の教えをうけるため、この地に来られた。のち、(はたの)川勝(かわかつ)に命じて精舎を建立し、(とう)田山(たやま)四天王寺聖霊院と名付けられたのが、当寺のはじまりであると伝えられている。養老二年(718)武蔵の国「大目身人部春則」が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、さらに九世紀の初め、慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄られ、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願され以後天台宗になった。天永三年(1112)鳥羽天皇から勅額をいただき、「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定められた。鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛時代をむかえ、寺坊三十数ヶ所、寺領二千五百石、楽人数十名がつねに舞楽を奉していたといわれたが、戦国時代にいたって信長、秀吉らの弾圧、さらに江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰微せざるを得なかった。しかし一方、「(とう)()の太子さん」とよばれて庶民の信仰あつく、又「播磨の法隆寺」とよばれ、多くの文化財が護持され、人々の信仰のやすらぎの場となっている。
正面の「仁王門(県指定文化財)から拝観料を支払い真正面に国宝・本堂をみながら入山して行きます。

本堂(国宝・室町時代)
 和様・大仏様・禅宗様の折衷(せっちゅう)様式の代表作で本尊は木造薬師如来像であるが秘仏である。他に日光、月光、毘沙門、持国、十二神将を祀る。

太子堂(国宝・平安時代)
 宝珠をいただいた檜皮葺(ひわだぶき)の優美な県下最古の建築である。本尊は釈迦。文殊、普賢、四天王を祀り、天井に典雅な仏天蓋を吊す。堂内には長年のススでおおわれた九品来迎図、仏涅槃図、桂絵その他の壁画が画かれているが肉眼では見えない。

鐘楼(国重文・室町時代)
 袴腰造りの優美な建築である。

青銅梵鐘(国重文・高麗中期)
 右記の鐘楼の中の朝鮮鐘で「黄鐘調」の妙なる音色は有名である。

当寺の文化財は多く、国重文では、常行堂、行者堂、護摩堂等もあり、宝物館には入り口に、野外で使われた楽太鼓の縁と太鼓断片(国重文)や多くの絵画等が見学できます。

明石市立文化博物館 (3時20分から4時10分予定)

明石市立文化博物館

 明石城の横にあるこの「明石市立文化博物館では左記の通り、瀬戸内海を持つ明石市を系統だって理解できる様に展示されております。
 アカシゾウの骨格見本一対を初めとして、①明石のあけぼの、②大昔の明石、③機内への入り口・明石、④明石の焼き物、⑤明石の農業、⑥明石の漁業、⑦明石城と城下町、⑧のびゆく明石









「綾部市文化協会後援」第39回春の研修旅行参加の案内
 今回の研修旅行は「播磨の国の国宝文化財を訪ねて」と称し、出来るだけ多くの方にご参加頂きたく京都交通貸切バス担当にお願いし、バス2台の運行を検討し、物部方面、上林、山家方面へもバスを廻しますので申し込みをお待ちしております。
一、期日 平成19年6月7日(木)
  一、最終集合場所・時間 JR綾部駅 北口午前8時
  二、見学箇所
     小野市の浄土寺、加西市の一乗寺、加古川市の鶴林寺、明石市立文化博物館
  三、参加費 お一人9、000円(貸切バス代、昼食代、拝観料、心付、手作り記念写真代を含みます。)
  四、募集人員 90名(京都交通貸切大型バス二台予定)
  五、申込方法 5月18日(金)までに参加者全員の〒番号・住所・氏名・電話番号・乗車地を記入し、葉書等で申し込み下さい。電話での申し込みはお断りします。
  六、申込先 〒623-0004 綾部市多田町後路二八番地 四方續夫(つぐお)宛
  七、受付と出発案内は葉書にてお知らせします。尚、この会報六四号を持参し、ご参加願います
      なお会員外の方は、年会費1000円で会報を年2回配布しますので申し込み、ご参加ください。

行程表
①号車:綾部・白道路=下市バス停=新庄バス停=JR綾部駅北口合流=
    7:30   7:40  7:45   8:10
②号車:綾部:大町バス停=井根口バス停=下十倉バス停=山家バス停=
    7:25   7:40   7:50     7:55
 JR綾部駅北口合流==綾部IC==西紀SA==(中国道)=

    8:10        8:50 9:05
==滝野社IC==小野市・浄土寺参拝・見学==加西市・一乗寺===
         9:50  10:50 11:20 12:10
==昼食:ドライブイン土岐===加古川市・鶴林寺(国宝太子堂内特別
 12:30  1:20    1:50
参観)==明石市立文化博物館==伊川谷IC==(阪神高速7号道)=
2:50 3:20  4:10
==布施畑JCT==(山陽道)==西紀SA==綾部IC==JR綾部
           5:30 5:45       6:20
駅北口①号車==新庄バス停==下市バス停==白道路
         6:40   6:45   6:50
   ②号車=山家バス停=下十倉バス停=井根口バス停=大町バス停
        6:40   6:47  7:00   7:30頃