「綾部市文化協会後援」第十八回秋の文化財・史跡学習会       HP:綾部の文化財へ

「黄檗宗大本山・萬福寺と西国第十番札所・三室戸寺の文化財を訪ねて」

11月28日()午前8時綾部駅北口出発  事務局 四方續夫

見学箇所等についてのご案内

当会の秋の文化財・史蹟学習会では臨済宗七禅刹・由緒寺院を見学して参りました。今回は日本三禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の一つ黄檗宗大本山万福寺の素晴らしい伽藍(二十三棟の国の重用文化財建築)と隠れた紅葉の名所・西国観音霊場第十番札所の三室戸寺を見学します。 

黄檗宗大本山 黄檗山「萬福禅寺」

(到着10時30分頃、見事な中国明朝時代の様式を取り入れた伽藍を見学後、出発12時・時間厳守)

駐車場で京都散策愛好会の専門ガイドさん2名が待っておられます。そこから徒歩5分、京都交通のバスガイドさんとペアーで号車毎に案内して頂きます。

右下、萬福寺の見事な国重文の三門

 先ずはこの三門をバックにして号車毎に記念写真を撮ります。その後、号車毎に見学します。

 京洛の(たつみ)(南東)、妙高峰の麓に中国風の伽藍が整然とたたずむ黄檗山萬福寺は、日本三禅宗(黄檗・臨済・曹洞)の一つ黄檗宗の大本山であり、専門道場がおかれています。

 黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、毎日誦まれるお経は黄檗唐音(明代南京官話音))で発音し、中国明代そのままの法式梵唄を継承しています。

 

萬福寺三門

 この三門は延宝六年(1678)横田道補信士が建立したもので、国の重要文化財です。三間三戸、重層の楼門造りで、左右に()(こし)軒下壁面に付いた庇状構造物。)別名、雨打(ゆた)、山廊があります。大棟中央に火焔付宝珠があります。正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書。背面の額「旃壇林」は千呆(せんかい)書。ここを入れば脱俗の清浄域です。円柱を用いた建物は、三門・天王殿・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。

隠元禅師

ご開山は隠元隆g(いんげんりゅうき)禅師です。禅師は、中国明代末期の臨済宗を代表する費隠通容禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝三十二世となられた高僧で、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄檗)の住持でした。日本からの度重なる招請に応じて、承応三年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝されました。

 のちに禅師の弟子になる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇そして徳川幕府の尊崇を得て、宇治大和田に約9万坪の寺

 

地を賜り、寛文元年(1661)に禅寺を創建。

 古黄檗(中国福清県)に模し、黄檗山萬福寺と名付けて晋山されることになりました。

 禅師の道風は大いに隆盛を極め、道俗を越えて多くの帰依者を得られました。

 禅師は「弘戒法儀」を編し、「黄檗清規」を刊行して(そう)(りん)の規則を一変させるなど、沈滞していた日本の禅宗の興隆に偉大な功績を残されたことにより日本禅宗中興の祖師といえるでしょう。

 爾来(じらい)、禅師のかかげられた臨済正宗の大法は、永々脈々と受け継がれ今日に至っています。

 そしてまた、行と徳を積まれた禅師は、ご在世中、物心両面にわたり、日本文化の発展に貢献され、時の皇室より国師号または大師号を宣下されています。 

寛文十三年(1673)後水尾法皇  大光普照国師

享保七年(1722) 霊元天皇   仏慈広鑑国師

明和九年(1772) 後桃園天皇  径山首出国師

文政五年(1822) 仁孝天皇   覚性円明国師

大正六年(1917) 大正天皇   真空大師

昭和四十七年(1972)昭和天皇  華光大師

 また禅師の将来された文物は、美術、医術、建築、音楽、史学、印刷、煎茶、普茶料理等広汎にわたり、宗教界だけにとどまらず、広く江戸時代の文化全般に影響を及ぼしました。

 この他、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹・木魚なども禅師の請来によるものです。 

黄檗文化

 黄檗宗の建造物は中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置です。正面一間を(ふき)(はなち)とした主要伽藍を中心軸上に置き、同じ大きさの諸堂が左右対照に配されています。

 このように創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は、日本では他に類が無く、代用的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額、(れん)などが国の重要文化財に指定されています。

