会報9号 昭和49年12月15日     あやべの文化財    綾部の文化財を守る会のHPへ
 青野遺跡の位置づけ  山下 潔己 氏
 発掘調査を終って1ケ年半、若干の人々の手伝はあったが、中村孝行君と二人で土器洗い、復元、実測図とりを終わって、今漸く発掘概報発行の準備段階を迎えた。まだ実測図のトレース、写真の整理は残っているが・・・。
 出土土器片、リンゴ箱30箱、土器実測図約400枚、石器類実測図約100枚、住居址、遺構等の実測図70枚.専任者がほしいと嘆じながらの1ケ年半であった。
 整理を終えた土器の種類は、壺形・瓶形・深鉢形・浅鉢形・高杯・器台、等多種多様であるが、それ等の形状や口縁内面に施されている紋様より比較する時、近畿第三様式(唐古出土品対比)が最も古いものの様である。
 石器には、石鏃・石斧(打・磨製).砥石・石剣片等があり、特に環状石斧は珍しい。
 又特殊なものとして製鉄用のフイゴロが発見されているが、遺跡面よりは製鉄址の裏付けは出来なかった。しかし製鉄に使われた見られる、ヒバン状の鉄器も見つかっているから製鉄址のあった事は、ほぼ間違いなかろう。
 又今回の調査では、水田址が発見出来なかったのは残念であるが、石包丁や、鎌状鉄器が発見されており、すでに稲作農耕が行われていた事も知られるのである。
 即ち、青野遺跡は近畿第三様式期(弥生時代中期)西暦紀元元年頃から集落が営まれており、それは地層分析や出土品等によって古墳時代に及ぶ相当長期に亘る集落址であると思われる。
 しかしながら、今回調査された区域は、住居址は、数百年に及ぶ住居址としては非常に戸数も少い。おそらく青野遺跡の中心は、もっと上流地域、稲荷神社の辺より続いているのではないかと考えられるである。
 青野地域は今、乱開発の焦点となっている。私達はこの貴重な文化遺産を乱開発の手から守り抜く方途を早急に考えねばならない。
 埋蔵文化財は原形保存されてこそ意味があるのであって、記録保存とは態のよい破壊であることを肝に銘すべきである。