綾部の文化財シリーズ(第十一回)
あやべ西国観音霊場第三十一番 永龍山上林禅寺(臨済宗南禅寺派))
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桜満開の上林禅寺・山門 |
一.所在地 京都府綾部市八津合町村中一
ご本尊 聖観世音菩薩
御詠歌
乾坤に開きし 枝垂れの桜花
たずねる人の 心にぞ咲く
一.上林禅寺の沿革と文化財
永仁元年(1293)に天月窓白和尚の開創による天地山大了寺(のち乾坤山大龍寺と改め)と、寛永五年(1628)上林領主藤懸永重が父の永勝を弔うために建立された永勝寺とが、昭和四十二年に合寺されたのがこの上林禅寺のおこりです。藤懸永勝は戦国時代に、信長、豊臣秀吉に仕え活躍し、兵庫県氷上郡(今の丹波市)小雲で一万三千石の城主でありましたが、関ヶ原の戦いで西軍に味方した為、減封され六千石で上林庄に封じられたのです。
このように地名(上林地区)の地名を取って寺名とした例は少ないとのことです。
永龍山という今の山号はこの二つの寺の寺名からそれぞれ一字づつとられたもので、二ヶ寺分の歴史があると云うことです。
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叉、本堂や玄関の鐘や、そして現在「綾部市指定文化財」となっている本堂の襖絵三十四面も素晴らしいもので「藤懸山客伝襖絵記録」とする寛政三年(1791)の詳細な記録がある。それによると永勝寺には昔から襖絵があったが、長年月の間に 元陳はこれを受けて、寛政三年(1791)九月完成した。
画題は墨画獅子図十二面、豊干寒山拾得図四面、四季花鳥図六面、竹林七賢図四面、淡彩四季山水図八面の計三十四面(二十四本)です。 この襖絵には「寛政辛亥夷・法眼元陳画」の款記がある。元陳は姓は吉田、諱は守清といい、法眼は画家として第二の位であり当時の屈指の画家である。寛政二年(1790)の御所造営には円山応挙など共に活躍しており、この襖絵は晩年の大作として貴重なものであると云われている
尚、襖絵は昭和五十九年(1984)から三ヶ年かけて全面修理しており、元の原画が良く判ります。 |
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一.緑の文化財 当寺には綾部市の古木・名木百選のうち二本が指定されております。
(一)上林禅寺のシダレザクラ 山門をくぐると、すぐ左側の庭先に立っています。保護のため、大枝を支柱で支えています。樹齢は百五十年、幹周2.85メートル、樹高7メートル。 (二)上林禅寺の銀杏(イチョウ) 境内東側にあり、樹齢三百年と推定され、幹周4.38メートル、樹高27メートルです
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引用文献:綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」、綾部市教育委員会作成「駒札」、写真撮影「綾部の文化財を守る会事務局」 監修・上林禅寺 住職 黒川泰信 師 |