綾部の文化財シリーズ(第7回)         綾部の文化財HP
高津八幡宮(元府社・高津鎮座)

祭礼時の高津八幡宮正面拝殿

所在地
 京都府綾部市高津町宮の段一番地

境内面積(隣接する宅地・原野・山林を含む。)
 56,973平方メートル

御祭神(五柱)
仁徳天皇(向て右端御前第十六代、別名、大鷦鷯)
仲哀天皇(向て右御前、第十四代、別名、帯中津日子命)
応神天皇(中御前、第十五代、別名、品陀和気命)
神功皇后(向て左御前、仲哀天皇皇后、別名、息長帯姫命)
玉依比賣命(向て左端御前)

境内社及び遥拝所
*稲荷神社(稲荷さん)祭神宇迦御魂神
*高良神社(厄神さん)祭神武内宿祢
*天満宮(天神さん)祭神菅原道眞
*岩清水さん(飛来金鳩の留まった所)
*伊勢神宮遥拝所
*橿原神宮遥拝所

由緒
 高津に鎮座する(以下高津八幡宮)の地は、奈良時代に法道仙人が開いた密教練行の地であったと云う。第五六代清和天皇の第四皇子・第五七代陽成天皇の元慶五年(881)に山城の国(八幡市)の雄徳山(標高123メートル)にある石清水八幡宮より金色の鳩が飛来してここに止り、種々の奇瑞を表したのでこれを朝廷に奏上し、朝廷では丹波の国司橘良基を勅使として派遣し、調べたところ奏聞の事実と違はずそのことを復奏したので、朝廷は再び橘良基に命じ、石清水八幡宮の如意別宮として社殿を創建せしめたと伝えている。


当初、高津八幡宮の別当寺を極楽寺御所坊と称したが、次に福蔵院、後に究竟院と改め、真言宗醍醐三宝院派に属した。本坊(御所坊)、玄長ノ坊、中ノ坊、谷ノ坊、前ノ坊の五坊があり隆盛時には上高津下高津に千余石の社領を有していたと云う。
 しかし、第百四代後柏原天皇(応仁の乱から戦国時代)の明応九年(1500)12月19日社殿炎上のため宝蔵・古記録等悉くを焼いたが、翌年文亀元年(1501)勧進状により寄進を募り再建された。
 その後の戦国時代に入り社領没落・社殿荒廃の時代もあったが、豊臣秀吉の時代・慶長四年(1599)2月郡代野々口五兵衛が造営料として田地五反及び山林竹藪等を寄進。又、徳川時代に入り、慶長十一年(1606)8月には福知山城主有馬玄蕃頭から造営料として毎年米五石の寄進を受けた。

綾部初代藩主九鬼隆李寄贈の手水鉢

 寛文十年3月23日(1670)には綾部初代藩主九鬼隆李公は高津八幡宮を祈願所として代々高五石の米を寄進されるとともに、自然石の手水鉢を寄進された。
また九代藩主九鬼隆都公は社殿の改築を計画され、天保十二年(1841)から12年の歳月をかけ嘉永五年(1852)に上棟されたもので、現在の拝殿前回廊高欄の擬宝珠に同年銘が記録されている。向拝の竜彫物の裏には「大坂住、相野徳兵衛、彫刻□」とあり、社伝では大工は延村の名宮大工桑原平右衛門で、当社完成後、大原神社の造営を担当したと云われている。

右拝殿から市指定文化財の本殿へ

本殿の妻飾の三重虹粱の壮大さ、拝殿の彫刻と一体化した虹粱、支輪天井の装飾的効果が特に勝れ、京都府下有数の迫力ある寺社建築で見応えがある。拝殿は桁三間、粱行二間、入母屋造で向拝一間を付属している。いずれも銅版葺きである。又、表参道の四百余段の長い石段は、天明四年(1784)から文化十三年(1816)までの実に32年をかけて、飢餓、洪水等の災厄のなかで村民、氏子、近隣の人々の篤い信仰により造られた。
 明治元年(1868)に「神仏分離令」の発布により神仏習合の高津八幡宮の別当寺「究竟院」は明治三年廃止となり、檀家は東光院へ移された。なお、今までの社僧は神職となった。

平成十八年春季大祭と子供神輿

 この高津八幡宮は明治六年「村社」となり同十三年には「創建千年祭」が行はれた。大正五年には「郷社」となり、同十二年には何鹿郡(現綾部市)唯一の「府社」に昇格した。昭和五年には「創建千五十年祭」を行い、同五十五年には「創建千百年祭」を石清水八幡宮故田中文清名誉宮司を迎えて盛大に行った。この時「子供神輿」が新調され例年春の大祭(子供祭り)には子供神輿の町内巡行がおこなわれ現在に至っている。