 美術においては、絵画、彫刻、書、篆刻(てんこく)(印章作)工芸等が挙げられますが、書は黄檗龍流の書風としられ、篆刻(てんこく)は日本の「篆刻の開祖」ともいわれる独立(どくりゆう)心越が中国の印譜(いんぷ)や篆刻の技術を伝え、その後日本でも印譜がつくられるようになるなど、我が国の近世文化発展に大きな役割を果たしました。

 また、重要文化財として「明朝体」の源流となる黄檗鉄眼一切経版木などが上げられる。

黄檗僧の活躍

 黄檗僧は、社会事業に関しても日本各地で活躍しました。

     一切経刊行大事業をなしとげた鉄眼

     千葉椿沼干拓事業、八万石の新田を開拓した鉄牛

     天台・真言・禅宗各派へ大蔵経二十一蔵を寄進し、上野寛永寺境内に講義を行う勧学購院を設立するなど、日本最初の公共図書館事業をおこした了翁

     種痘を伝来し、中国の工法で岩国の錦帯橋架橋を指導した独立

などの名が挙げられ、隠元禅師をはじめとして、多くの黄檗宗の高僧方が日本文化に与えた影響は大きいものがあります。

(次ページ上段右、国重文の天王殿(都七福神の布袋像が見える。 

天王殿

 寺の玄関として天王殿が設けられています。中国では一般的な建て方、四天王と弥勒菩薩(布袋)と韋駄天を同様に祀ります。

 仏教的宇宙観に須弥山があり、その中腹に四天王がいます。時空を異にする上部には兜卒天(とそつてん)欲界における六欲天の第四の天部である。)があり、仏教復活再生のために現れるとされる弥勒菩薩がいます。その背面に祀る韋駄天は、三十二将軍神の筆頭におかれ、護法善神として大雄宝殿の御本尊と対面します。

四天王は本来、東西南北の定位置がありますが、弥勒菩薩が正面にあり南面しているため、45度づつずれています。

方柱はチーク材。堂内2本の円柱があり、黄檗の七不思議のひとつといわれています。X型の組子を入れた匂欄は、日本では特異な襷匂欄(たすきこうらん)で、チベット・中国で使用されているデサインです。この匂欄は大阪の八兵衛信士の寄進によるものです。

仏師(はん)道生(どうせい)―萬福寺の仏像 

 隠元禅師によって寛文元年(1661)に開山された本山は、伽藍堂宇など年を追って整備されていきました。仏像の造像も進められましたが、禅師は日本に来て以来、仏像の像容に満足されていませんでした。

 その時、長崎福済寺の招きで渡来していた弱冠26歳の中国人仏師、范道生が本山に招かれました。范道生は中国明末の崇禎八年(1635)福建省に仏工を生業とする范賛公を父として生まれました。中国では若い頃から名声を得ていたと考えられますが、長崎に渡来するまでの半生は明らかになっていません。

 ここで今日の本山堂宇に安置されている尊像を通観してみますと、

大雄宝殿=釈迦如来坐像、迦葉尊者立像、阿難尊立像、十八羅漢像   

開山堂 =隠元禅師

祖師堂 =達磨大師像

斎堂  =緊那羅王菩薩立像

天王殿 =弥勒菩薩像(布袋)韋駄天立像、四天王像

伽藍堂 =華光菩薩像、三面大黒天立像、弁財天坐像

禅堂  =白衣観音坐像、善財童子立像、八歳龍女立像

慈光堂 =地蔵菩薩座像

聯灯堂 =千手観音坐像、観音立像

文華堂 =韋駄天立像、観音立像

松隠堂 =釈迦如来立像

法堂、威徳殿、三門=安置しない

となり、その諸堂安置の尊像は一般の禅宗と異なり黄檗宗独特のものです。

またゴジック字の尊者二十七?はすべて范道生の作といわれています。もちろん、短い在檗期間にこれだけ多くの仏像を范道生ひとりが造像したとは考えにくく多くの中国人・日本人仏師を指導して造られたと推察されます。

