「綾部市文化協会後援」

第四十一回春の研修旅行

「飛鳥の国宝・文化財を訪ねて」

             事務局 四方續夫

 

 今回の春の研修旅行は久し振りに奈良県の明日香村を訪れます。明日香村は合併も無く独特の生き方で、特に毎年の如く、新しい発掘により歴史が塗り替えられようとしています。今回は見学できませんが、特に平成二0年二月七日には真弓鑵子(かんす)塚古墳で特別史跡「石舞台古墳」のものより一回り大きなものが発掘された。又、平成二十一年二月の発掘により、今回訪れる甘橿丘万葉展望台の下の北東の位置にある「飛鳥(きよ)御原宮(みがはらみや)」の最大推定範囲が倍近く今回最初に訪れる「飛鳥寺跡(安居院(あんごういん))」もこの宮の範囲に入っていたことも判明した。更に平成二十二年は甘橿丘の中腹には蘇我氏別邸の城柵と思われる柱穴列が発掘され、日本書記による「上の宮門」「谷の宮門」の城柵であろうと言われています。

 見学箇所が余りにも多いので、役員会で検討し、五ヶ所に絞りました事ご了承をお願い申しあげます。

 

 

「日本最古の飛鳥大仏」新西国第九番霊場

聖徳太子遺跡第十一番霊場

国史跡「飛鳥寺」

飛鳥の案内はボランテアガイドさんの御世話になります。

(到着、午前十時二十分頃・出発十一時)

号車毎に記念写真を撮ります

飛鳥寺略縁起

 飛鳥寺は第三十二代崇峻天皇四年(五九六)の時、蘇我馬子が発願し、創建された日本最初の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院(あごいん)・真言宗)とも呼んだ。近年(昭和三十一年)の発掘調査により、創建当時の寺は塔を中心に東西と北にそれぞれ金堂を配する日本最初の本格的寺院で、その外側に回廊をめぐらし、更に講堂を含む壮大な伽藍であった。本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)

は推古天皇十七年(六0九)天皇が詔して、鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像である。旧伽藍は仁和三年(八八七)と建久七年(一一九六)の火災によって焼失し、室町以降荒廃したが、江戸時代の寛永九年(一六三二)と文政九年(一八二六)に再建され今日に至っている。現在は真言宗豊山派に属し、新西国霊場第九番、新聖徳太子霊場第十一番札所でもあります。

寺宝

一.本尊飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像・

国重文)

 推古天皇十三年(六0五)、天皇が聖徳太子や蘇我馬子及び各皇子と誓いを立てて発願し、同十七年(六0九)鞍創鳥(()()仏師)によって造られた日本最古の仏像である。高さ三メートルで当時銅十五トン、黄金三0キログラムを用いて」造られた。平安・鎌倉時代の大火災で全身罹災(りさい)、後補を受ける。しかし概形には飛鳥彫刻らしい形をとどめ、細部にもはっきりした飛鳥の特色を伝えている。

その他の宝物

一.阿弥陀如来座像(木像藤原時代)

一.聖徳太子孝養像(木像室町時代)

一.弘法大師坐像(木像 時代不詳)

一.飛鳥寺形石燈籠(南北朝時代)

一.万葉歌碑(昭和十二年佐々木信綱博士の筆による山部赤人の長歌を、近衛文麿氏の筆による(てん)(がく)が刻まれ、昭和の国宝的存在である)

一.他にも、飛鳥大佛標石などや木像がある。

一.蘇我の入鹿の首塚

飛鳥寺の裏側に歩いて数分の所に南北朝時代の石塔があるので見に行かれると良い。

左、蘇我の入鹿首塚

左手奥に見えるのが耳成山です。

 

甘橿丘万葉展望台

(到着十一時十分〜十二時出発)

 

標高一四八メートルの山で通路は舗装され、ゆっくり十五分で展望台までいけます。此処からは素晴らしい大和(やまと)三山(さんざん)

展望できます。左の方から畝傍山(うねびやま)(標高一九八・一メートルで男山)でこの山を御神体とする橿原神宮があります。真ん中の山(上記写真)が(みみ)成山(なしやま)(標高一三九・七メートル、女山)、一番右手が()具山(ぐやま)(標高一五二メートル、女山)で、藤原宮は丁度その三山に囲まれた所にあります。又、万葉集巻一―一三で中大兄山歌(後の天智天皇)で「香具山は 畝傍をしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし (いにしへ)も (しか)にあれこそ うつせみも 妻を(あらそ)ふらしき」と一人の男性を二人の女性が争っていることを歌で表しています。

