東光院 中筋 上延町 綾部の文化財一覧表へ 綾部の文化財
東光院は、高野山真言宗に所属する古刹で、菅谷山法隆寺東光院と号し、本尊は薬師如来をまつる。 寺伝によると天武天皇の白鳳二年(673)理趣仙人によって開創され、七堂伽藍を備えた寺院であった。寛弘二年(1005)聖楽上人が中興し、坊舎二十一坊を備えて隆昌したが、応仁の乱につづく延徳の兵乱(位田の乱)の兵火で焼失し、更に明暦年間にも火災にあって炎上した。 当寺に残されている大般若経は、平安時代から室町時代に書写された、大般若経の残巻で約三十巻あり、最古のものは、仁平二年(1152)奥書があり、又他にも志万庄法隆寺(巻第五〇)奥書のあるものもあって、当時は法隆寺と呼んでいたことがわかる。この写経は、丹波における平安時代の写経事業を伝える数少ない遺巻であり貴重である。 又、経櫃懸子は、杉板製漆塗で、長方形、底は浅板張りで、内面と底面に漆書、墨書があって延徳二年(1490)頃の位田の乱に岡町木曾殿神社の焼失の事が記録されている。 昭和63年12月 綾部の文化財を守る会
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◎経櫃懸子(上延町 東光院) 時 代 室町時代 法 量 縦38.5センチ 横32.4センチ 高4センチ 経櫃の懸子で、杉板製漆塗りで、長方形・底桟板張りで次の漆書、墨書がある。 (内底漆書) 当国何鹿郡位田乱仁般若烟焼処丑歳六月八日上志万於古曽戸之宮烟焼然今明応八年已未五月十八日此帙箱筆畢 (底裏奉書) 天文弐年みつのとの己年大般若経一部奉転読出家午年口僧すけ山宝光坊口口淳長房 |