会報19号 昭和59年3月26日     綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財
発掘調査と埋蔵文化財の保護   由良川考古学会 中村 孝行 氏

1.近年、古代史ブームとか、新聞、テレビ等のマスコミは毎日のように各地の発掘調査ニュースを伝え、時として「世紀の大発見」が新聞紙上の第一面を飾ることも稀ではない。発掘現場の説明会にテレビカメラが多数持ち込まれ、空にヘリコプターの舞うことさえ珍しいことではなく、著名な遺跡では千人単位の人々が遺跡を訪れる。
昭和55年度 綾中廃寺跡調査
 瓦積み基壇
 多くの人々が古代史について興味を持ち、関心の高まることは誠に喜ばしいと言わなければならない。しかし、華々しく報道される発掘調査のニュース、大発見のうらには、ほとんど知られることのない大勢の人々の努力と地道な研究が着実に積み重ねられていることも事実であり、全国レベルで大きく扱われるニュースの陰には、発掘調査が終れば、ほとんど人目にふれることもなく消え去って行く多数の逮跡のあることも事実である。ニュースバリューの有無が、その遺跡の重要性を決定する基準では無いことも明白な事実であり、また、人々の遺跡や遭物への関心の高さがそのまま文化財保護へ結びつかない残念な現実もある。
 とするならば、古代史ブームと言われる昨今の状況は、文化財の保護に対してどれだけのカとなり得ているのか、懐疑の念を抱くのは心ある多くの人々に対し失礼であろうか。

2.それでは次に、綾部市における近年の埋蔵文化財の調査と、保護の現状について概観しておきたい。
 本市教育委員会が調査主体となり、遺跡の発掘調査を実施し始めたのは、昭和47年夏の館町高谷古墳群の発掘が最初と言ってもよい.それ以前には、昭和30年以久田野古墳群の調査、同36年豊里町三宅荒神塚の調査などが相次ぎ、綾部史談会会員諸氏と京都大学、それに市教委などの関係者の協力によって調査が行われ、古墳への関心が盛り上った時期があった。また昭和40年には小呂町田坂野古墳群、同年小西町成山、前田両古墳の調査が京都府教育委員会の手によって実施された。このように昭和30年代の後半から40年代の初頭の時期は、農業構造改善事業に伴う山野の開発遺跡破壊の一つのピークでもあった。それ以前には調査さえ行われずに消滅して行った多数の古墳のあったことを思えば、この時期は文化財保護の姿勢が埋蔵文化財にも及び始めた画期であったと言えるかも知れない。
昭和56年度 青野南遺跡発掘調査
掘立柱建物跡
 その後しばらくの間発発掘調査はなく、昭和47年前述の高谷古墳群の調査が行われ、それ以後今日まで市内各地において発掘調査の実施される「発掘ラッシュ」の時期が訪れたのである。この状況は綾部市に限ったことではなく、全国的に国土開発の進行と文化財保護意識の普及によって発掘調査件数の急上昇を見ている。例えば、昭和57年度全国から提出された埋蔵文化財発掘届出件数は約1万4千件、十年前の47年の届出件数が約1千7百件であったことと比較すれば、十年で約十倍の驚異的な伸びを示している。
 昭和47年から58年までの11年間に綾部市教育委員会が実施した発掘調査は、13遺跡延20件に及ぶ、このはかに財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センターが実施した2遺跡4件の調査がある。合計14遺跡24件の発掘調査が実施され、年平均2件以上の調査が、市内のどこかで行われていたことになる。
 次に、市内で行われた発掘調査の概要と特徴を述べておきたい。まず第一は、遺跡の種類別に見た時、古墳の調査が多いことが挙げられる。高谷古墳群を始めとし、七百石町塚廻り古墳同政次古墳小西町中山古墳多田町聖塚・菖蒲塚古墳の調査があり、古墳とは若干性格が異なるが、里町久田山においても台状墓等の調査が行われている。これらの調査結果と従来蓄積されてきた資料とによって、綾部市の古墳時代の様相はかなり明らかにすることができる段階に達したと言える。
昭和55年度 上林城跡 発掘調査風景

 第二は、青野・綾中地区適跡群の調査も本市における発掘調査の重要部分を占めて来た。昭和47年に実施した青野A地点の調査以降、青野では8次に及ぶ調査を行い、その間青野南、青野西、綾中廃寺、綾中遺跡 と新発見の遺跡が相次いだ。青野町、綾中町一帯は弥生時代から古墳時代にかけての集落、7世紀の大集落群、奈良時代の宮衝(役所)同じく寺院と極めて多彩な遭跡が所在する所として、綾部市の古代史を明らかにする上で欠くことのできない重要な地域となった。
 第三として、八津合町上林城の調査も特徴的である。昭和53年から三ケ年にわたり調査された上林城は、それまで発掘調査の対象とならなかった中世山城に対しても調査の必要性を訴える契機となり、また、山城を大規模に調査した例としては府下でも最初の例と言えるものでもある。

3.昭和40年代の後半から見られる発掘件数の著しい増加傾向は、今後ともこの状態が縦続するものと考えられる.当地方の古代史解明に少なからぬ資料は発見されることであろうし、時として衆目を集める遺物も出土することであろう。しかし、一方では埋蔵文化財の保護に関し、様々な問題が山積している事実も見逃せない。
昭和53年度 久田山古墳群 発掘調査風景
 例えば、埋蔵文化財の保護のための基礎資料とも言うべき遺跡台帳の整備である。現在使用されている「京都府遺跡地図」は、昭和47年に刊行されたものであり、その内容には今となっては不備が多く、不記載の遭跡について開発側と摩擦の生じることもしばしばである。他の市町村では各自治体毎に分布調査を実施し、遺跡地図を刊行しているところもあり、綾部市においても早急に分布調査の実施が望まれる。勿論、埋蔵文化財の性格上すべての遺跡を網羅することができないのは当然としても、遭跡の実態を適確に把握するよう努力することが文化財保護の第一歩と考える。
 次に、調査資料の公開についての問題がある。長年にわたる発掘調査によって、膨大な資料が蓄積されている。しかし、本市においては、それらがほとんど公開、展示されることなく死蔵されている現状がある。貴重な資料も多くの人々の目に触れることがなければ、存在の価値があるとは言えない。調査資料を公開し、普及することが、文化財保護思想の高揚につながるのではないだろうか。
 先人の築いた文化を知り学ぶ機会を得ることは、我々の共通した権利であると共に、それらを保護し後世に伝えることは我々の義務でもある。「古代史ブーム」と言われる昨今、国民的に盛り上りつつある古代史への興味・関心が一時的なブームとして終ることがあってはならないし、その関心が文化財保護の力として生かされることを強く願うものである。