「飛鳥の国宝・文化財を訪ねて」        HP:綾部の文化財TOPへ

一号車常任幹事・白道路町 上原 光 氏

 
国特別史跡「石舞台古墳」をバックに一号車の皆さん 

去る六月三日快晴の一日。私達一号車は「赤いリボン」をつけて、甘橿丘万葉展望台、飛鳥寺の国重文の飛鳥大仏を観て昼食、午后は石舞台古墳、岡寺を経て奈良県立橿原考古学研究所附属博物館へと到着しました。

 この博物館は橿原考古学研究所が昭和十三年以来の調査による出土品を展示されている見ごたえのある博物館であると聞いていました。

 今回、幸いにも「平城遷都千三百年記念春季特別展、大唐皇帝陵展」が開かれていました。

 正面フロントの右の室から特別展示があり、学芸員の説明を受けながら移動しました。今回私が特に興味をもったのは、玄宗皇帝の兄の譲皇帝の陵墓から発掘された「ひざまずく文官」という跪拝(きはい)(よう)でその大きさは小学生程もあるとても大きなでした。その形状といい、また、顔の表情といい、見事なまでに写しだされたとても立派なものでした。学芸員の説明によるとこの人物の階位はそう高いものでないとの事でした。それはの着衣とか足裏を見せて(ひざまず)いている形などから推測されるそうです。

 私達がこうして千三百年前のを始め数々の立派な副葬品を見ることができるのは、全く有難いことですが、この間よく盗難にも会わずに来れたものだと感心します。学芸委員の説明によると、中国の陵墓は一山(ひとやま)全部を陵としてその山の周囲を土で囲み、墓守を常駐させて盗掘を防いでいるとの事。日本では考えられない事で、現に古墳の中で盗掘されなかったものは極めて少ないと云われます。

 私達の近辺の小さい古墳でさえ、盗掘の跡がはっきりしているものを見ることができます。

私は、いつ頃の時代に盗掘されたのか疑問に思っていましたが、ボランテアガイドさんの説明によると、鎌倉時代の武士集団が広く墓荒しをしていた頃があったとの事でした。日本もエジプトも墓荒しは集団でしていたのかと妙な納得をしています。

 さて、その他の心に残る展示には恵陵の壁画があります。この壁画は模写ですが、横の長さが七米、縦が三米の大きなものでそれぞれに青龍と白虎の図が画かれていました。あまりのスケールの大きさに驚いて見惚れておりました。

 また、中国の一級文物としては三彩女子立像二躰・螺銅(らどう)八花鏡など価値のある優れた出土品も見ることができました。

 続いて常設館に進みますと第一展示室では旧石器類が展示されその作り方などの説明があり、縄文時代、弥生時代の大和地方の当時の人々の暮らしぶりが想像できて楽しいものでした。しかし、何といっても見ごたえのあるものは第二展示室の古墳時代の大和地方の埴輪群です。円筒埴輪や形象埴輪がそれぞれの個性を持って私達に語りかけて来るようです。

 第三展示室は飛鳥・奈良時代の展示になりますが、飛鳥時代になると古墳の数が急に少なくなり身分の高い人たちだけのものになっていく様子など知ることができました。

 また、当時の古代寺院の瓦の実物やその製法などの解説も私達の想像を刺激し楽しいものでした。近いうちにもう一度訪れたいものだと思いながら博物館を後にしました。

 今回の研修旅行を計画し実施して下さいました会長さん始め役員の皆様に心からお礼申しあげ、秋の研修旅行を楽しみに待ちながら拙い筆をおかせていただきます。皆さん本当にありがとうございました。