会報26号 昭和63年6月1日       あやべの文化財    綾部の文化財を守る会のHPへ
 私のみた文化財 毎国庵のこと 西原町 西村 洋子 さま

西原町の中央あたりの山据に毎国庵はあった。境内には美しい桜の木があり、明治時代までは盆踊りが行われるなど村人の憩の場であり、近年まで英霊の写頁が掲げられ、老人会の集り等に利用されていたが、老朽化が甚しく、昭和六十一年に取り壊された。
 丹波誌に、庵寺尾也摩山毎国寺古跡山家覚応寺未 天正ノ乱二大破スト 別二薬師堂在 とある。
 天正年間西原も合戦の場であったのが伺えて興味がある。
 取り壊した際、梁に次の記載があった。
 寛政年中亥年讃州高松領鷲峰寺弟子普門院泰雄卜申僧庵住職仕り夫ヨリ繁栄シテ文化五辰ノ暮春此ノ堂建築シタル者也−以下略−。この普門院泰雄大徳中興の祖のようであり、位牌も残っている。今から180年前である。さらに、天保十四年、当時、上宮下宮に別れて行われていた宮講を、二代目広住蓮浄庵主が中介の労をとって一つにまとめたとの巻物もある。
 には数体の古い仏像と、極彩色の大きな涅槃図掛軸や、代々庵主の位碑などがあり、現在公民館の押入れを仮の祭壇にしてお祀りしてあるのだが、このままでは畏れ多いことなので、いま奉仕や奉加による祠建立が、町区の世話人会で進められている。
 毎国庵の敷地は無番地であり、わからなかった本尊様が、実は照福寺の本堂にお祀り戴いていることを先年住職様より伺って本当に有難く思った。庵が無住になった際、誰かがお寺へお願いしたものであろうか。小さいお厨子ではあるが仲々立派な本尊様である。
 仏像は数体、真黒くなって、あちこち破損して、心ある人の手で修理なされている。中には里人の持仏を納めた仏像もあるかも知れないと思う。
 確かな年代も仏師もわからないし、文化財としての価値もわからないが、でもこれは西原町住民のお守りであり、信仰であり、保存したい文化財である。
保存については種々の案が出されたが、近く一坪程度のが跡地に建立されるという。
尾也摩山 毎国庵跡
覚応寺末寺毎国寺があったが、天正の乱にて、大破したと伝えられる。
寛政亥年讃州高松鷲峰寺(香川県綾歌郡国分寺町柏原)より、普門院泰雄と申す僧、庵住職となる。
当住職は、徳大きく、夫れより繁栄し、味方住人弥平と申す仁、奇特心有りて、大施主として、文化五年夏、此の庵を建立さる。
 その後、最後の庵主浄蓮尼迄、当村の信仰と文化の中心として、その役割を果たしていたが、以後無住となり。荒廃の一途をたどり、昭和60年9月、取り壊すに至る。
西原町自治会