岩王寺  八田 七百石町(地図)  綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財    岩王寺地蔵尊HPへ

神宮山 岩王寺しやくおうじ 高野山真言宗
平安時代の初期、この山より産出する硯石嵯峨天皇は「石の王子」とたたえられ、その百年後の天歴三年(949)空也上人この山に一寺を建てて岩王寺と名づけられた。
元弘三年(1333)足利尊氏 篠村に兵を挙げるや岩王寺一山のの僧徒足利氏のために戦勝祈願をし、その功により田地二町歩の寄進を受けた。
そのころ寺領七百石を有し、寺僧百人を数え、この山一帯には堂塔、伽藍林立して隆盛をきわめた。
その後秀吉 天下を平定するや寺領落失して今日に至っている。
岩王寺石の名声は今に伝えられているが、明治維新ごろの山崩れによって今は産出しなく「幻の名硯」と言われている

指定文化財 重要文化財 きゅう漆卓 工芸品 1脚 室町時代
京都府登録文化財 岩王寺本堂 建造物 1棟 江戸時代
岩王寺仁王門 建造物 1棟 江戸時代
綾部市指定文化財 足利尊氏寄進状 古文書 1巻1通 室町時代
綾部市指定文化財 足利尊氏寄進田数目録 古文書 1通 室町時代
神宮山 岩王寺 石段 庭園から見る本堂 サンシュユ 樹周1.2m 樹高7m
仁王門 仁王像 右 仁王像 左
岩王寺本堂 萩の庭園越しに見る本堂 仁王門
展望所から見るカヤブキの御堂 倉裡 案内板

綾部の文化財シリーズ(第三回)
神宮山 (しやく)王寺(おうじ) 高野山真言宗(綾部西国観音霊場第二十五番・如意輪観世音菩薩)
 私どものお寺では、参拝者の方々に、お参りしていただいた記念に、感想などを書いてもらおうと本堂前に「記帳ノート」をおいております。その中でよく「童話の世界に入ったようだ」「昔話に出てくるお寺みたいだ」などの感想を書いていただいております。岩王寺は集落より北方にある山の中腹にあり、一番近い民家からも約四00メートル離れ周囲を森林に囲まれ、静寂の中、現在の堂宇建立当時のかやぶきのままで、タイムスリップしたかのような錯覚を思わせるからではないでしょうか。
  岩王寺は、約一千五十余年前、空也上人によって創建されました。時代の変貌とともに、お寺も移り変わりをして、現在の伽藍になったのは、江戸時代中期のことです。
 岩王寺というお寺の名前ですが、「がんおうじ」と呼ぶのではなくて「しゃくおうじ」と呼びます。空也上人の開創以前、お寺の奥から石を産出し、その石で硯石広辞苑にも記載されていますを作り、その硯石嵯峨天皇に献上されたところ、大変好まれ御愛用されたそうです。丹波の国石王子山硯石あり、黒色にして白筋あり、・・・・・伝え言う嵯峨天皇の勅により石の王子なるべしとて石王子しゃくおうじ)と名付け給うと。今の世当山に入ることを禁ず。・・・・・雲根志玉石調査研究所」より)と名付けられ、その音をいただかれ、字だけを変えて、寺の寺号とされました。
 享保三年三月(1778)、本寺住持・秀蓮の手記による、丹州(たんしゅう)(いか)鹿郡(がぐ)神宮寺山岩王寺古記の伝える所に依れば、嵯峨天皇より、おおよそ百年後、村上天皇の、天歴三年(949)都の聖、空也上人醍醐天皇第二皇子)の草建にして、本尊薬師仏を安置した勝地であると記されています。
 創建以来、四百年間の詳細は明らかではありませんが、盛時は岩王寺山一帯堂塔伽藍林立し、寺僧百人を数え、山陰随一の聖地にして参拝の人々跡を絶たずとあり、香煙絶えることなしと言われ その間、仏法の修練の道場であったと伝えられています。
 約四百年後の、元弘三年七月(1333)に書かれた祐忍言上状によると、元弘三年四月足利尊氏丹波国篠村(現亀岡市内)で北条氏討伐の兵をあげた。その月の四月二十八日、尊氏の母君である上杉清子の兄上杉兵庫入道憲房が、岩王寺へ来て戦勝祈願の祈祷を命じ、それに応じ一山の僧徒が祈祷しました。
 そして、尊氏の軍によって京都六波羅が落ちた後,建武元年二月九日(1334)、祈祷の賞として、尊氏より岩王寺何鹿郡八田郷内田地弐町が寄進された。その寄進状並びに寄進の田数目録綾部市の指定文化財である。
 しかし、秀吉の天下統一後、寺領も徐々に失われ衰退したが、江戸中期岩王寺住僧・秀蓮によって復興された。
 南より仁王門本堂庫裏が直線上に並び、本堂の東側に西面して鎮守社熊野権現)が立っている。
 本堂の建立時期については直接的な資料がありませんが、享保三年(1718)の勧進状があり、また、享保七年祈祷札が打ち付けられていることから、享保年間に造営されたと思われます。桁行三間奥行き三間寄棟造茅葺きで、正面右上には瑠璃殿と書かれた岩王寺石が掲げてある。
 仁王門は、本堂より若干新しいと推定される。三間一戸八脚門石段を登った所に、南に面してたっている。屋根は茅葺きで両脇には仁王像(金剛力士像)を安置している。本堂仁王門ともに京都府の登録文化財です。
 京都府登録文化財の附けとして棟札一枚庫裡一棟鎮守社一棟あり、境内のすべての建物江戸中期の貴重なものです。
 また、本堂薬師如来の前机経卓きゅう漆卓(きゅうしつたく)があります。牡丹唐草文透彫りされた中国風の机であり、全体に漆を塗り、透彫りの部分は胡粉下地のうえに紅と緑で彩色されています。裏には漆塗り銘文が書かれてあり、それによると、永享四年四月(1432)に岩王寺の住僧・祐喜が四十一歳のとき、彼の両親の現世安穏後生善処有縁無縁の衆生の平等利益などを祈って、御宝前に捧げたものです。 この卓は、大正十四年に国宝の指定を受けましたが、現在は国の重要文化財で、奈良の国立博物館で保管していただいています。

