(りょう)厳寺(ごんじ)の旧国宝、「不動明王画像」日本への帰還を求めて   会長 村上高一   

平成22年8月末に、第1回豊里文化講座が有名な楞厳寺で開催されました。

演題も「楞厳寺の文化財について」で、講師も為廣哲堂住職であり、40余名の参加者がありました。多くのお話の中で、私は標題の仏画について初めてお聞きし、その運命について大きな関心をもちました。

 
綾部市館町の高野山真言宗・
楞厳寺の所有であった
旧・国宝、現重要文化財
「不動明王三童子像 画」
 

その仏画は写真で示す如く、不動明王の傍ら(かたわ)に三人の童子が立っていることから三童子(つき)不動明王とも呼ばれている掛け軸で、絵そのものは縦114センチ、横63センチ大きさで鎌倉時代の作品です。

講座の後、私はご多忙なご住職にも拘わらず無理を言って二度お会いし、更に詳細なお話、関連する資料をいただきました。

今度はそれらを元に記してみます。

この仏画は、明治37(1904)年2月に国宝に指定され、先々代の住職が木箱に入れられて、「秘すべし、秘すべし、末代の重宝」として本尊の側に置かれていましたが、明治45(1917)年になって箱を開かれたところ、絵がなくなっており、非常に驚かれて文部省に盗難届けを出されました。

その後、昭和の初年になって、前住職の玄洞師にドイツ(ケルン)から問い合わせがあったようです。絵の中の童子は三名であるが間違いないかと。玄洞師は二名と答えられたそうです。

理由は国宝指定時の画像写真は、白黒二色でよく分からなかったのではないかと思います。

また第二次大戦後の昭和25(1950)年、文化財保護法の制定と共に、実物のないこの仏画は重要文化財に指定替になりました。

その後平成6(1994)年5月に、現住職為廣哲堂師は、海外に流出した文化財ばかりを集めた「秘蔵日本美術大観」(講談社刊)の第八巻・ケルン東洋美術館の中に、偶然、楞厳寺にある国宝指定時の写真とそっくりな写真を発見され、文化庁へ連絡されました。文化庁も確認作業に乗りだされ、ケルン市に協力を求められました。その結果、仏画は盗品と同じであることが分かりました。また、その後ケルン東洋美術館の初代館長アドルフ・フイツシャー氏の日記から、彼が1912(明治45)年に日本で集中的に美術品を購入していること、しかも合法的に入手していることも分かりました。

 さて、仏画が合法的に流出していること、それに盗まれて百年も経過していることから、この仏画の所有権はケルン市に移っているかの感があり、日本への帰還は今のところ無理のようです。

しかし、為廣住職は仏画が無事に立派な美術館に保管されていて、よかったと感謝される一方、仏画は単なる美術品でなく、多くの信者が心のよりどころにしてきたもの、いつかはもどる日が来るかもしれぬと期待をつないでおられます。

この期待を込めて、当寺の筆頭総代の永井修さんは、有志の方々と共に平成二十二年三月から仏画帰還の署名運動を行なっておられ、署名一万名を目指しておられます。

 為廣住職もそれを文化庁に提出して帰還を実現したいと話しておられます。

当会の会員の方々にもその署名にご協力をお願いします。

 具体的には研修旅行の時にお願いする予定です。