 又、国特別史跡の藤原京は現在水田の中に史跡として大極殿と朝堂院の一部が復元され続けており、今後に期待したい。

 

昼食場所「橿原オークホテル」

〒六三四―00六橿原市久米町

電話:0七四四―二三―二五二五

FAX:0七四四―二三―二九0一

(午後:十二時十分〜十三時出発)

 お土産のまとまっての買い物場所はありませんので各所で随時お買い求め下さい。

 

左、石舞台古墳

国指定特別史跡「石舞台古墳」

(十三時十五分〜十四時)

 

 石舞台古墳は古くから墳丘の土が取り去られ、石室の天井石が水田のなかに露出していた。本格的な発掘調査は昭和八年(一九三三)から昭和十年にかけて行われ、石室や墳丘すそ、周濠のようすが明らかになった。第二次世界大戦後も周濠外堤付近の整備工事にともなって発掘調査が実施され、石舞台古墳の築造により破壊整地された小古墳などが発見されている。

 石舞台古墳の墳丘は、すその部分で東西各辺の長さ約五十五メートル、・南北各辺の長さ約五十二メートル・高さ約二〜三メートルのほぼ方形に残っているが、その上は既に破壊されてわからない。

 墳丘の周りには底辺幅約八・一メートルの壕と底辺幅約十メートルの外堤をめぐらし、墳丘四周と外堤の斜面には人頭大の花崗岩自然石を敷いている。

 石室は少し整形を加えた強大な花崗岩を積み上げた両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室の規模は、全長二十・五メートル玄室の長さ七・八メートル、幅約三・四メートル、高さ約四・八メートルで大小三十数個の花崗岩が使用されており天井に使われている石の重さは北側が六十四トン、南側が七十七トン総重量は約二千三百トンという大規模な古墳であることが判明している。

 石舞台の由来は、一般に石の形状からとされていますが、昔狐が女性に化けて石の上で舞をみせた話や、この地に遣って来た旅芸人が舞台が無かったので仕方なくこの大石を舞台に演じた話もあります。今は石の上に登ることは禁止されています

 又、「綾部市史上巻の六十五頁に綾部の山家地区の「西原遺跡」のうちの「申酉遺跡」当会のホームページ「西原遺跡」

を見て頂きますとこの明日香村の「石舞台古墳」と大変似たものがありますので

是非機会があれば見学して下さい。

西国三十三所第七番札所・東光山(りゅう)蓋寺(がいじ)

真言宗・岡寺

十四時十分〜十五時)号車毎に記念写真を撮ります。

熱祷(ねつとう)千三百年)

創建の伝説と義淵僧正

 天智天皇二年(六六三草草)草壁皇子

のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され、創建一千三百余年の歴史を持っている。このため本尊や義淵僧正像など国宝、重文七件のほか多数の宝物がある。

 義淵僧正は奈良東大寺の基を開いた良弁僧正や菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として知られている。また「扶桑略記」(平安時代の史書)によると、義淵僧正の父母は子宝を観音に祈った。その結果生まれたのが義淵。この有り難い話を聞かれた天智天皇が岡の宮で義淵を草壁皇子と共にお育てになった。

厄除け信仰と龍蓋寺

 義淵僧正は優れた法力の持主でもあった。その頃、この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいた。義淵僧正はその悪龍を法力によって小池に封じ込め、大石で(ふた)をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺」の原点となっており、本堂前に「龍蓋池」が今もある。

 こうした伝説は「災いを取り除く」信仰に発展、密教の普及と共に鎌倉時代には「二月(現在三月)初午の日に必ず岡寺に参詣した」という「水鏡」の記録もあるほどで、それまでの観音信仰に厄除け信仰が加わり、日本最初の厄除け霊場が形成された。

西国札所と岡寺(龍蓋寺)