日本人仏師には到底彫出することのできない范道生の造形感覚が生み出した仏像の数々は、本山独特の異国的な魅力の重要な要素のひとつとなっています。

一時帰国していた范道生は寛文十年(1670)再び長崎に戻りましたが時の長崎奉行の上陸拒否にあい、その交渉中に36歳の若さで吐血し急逝した。

范道生が黄檗山に遺した明末様式は「黄檗様」として、その後の我国の仏像彫刻に大きな影響を与えました。

左、大雄宝殿の范道生作の十八羅漢像



左、天王殿の范道生作の弥勒菩薩(布袋)坐像。

寛文三年(1663)造立、木造、像
高110.3センチ。布袋は弥勒菩薩の化身といわれ、本山では弥勒菩薩とされています。布袋は名は契比(けいし)といい、南北朝末後梁の高僧で定応大師と号しました。
又、この布袋は京の「都七福神」の一つです。六波羅密寺の弁財天もその一つです。

 

左、天王殿に祀られている韋駄天立像

木造、像高200センチ、伽藍守護神として天王殿の弥勒像の背面に安置され、大雄宝殿を見守っています。

「韋駄天走り」などと言われるように、よく走る神様として知られ、「ご馳走(ちそう)」という言葉は韋駄天の俊足をもって各地より食物を集めるというところに由来します。本像は康熙四十三年(1704)頃、清で造立されたものを請来した像で、本像以前に天王殿に安置されていた范道生の韋駄天像は文華殿に蔵されています。



次ページ右、天王殿の四天王の一人広目天立像

 延宝二年(1674)造立、木造、像高223センチ。本像は大雄宝殿の迦葉

・阿難両尊者立像とともに、伊勢の福島信士などの喜捨によって造立されました。着衣・甲冑に施された装飾的文様など明代彫刻を忠実に踏襲していますが、下半身が詰まり、衣の裾を重厚に強調している点などから日本人仏師の手によるものと推察されます。



中段左は大雄宝殿(だいおうほうでん)で萬福寺の本堂であり、寛文八年(1668)建立の国重文で「最大の伽藍です。

日本で唯一最大のチーク材を使った歴
史的建築物として、大変重要かつ貴重なものです。本尊は釈迦牟尼仏。両脇待は迦葉、阿難の二尊者。両単に十八羅漢像を安置。大棟中央に火焔付、二重の宝珠。

正面入口には魔除けとされる桃の実を彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。上層の額「大雄宝殿」は隠元の書。下層の額「萬徳尊」は木庵書。本堂内部須弥壇の上の額「真空」は明治天皇の御宸筆。



昼食:京都宇治「山水」

住所:宇治市宇治塔川112(平等院前)電話:0774―22―2435

(12時20分〜1時20分時間厳守宇治川塔川前の風光明媚な所です。

お土産はこのレストランや近辺でお買い求め下さい。

 さっと見るなら宇治の平等院も各自負担で見学できます。貸切バスは到着時の宇治市文化センター前の大駐車場で待っています。駐車場出発1時20分時間厳守でお願いします。

西国観音霊場十番札所霊場と裏山の十八神社と隠れた紅葉の名所で有名な、三室戸寺(本山修験宗別格本山)

(到着1時40分〜3時10分に出発です。時間厳守)

三室戸寺(みむろとじ)縁起

当山は宇治市三室戸山(明星山を寺号とする。)の中腹にあり、西国観音霊場十番札所で、本山修験宗の別格本山です。

本尊は千手観世音菩薩様で、寺伝では宝亀年間(770?780)宮中に()(ずい)があり,天皇の命で藤原犬養(いぬかい)がこの辺りをさぐり、莵道山の奥、志津川上流岩渕により出現された千手観世音菩薩を創建されました。開創以来、天皇貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体重要文化財の仏像が安置されています。

現在の本堂は約180年前の文化二年(1865)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背後には室町時代の十八神社社殿(国重要文化財)、東には鐘楼・三重塔があります。

又、5千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からの秋の紅葉は真に見事なものであります。

西行法師は次のように詠っています。

「暮れはつる 秋のかたみにしばし見ん 紅葉散らすな御室戸の山」

宇治市には源氏物語の宇治十帳の歌碑が各地にありこの寺には、 宇治十帖「浮舟」の碑があります。

 「浮舟」は、『源氏物語』54帖の巻の一つ。第51帖。第3部の一部「宇治十帖」の第七帖にあたる。

 巻名は、薫の庇護を受けていた女が匂宮に連れ出されて宇治川対岸の隠れ家へ向かう途中に詠んだ和歌「橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ」(橘の茂る小島の色のようにあなたの心は変わらないかも知れないけれど、水に浮く小舟のような私の身は不安定でどこへ漂ってゆくかも知れません)

