会報:綾部の文化財第75号記載記事         HP:綾部の文化財へ

「NPO法人北近畿みらい」と竹田城跡見学 会長 村上高一氏  

 NPO法人北近畿みらいは、現在のわが国の困難点、即ち少子高齢化、過疎化、農林業の不振等を少しでも解消し、明るい未来を切り開いて行こうとの希望を強く抱いている研究団体です。
 この団体は平成22年10月に発足して、今ようやく軌道に乗ろうとしています。

当綾部の文化財を守る会も当初から加入しています。具体的には京都・兵庫の府県、市町村の枠を超えて、丹波・丹後・但馬の北近畿地方の活性化を目標にしています。

そこでこれらの地域の産業、歴史、文化芸術を生かしながら総合し、再構成しようとしています。そしてそれらに関する集会が何回か持たれました。その中心は前綾部市長の四方八洲男さんで理事長としてご活躍いただいております。
 また成美大学にも地域活性化センターを中心にしてご援助いただいています。

さて、今年度は北近畿みらい塾として、歴史を学ぼう、現地で学ぼうと8回に及ぶ講座の設定、また成美大学ニューツーリズム研究所を中心に、地元観光ボランテイアガイド発表会が、8市の代表の方によって成美大学で実施されることになっています。これらの中、すでに実施された集会もあります。

 
 
竹田城跡をバックに記念写真 

私はこれらの中で、去る4月14日に行われた「竹田城」講座に出席しました。

先ず竹田城の麓にある山城の(さと)で講義が行われました。

講師は和田山観光ボランテアガイドの会々長の小屋敷憲二様でした。参加者は多くて80名程であったと思います。講座の内容は城の風景(特に秋から春にかけて早朝の雲海)、子供達への惹きつけ方(甲冑をつける)、()太積(のうつ)みの石垣(織田信長の安土城と同じ技術で、現在の滋賀県大津市坂本穴太衆が自然石をそのまま積んだもので、隙間が多く、一見粗雑見えるが崩れを防ぐ技術)等、他にもありましたが省略。

 
雲海の中の国指定史跡の竹田城跡

城は南北400米、東西100米もあり、天守台の標高は353.7米。

次に竹田城の歴史を簡単に記します。

但馬守護の山名持豊(後の山名宗全)が十五世紀中頃に築城。その後六代にわたって守護代の太田垣氏が城主となった。

天正八年(1580)豊臣秀吉の但馬攻撃で豊臣氏の支配となる。慶長五年(1600)関ヶ原戦後、西軍に参加の城主赤松広秀の自刃により、竹田城は廃城。

元和元年(1615)生野代官所支配下となる。第二次世界大戦後の昭和四十六年(1971)石垣復元工事に着工。昭和五十五年(1980)工事完了。

 
四方八洲男前綾部市長
現NPO法人
北近畿みらい理事長
 

平成十八年(2006)、日本百名城に選定される。

講義の後、バスに分乗して竹田城跡に向かう。途中のバス終点で下車。徒歩にて城跡に向う。私は足の調子が悪くて途中から引き返した。参加者は更に徒歩で城跡へ登られてボランテアガイドの上山哲生氏より説明を受けられた。その間に一行は城跡をバックに記念撮影をされた。

見学者は約40分後にバスの乗車位置へ戻られ、バスにて一緒に山城の郷へ無事に帰ってきた。午後4時頃に現地解散。

短い滞在時間の上に自分は足の調子が悪くて十分理解することが出来ませんでしたが、竹田城の全体を見て回ることが出来ました。また、見学に来て内容を深めたいと思います。
 5月の連休には毎日車の数珠(じゅず)(つな)ぎであったとテレビで報じていました。