秋季大祭「ヨイショの会」の神輿







年間行事
1月1日(祝)午前・歳旦祭 歳旦祭 4月23日      午前 火産霊神社祭(秋葉神社)
1月(第1又は第2日曜日) 家祈祷 ・午前東・午後西 6月30日      午後 水無月大祭
1月(第3日曜日) 午前 厄神祭(高良神社) 9月15日     午後 放生会
2月(第1日曜日) 午前 天神祭(天満宮) 10月(体育の日の前日)午前 秋季大祭
2月11日(祝)   午前 祈年祭 11月23日(祝) 午前 新穀感謝祭
2月11日(祝)   午前 稲荷初午祭(稲荷神社) 12月1日     午前 荒倉神社祭(荒倉神社)
4月第1日曜日   午前 春季大祭 12月31日    午後 越年大祭
神楽
中筋村誌によれば高津八幡宮には昔から神楽があり、氏子約十人が楽人として伝統を伝えている。以前は吉備楽であったが昭和の中頃から雅楽となったとある。高津八幡宮では毎年春秋大祭、祈年祭、新穀感謝祭にこの雅楽が奏上される。曲目は御扉開閉の時は、越天楽、献饌及び撤饌の時は五常楽となっている。楽器の種類及び現在の楽人構成は笙(四人)篳篥(五人)、竜笛(四人)、太鼓(楽太鼓一人)である。高津八幡宮でお神楽がいつから奏上されたか、起源は定かでないが、綾部福知山地方唯一の雅楽であるので、他神社の特別祭典にはしばしば招聘されていた。しかし現在では楽人の確保が難しく今後の課題となっている。
祭礼時の(神楽)雅楽の奉納
木造獅子・狛犬(1対)市指定文化財で綾部市資料館に寄託。
南北朝時代の勝れた又珍しい木造りの像。
左:角のある吽形狛犬(60.5cm) 右:口を開けた阿形獅子(60.5cm)、

綾部市指定文化財
一. 本殿(一棟、昭和60年4月1日 市指定、写真参照) 
二.木造獅子・狛犬(一対、写真参照)(以下二から五まで平成11年6月22日市指定となる。)
三.紙本著色八幡縁起(一巻、、写真参照)
四.紙本墨書高津御山八幡宮勧進状一巻)
五、紙本淡彩墨画大槻辰高像(一幅)







紙本著色八幡縁起絵(1巻)木造獅子・狛犬同様平成11年綾部市指定
文化財となり綾部市資料館に寄託。文明17年(1485)の室町時代のもので、
神功皇后の新羅・百済・高句麗遠征の内容で、この部分は鎮西(九州)へ
出陣の模様。幅:29cm、長さ:1,370cmもある

前ページの写真外は四、五で、文亀元年(1501)室町時代の紙高31.5センチメートル、長さ236センチメートルの「紙本墨御山高津八幡宮勧進状(一巻)」と江戸時代の縦87.8センチメートル、横30センチメートルの大槻辰高像とその曾孫為高の寛永十三年(1636)の賛文の入った「紙本淡彩墨画大槻辰高像(一幅)」が綾部市指定文化財で保存の関係上、綾部市資料館に寄託しています。
 尚、当八幡宮境内には「綾部の古木名木100選〜緑と文化遺産〜」に四本の神木等が指定されております。
 ニレ科のケヤキ(幹周3.98メートル、樹高36メートル)、ヒノキ(幹周3.10メートル、樹高は35メートル)、アスナロの木は幹周2メートル、樹高20メートル、又、珍しいツブラジイの木は幹周3.7メートル、樹高28メートル)であります。
 又、八幡宮は戦国時代の「高津八幡山城跡」もありますが、割愛させていただきます。
(参考資料)綾部歴史のみち(綾部市発行)中筋村誌、高津の文
化財を尋ねて(大槻義一著)、日本歴代天皇大鑑(皇室図書刊行会)、日本神祇由来辞典(川口謙二編著)、京都府の地名(日本歴史地名大系平凡社)、八幡宮概誌(前々宮司故清水芳之氏)
(写真提供)綾部市資料館、大槻和巳、「守る会事務局」
高津八幡宮   宮司 大槻正明

高津八幡宮本坂鳥居の桜

(事務局より)
高津八幡宮の拝殿・本殿の彫刻以外にも四季の風景も素晴らしく、四月上旬の桜、五月の藤、秋の紅葉をも是非見て頂きたいものです。尚、マイクロバス・乗用車なら自動車参道で拝殿すぐ近くまで行くこと出来ます。駐車場も無料で数十台が駐車可能です。又、当会のホームページでより多くの写真等を見れます。
 ホームページは次ぎの通りです。
 http://ayabun.net/bunkazai/annai/takatu8/takatu8.htm