歌碑はご自身で見て読んで下さい。

左、ここで班毎に記念撮影をします。

三室戸寺宝物館特別拝観

「当綾部の文化財を守る会員のみこの日 特別に国重要文化財の木造釈迦如来像及び両脇侍、木造釈迦如来坐像、毘沙門天像等を拝観します。」

下記ページ右は「本堂」正面です。

下記ページの左の三重塔は兵庫県佐用郡三日月町の高蔵寺から明治十三年(1910)に移築されたものです。

 

 

左、国の重要文化財の「十八神社」です。

もとは三室戸寺の鎮守社で、初め大物主命を主神に十八神を祀り、十八明神と称した。本殿は三間社、三間の向拝をもち、(かえる)(また)に長享元年(1487)の墨書がある。

下段、5千坪の枯山水・池水広庭からなる三室戸寺の庭園。あじさい寺としても有名だが紅葉も又素晴らしいものです。

 

「綾部市文化協会後援」

第18回秋の文化財・史跡学習会 参加のご案内 事務局 四方續夫

当会の秋の文化財・史蹟学習会では臨済宗七禅刹・由緒寺院を見学して参りました。今回は日本三禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の一つ黄檗宗大本山万福寺の素晴らしい伽藍(23棟の国の重用文化財建築)と隠れた紅葉の名所・西国観音霊場第十番札所の三室戸寺を見学します。担当役員、事務局一同自信を持っておりますので会員以外の方にも参加を勧めて下ださい。皆様の便宜を図るためバス2台を巡回させますので乗車場所を必ず申し込み葉書に明示願います。

    記

、期日 平成24年11月28日(水)

2.集合場所・時間は乗車場所により違いますので、出発予定より10分ほど早くご集合願います。

、見学箇所:黄檗宗大本本山萬福寺、と西国三十三ヶ寺十番札所三室戸寺

(特別宝物館参館)、十八神社。

4、参加費 お1人9,000円(貸切バス代、昼食代、拝観料及び入館料、心付、手作り記念写真2枚の代金を含みます。)

5、募集人員 90名(京都交通貸切バス2台予定)

、申し込み方法 11月6日(火)までに参加者全員の〒番号・お名前・ご住所・電話番号・バスの乗車場所を明記し、葉書にて申し込み下さい。特別緊急以外の電話申し込みはお断りします。尚、満員になり次第締め切りとさせて頂きますことご了承下さい。

、申込先 〒番号:623―0004 綾部市多田町後路28 四方續夫 宛

、受付と出発案内は申し込み締め切り後、葉書にてお知らせします。  

                  行 程 表

@1号車:上杉バス停==白道路公民館=物部バス停==新庄バス停==

     7:15  7:25   7:30    7:35

=栗文化センター前バス停=綾高前バス停==JR綾部駅北口{合流}==

 7:40      7:45     7:55

A2号車:市野瀬バス停=大町バス停==寺町バス停==井根口バス停==

     7:05   7:10   7:15    7:20

=十倉バス停=JR綾部駅北口(合流)=綾部大橋バス停=山家バス停=

  7:30    7:50     7:55    8:05

=やまがた屋(トイレ)=京都縦貫道==黄檗山・萬福寺(到着出発)==

8:45 9;00       10:30(参拝・見学)12;00 

==宇治市大駐車場・・・宇治川畔・山水(昼食)=====三室戸寺==

 12:20(各自で平等院見学可)  13:20 13:40(参拝・

見学)時間厳守===京都縦貫道==やまがた屋(トイレ・買物)==

 15:10出発          16:40 16:55

A号車=山家バス停====綾部大橋バス停=JR綾部駅北口==十倉バス停

   17:30頃     17:35頃 17:40頃 18:05頃

=井根口バス停===寺町バス停==大町バス停===市野瀬バス停

 18;10頃  18:15頃  18:25頃   18:35頃

@==JR綾部駅北口===綾高前バス停==栗文化センター前バス停=

    17:40頃   17:45頃    17:50頃

=新庄バス停===物部バス停===白道路バス停===上杉バス停

 18:05頃  18:10頃  18:15頃   18;25頃