右、国宝仁和寺の金堂

 

「私と仁和寺」

     二号車 位田町 村上一昭

 
国宝仁和寺の金堂 

 私が仁和寺を初めて知ったのは、次のことがきっかけでした。

 それは高校の古文「徒然草」の授業でした。第五十三段です。徒然草を読み進めて「仁和寺の法師」の場面で、滑稽な失敗談がこの上おかしくて愛嬌と人間臭さに何かしら親しみを感じて、私の脳裏からその話が離れませんでした。まだ若かった頃の思い出です。

 京都の大学に入ってすぐに仁和寺に足を運んでいました。仁和寺ってどんなお寺かな、どんな風景なのかな、と興味があったのでしょう。ちょうど時はあたかも御室の桜が満開の頃でした。

 その話とは、仁和寺のある法師が酔って興に入り、傍らあった(あし)(かなえ)を頭に載せて舞うと大いに場が盛り上がりました。

 ところが無理やりに押し込んだために、

(あし)(かなえ)をいざ抜こうとしてもびくともしません。首の周りは腫れ上がり息も苦しくなる。割ろうにも割れない。仕方なく京の中心部にいる医者まで引いて連れていったが医者もお手上げ、耳と鼻が千切れても命が助かればと思い切り引き抜くと本当に耳と鼻がとれて長い間患ったという悲惨な話であった。

 第十五回秋の文化財史跡学習会で仁和寺を訪れることになり、この話を思い出した。

 はしゃぎ過ぎも程ほどに・・・という教えか、冗談も過ぎないように、という戒めかもしれないが、本当に痛ましい話である。

 作者の吉田兼好もこの仁和寺門前の双ヶ丘に住んでいたと言われています。きっと仁和寺の法師の生活をみたり、日々の交流の中での見聞がこのような話につながっていったのではないかと思います。

 実際にあった出来事だったかは分らないが。

 こうして仁和寺と出会った私は、次には御室の桜に心を奪われ、また、なぜ御室の桜は背が低いのか、なぜ遅咲きなのかの疑問にぶつかり、私を仁和寺から引き離しませんでした。

 何度も何度も訪れるたびに、新しいことに気がつき、次々と知りたいことが涌いてきて仁和寺のとりこになってしまいました。

 仁和寺の歴史、各伽藍の建築物、個々の建物のいわれや素晴らしさ、多くの仏像や仏画、庭園は勿論、仁和寺と関わる人物など、吉田兼好の「徒然草」が私と仁和寺を結びつけることになろうとは、今振り返っても想像もつきませんでした。

 京都双ヶ丘北麓の清閑の地に、真言密教の教えを伝えている仁和寺を訪れ、王朝の美に満ちる大伽藍や建築物、庭園をこれからもまた味わいたいと思うし,四季それぞれの雄姿に出会いたいと、なつかしく感じた今回の旅のひとときでした。