真言宗智山派総本山・智積院の国宝文化財を訪ねて」   1号車理事・上野町 森田 弘

11月18日曇時々晴、秋の史跡学習会に久し振りに参加する。南禅寺に1号車一行36名は定刻に到着。南禅寺の見学コースを終え三門を背にバスは東山通りを南へ下り八坂神社の前を通り過ぎ、程なくして智積院に入山する。会館内の一休庵にて昼食、お箸袋の裏面に「生きる力 つくしあおう いのちのかぎり」の文言が目に触れる。感謝の気持ちを込めて好評の精進料理を食する。

 
 智積院の金堂をバックに1号車

初めて訪ねる智積院とあって伽藍の全てが新鮮に映った。山号は五百仏根来寺智積院、金堂内に導かれ安置されているご本尊大日如来の尊像に合掌、南無大師遍照金剛、頭上に装飾した見事な宝冠を戴せている尊像は大変珍しいとガイドさんは語る。昭和時代に金堂と共に造顕されたと記されている。黄金色の輝きに満ちた華麗で美しい尊像である。弘法大師ご誕生千五百年記念行事が行われる頃には更に重厚で荘厳な輝きを放ち、尊像として人々の心を癒してくれるのではないかと思う。

周辺の木々も次第に色づき始め、とりわけ仏足石のある参道脇の見事な紅葉に暫し見入る。参道で数十人の学侶さんらしき人々と突然鉢合わせ、思わず帰依心が・・。

大書院から利休好みと称される庭園を望め、この庭園は桃山時代に中国の盧山(ろざん)()して造られたものと聞く。池泉には鯉が静かに泳いでいる。祥雲禅寺時代に造られた池の右寄りは奥行きのある雰囲気が漂い、滝の落ちている正面は、江戸時代に修築されたもので、丸く丁寧に刈り込まれ、植え込みと(ほぼ)(まる)い石が交互に配置されている。全体的には小山の様な円形を意識した造りになっている。この様な庭園は、江戸時代に寺院の様式から武将好みの庭園に造りかえられていったと、ガイドさんは語る。刈り込みの手入れが大変だな、と思った。一方大書院付近には智山派の紋章の桔梗が欄間や燈籠他などに散見される。又、田淵画伯の「朝陽、夕陽」の襖絵は繊細で美しく、古染付皿の呉須(ごす)(陶磁器の染付けの青緑色を出すためコバルトを使う)で書かれた文様の濃淡と似た感覚に浸る。宝物間へ期待と関心を持って足を運ぶ。

 「桜図」国宝・長谷川久蔵(等伯の長男)二十五歳の作、金箔をふんだんに使った絢爛豪華で二本の桜の大木を描いている。

八重桜の乱舞する花びらを一枚一枚大胆に描き、若者らしい独創性に溢れた絵図になっている。翌年に急逝、死因は不明であり久蔵の絶筆となる。じっと見ていると花の香で元気を頂くような障壁画だ。

 「楓図」国宝・長谷川等伯五十五歳の作。桜図と同様楓の古木を描いている。枝をいっぱい広げその下に草花を配し、秋の雅を感じさせる作品である。幕府の御用絵師、狩野派に挑み、親子二人で頂点を極めたその絶頂時に、突然息子の急死、一時は創作意欲を失いかけていたが悲しみをのりこえ自己の生命力を画面一杯に傾けて楓図を描き出したと記されている。

 等伯の悲しみはどれほど深かっただろう。それでも美しさが見事に表現されている。「松に黄蜀葵図」国宝・等伯作、「松に秋草図」国宝・等伯作、「松に立葵図」国宝・等伯作、「松に梅図」重文・長谷川一門作以上が祥雲寺の障壁画です。他に「雪松図」重文・長谷川一門作である絵図等である。平成十三年九月二十七日発行の特別展観「智積院の名宝」の目録によれば、松に梅図は作者不明で中間の画風を示すことから等伯・久蔵の合作或いは優れた弟子の作説等もあり今も解明していないと記されている。午後四時四十分無事帰綾。

皆様方のおかげで楽しい一日をすごさせて頂き大変ありがとうございました。