綾部の文化財シリ−ズ第9回                        HP:綾部の文化財

阿日山 佛南寺 (臨済宗妙心寺派)

一.所 在 地
  京都府綾部市里町向屋敷103番地 「元、何鹿郡 大字 吉美 小字 里」
一.佛南寺の略歴
   あやべ西国観音霊場第七番札所でもあります。佛南寺は、綾部市でも極めて古い歴史を誇る寺院です。平安時代初期の国家の歴史書である三代実録(858〜887)には有名な社寺・貞婦・名族を記載されておりますが、その貞観五年(863)6月3日の条に「以ニ 丹波国何鹿郡佛南寺− 為ニ真言院− 即付ニ 国司検校−」とあり、佛南寺は国によって真言院とされ、国司の監督を受ける官寺として財政援助を受ける代わりに、護国法会等を行なう義務がありました。当時は官寺として七堂伽藍をもつ、地方屈指の巨刹であったと云います。

 足利時代末期には荒廃していましたが、万治年間(1658〜1660)に宗讃禅師が臨済宗として堂宇を建設しました。下がって、江戸時代の元禄の初め火災にて焼失しましたが、元禄八年(1695)に再建され現在に至ります。

 この寺の霊場ご詠歌は「法のみち ひろく栄ゆる 吉美が代を よろずよかけて 願ふさとひと

一.佛南寺の文化財(仏像等)
  佛南寺のご本尊としてお祀りされているのは左の写真の像高一尺二寸(約40センチメートル)の木造釈迦如来坐像です。両脇侍は文殊菩薩普賢菩薩で知恵と実行の佛と云われています。

 右の「木造大日如来坐像」は運慶作とも伝えられる三尺七寸(像高117.2センチメートル)は綾部市の指定文化財で、髻を結い条帛(じょうはく)をかけ、智挙印を結び裳をつけて、右足を外に結跏趺座(けっかふざ)する金剛界大日如来様です。肩の張り、腰部から膝にかけての重厚な造型は力強く、着衣のおおまかで明快な表し方、面相の優雅な彫技によく時代の特色がうかがえ、髻は高く太く、面相部も長さに比べて幅があり、面奥も十分にあります。この幅のある顔に目鼻立ちを中央に寄せて小さく刻み、眉を著しく切れ長に、唇は厚めに表現し、平安時代初期の密教像の作風を忠実に表現しているといわれています。

 現在表面の彩色はほとんど剥落し、まだらになっていますが、十二世紀初頭を下らないと云われています。

左下の「木造虚空菩薩立像」は同じく綾部市の指定文化財で、五尺五寸三分(像高は百六十五・八センチメートル)もある等身大の像で髻を結い、条帛・天衣をかけて左手まげて宝珠をのせる蓮華を執り、右手は躰側に垂れ下げ、右足をわずかにゆるめて立つ姿です。頭部は量感豊かで、目鼻の彫りは浅く、耳上の頭髪一条幅広く巡らして、耳朶(じだ)を貫通させずに表現しています。肩幅は広く躰躯も太造りで、腰をわずかに左に引く体勢もおだやかで、全体に彫りは浅いといえます。
 構造は内刳(うちぐり)(像の内部を空洞にして重さを減らす。)の大きな一木造りです。全身に傷があり時代の判定が難しいと云われていますが、平安時代の特色が強く出ているといわれ、十一世紀頃の作と云われております。

 本堂前左下にある聖観世音菩薩を祀る瀟洒な「観音堂」もこの頃(元禄年間)建設されたと云われる由緒あるもので、境内地と離れていたため、一時期独立した尼寺(善住寺)となっておりましたが、平成九年春に旧に復して今の境内地に移転整備されたもので、この古刹にかけられた大悲を願う思いが今結実しつつあります。又この観音堂はあやべ西国観音霊場第七番札所の「聖観世音菩薩」で、伝によれば「聖徳太子の念持仏として鳥佛子(師)一刀三礼の彫刻(せん)する所にして開帳佛なり」とあり、祈願によって母乳湧出の願いが叶えられると名高く、遠くからお参りに見える方もあります。

 左下の梯子が沢山お供えされている地蔵堂の「地蔵菩薩様」はお参りすると夜尿症を止めるための願いが叶うと云います。

綾部の文化財を守る会事務局追記

右下の庭園は小さいが見事なもので「素心庭どんぐりの古木そして、その後方に観音堂が見える」

引用文献:綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」、写真撮影:「綾部の文化財を守る会事務局」
住 職:渡 邊 秀 山 師