 観音様の御名を呼べば観音様は三十三の化身により衆生を救済されるとの信仰のもとに、西国三十三所観音霊場巡りが盛んになってから約一千年の歴史がある。

 岡寺はその前から観音霊場として栄え、創建以来「熱祷(ねつとう)千三百有余年」常に大衆の幸せを願ってきた。

岡寺の石の鳥居を通リ坂道を五百メートルばかり、ゆっくり登ると朱塗りの「仁王門」(国重文)石段を左側へ登ると広い境内にでる。此処には南面した本堂・開山堂・書院・本坊・楼門・観音堂などが不規則に建つ。本尊は「如意輪観音坐像」(国重文)で日本最大、最古の塑像(そぞう)

である。注・塑像胎内に一本の心木(しんぼく)があり銅線で芯を造り、麻布や雲母の入った仕上げ土で固めて創ったものです。

 「岡寺の三重塔」文明四年(一四二二)台風により倒壊し、実に五百余年ぶりに昭和六十一年秋、弘法大師記念事業として再建されたものです。

奈良県立

橿原考古学研究所附属博物館

(十五時十五分〜十六時十

世界的にも有名な博物館のあらまし

この博物館は、橿原考古学研究所が昭和十三年(一九三八)以来行なってきた発掘調査の出土資料を中心に展示されています。展示は発掘調査で出土した実物資料の常設館「大和の考古学」は日本の考古学基準資料をもとに「目で見る日本の歴史」となっています。今回は「平城遷都千三百年記念春季特別展」で唐王朝の皇帝と皇族の陵墓にスポットを当て、最新の考古学的成果を用いた、世界最高権力者が眠る唐皇帝陵の実態を見学します。

左、野外展示の横臼式石棺・七世紀

第四十一回春の研修旅行参加の案内

 今回の研修旅行は「飛鳥の国宝・文化

財を訪ねて」と称し、出来るだけ多くのにご参加頂きたく京都交通貸切バス担当にお願いし、バス二台の運行を検討し、上杉、物部方面、上林、山家方面へもバスを廻しますのでご多数の方々申し込みをお待ちしております。

    

一、期日 平成二十年六月日(木)

二、集合場所・時間は乗車場所により違

いますので、出発時間より十分ほど

早めにご集合をお願いします。

三、見学箇所

  飛鳥寺、甘橿丘万葉展望台、石舞台古墳、岡寺、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

四、参加費 お一人九、000円(貸切バス代、昼食代、拝観料、心付、

  手造り記念写真代を含みます。)

五、募集人員 九十名(京都交通大型貸切バス二台予定)

六、申込方法 五月十八日()までに参加者全員の〒番号・住所・氏名・電話番号・乗車地を必ず記入し、葉書等で申し込み下さい。但し、満員になり次第締め切ります。叉、電話での申し込みはお断りします。

七、申し込み先:〒六二三@@―000四

綾部市多田町後路二十八番地

四方續夫宛

八、受付と出発案内は葉書でお知らせします。


                    行程表

@号車:上杉バス停=白道路公民館=物部たきたて=新庄バス停=綾高前バス停

06:40     06:50      06:55     07:00    07:20

=綾部駅北口(合流) A号車:市野瀬バス停=大町バス停=寺町バス停=井根口

     07:30           06:30      06:35   06:40    06:45

バス停=十倉場バス停=山家バス停=綾部大橋バス停=綾部駅北口(合流)

       06:55     07:10      07:20        07:30

綾部IC=西紀SA(休憩)=東大阪PA(休憩)=(南阪奈道)=飛鳥寺====

08:05 08:20  09:20 09:35         10:20 11:00

甘橿丘万葉展望台橿原オークホテル(昼食)==石舞台古墳==岡寺

 11:10    12:00  12:10   13:00       13:15 14:00 14:10 

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館==(南阪奈道)=名塩SA(休憩)=

15:00  15:15            16:10         17:35 17:50 

 =西紀SA(休憩)--=綾部IC=綾部駅北口(19:20頃到着)@号車:綾高前バス停

   18:25 18:40                             19:30頃

=新庄バス停=物部たきたて=白道路公民館=上杉バス停A号車:綾部大橋バス

 19:40頃   19:45頃    19:55頃     20:00頃       19:30頃

停=山家バス停=十倉バス停=井根口バス停=寺町バス停=大町バス停=

   19:35頃   19:45頃  19:50      19:55      20:05頃

=市野瀬バス停

 20:10頃