会報4号 昭和46年9月15日      あやべの文化財    綾部の文化財を守る会のHPへ
綾部の文化財紹介 館の弥生遺跡 岩田 実
 綾部地方の弥生期の資料は、まだその全貌を語る所に行き着かないというのが結論であるが、その中で、大正の頃から注目されて来た、綾部市館町の「館遺跡」について紹介します。
 綾部市の現在までの弥生期の遺跡の分布傾向をかいつまんで説明すると、
1.由良川・犀川に面した洪積層の台地に発見されている
2.由良川沿いの青野から、井倉町一帯、福知山市にまたがる観音寺、與などの川沿いの平地にも散布地が見られる
又、両者共、土器を伴って発見されるということでなく、石斧、石鎌と呼ばれている右器が、単独で発見される場合がほとんどであって、年代の推定やその時代の様相をさぐることを極めて困難にしている。
 今紹介しようとしている館遺跡は、その中で、1の分布傾向にあり、石器に土器を伴い鉄器の存在を堆定させる調査密度の高い遺跡なのである。
 この調査については、明治の末年頃より、大正にかけて、赤国神社の神官に青木常蔵氏が居られ、この方が、京大梅原末治氏と連絡をとって、調査の便を計られた功績が大きい。

綾部市遺蹟地図 豊里(A)地区(2)一部
館は地図左端中央下

 以下、梅原未治先生の記録によってこの遺跡の概要を述べる。
 赤国神社の東南に接する人家のあるところで、勾玉を発見、又鳥井の西南にある畑地から弥生式高杯一個を発見し、今青木氏が蔵している。(京都府報第一冊「赤国神社及び付近遺跡」)
 その後、大正7年赤国神社境内の土木工事に際し、境内地下一尺にして、土器を包含して、連続する層を発見、この時は石器を含まず、多数の土器を取りあけたが、梅原氏の調査は「鉢、壺、高杯の三種で、いずれも弥生式土器の特徴を備えてものである」といっている。
・・口縁に近く側面に太い条線を持ち、大型のものは口径九寸あり皿形に近い。又、深鉢型のものは、口縁が内側に折れ曲つていて、口径六寸四分あり、縁に近く2個の小さい穴が穿ってある。これは大阪市南河内郡国府の遺跡出土の土器と同じものである。
・・現存しているものは大部分が口辺部の破断であるが、開きの大きな形式のものに属したゞ一片、長く筒状をなしたものが混っている。これらの縁部は肉厚く、外側に開いて、縦線、横線の文様が付してあるものが多い。くびれ部に縄目形の紋帯あるものや、数条の突起帯を有するものもある。又胴部には、この種の土器にに見られる波紋と条紋を表わす。又注目すべきは、肩部と思われる一片に環状の把手を着けたもののあったことである。奈良県高市郡新沢村大字一の遺跡、大阪府中河内郡南高安村恩知る遺跡で、これと同一形式の環を有する壺を発見している。
高杯・・杯の部分を残しているものが少なく、脚の破片部が多数を占めている。脚部の筒状の表面に数条の線刻を什けたものと、円い孔を二段に穿っているものがあるが、いすれも弥生式に多い型である。
以上述べたことを以って遺跡包含の状態を推定すると、この遺跡は石器を伴っていないこと、土器の形式の複雑発達したものがあることから、各地の弥生式遺跡のなかで、年代の降ったものとして考えてよかろう。又この遺跡は恐らく住居址と見るべきであろうが、その遺跡の古い神社の境域であることは、一考の価値なしとしない。(京都府報告第二冊「館弥生式土器遺跡」)