 流れ山水の庭
 庫裡の前庭は、岩王寺石適所に配した流れ山水の小庭で、職業的庭師の作庭でなく、江戸時代末期頃の当時住職の指図によって作られたもので、格調あるものとして高く評価されています。またこの庭は、茅葺きの本堂庫裡とも良く調和して、誠に優雅です。

 この他、境外仏堂として地蔵堂があり、本尊は地蔵菩薩
子安地蔵尊として有名なる御尊体にして、古住足利尊氏の母公深く是を信仰し給うと伝えられるお堂がある。この地蔵堂は、明治時代の後半まで山内にあったが、当時は細く急な坂道で、子安地蔵としてはお参りし難く、村人の切望も多く移転された。と聞いております。現在は岩王寺より少し下がった、公会堂の前に移動し、安置してあります
 しかし、これまで何もしないで、岩王寺は守られてきたのではありません。昔からの先師、あるいは心のよりどころとしての壇信徒の、大いなる信仰・信心によって修理し現在に至っているのです。
 また、近年檀家の皆様の力により、平成九年に仁王門の茅葺きの全面葺き替え、平成十二年・十三年の二ヶ年にわたり、本堂の大改修が行われました。これからも、仏様を拝するお寺として、また、文化財として、皆様の協力もと大切にお守りできることを願っております。岩王寺住職 松井 真海
 その他:「綾部の古木名木一00選」(綾部自然の会発行)の岩王寺境内のヤマモモ、サンシュユも有名です。
 行事:
 一月 一日 六万札
 四月 上旬 勧桜会(護摩供)・花まつり
 八月十五日 施餓鬼法会
 九月十五日 萩まつり筆供養
十一月十五日 祖師講

桜の見ごろは四月上旬から中旬頃
紅葉の見ごろは十月中旬から十一月上旬頃
内拝は予約が必要です。
高野山真言宗 神宮山 (しゃく)王寺(おう)

 京都府綾部市七百石町寺の段一番地 電話:0773ー44ー0646
◆無料駐車場有り、但し大型バスは進入不可。28人乗りマイクロバスは可能です。
(注)
七百石と言う地名は岩王寺の寺領穫れ七百石あり地名になった諭旨。