施福寺  八田 上杉町  綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財

集宝山 施福寺 由緒   綾部西国二十八番札所
宗派 高野山真言宗
本尊 千手千眼観世音菩薩
開山 奈良時代(注記参照)行基大士(約1200年前)この地に来遊され、地勢絶勝にて頗る清雅であるところから、庵室を構えて漸次この地を開拓し、ここに伽藍を造営し山名を集宝、寺号を施福とされた。
その後方々より学徒多く集まり来るようになり、八葉ケ峯蜂ケ峰)の中腹に、東照寺西照寺その他十二ケ寺が建立されたが、年月を経て荒廃した。よって東照寺は、井根の日円寺へ、西照寺施福寺へと言い伝えられる。
(注記)施福寺の歴史は古く、伝えるところでは奈良時代の和銅3年(710)、宝珠に似た山の形を好んで僧・行基(後に行基菩薩と呼ばれるようになった)がここに庵居し、自ら千手観音像を刻んでお祀りしたことがそもそもの始まりと言われます。その後、方々より学徒多く集まり来るようになり、八葉ヶ峯(蜂ヶ峰)の中腹に東照寺、西照寺(今でも基礎石が数個みられる)その他12ヶ寺が建立されたが、年月を経て荒廃した。

再建 平安時代(950)空也上人熊野三所権現を勧請し再建される。
戦国時代(1526)兵火にかかり尽く焼失する。
その後、江戸時代(1686)四間半四面の本堂建立
江戸時代(1736)大洪水にて壊滅したが、時の代官、小堀仁右エ門に本堂再建を願い出て、翌年山門・本堂再建される。しかしその後再度の大洪水により山岳崩れ本堂は壊滅する。
江戸時代(1809)七間四面の本堂再建され、現在に至る。(約180年前)
明治三十一年(1898)壇家浄財を寄進し、夫役に当たり庫裡建立される。
昭和四十三年(1968)トタン覆屋根に改修。
市指定文化財 木造地蔵菩薩半跏像
御詠歌 世の人も来て願うべし 観音の 御手に宝を集めたる山    平成2年1月
指定文化財 綾部市指定 木造地蔵菩薩半跏像 彫刻 1躯 鎌倉時代
写真左:施福寺周辺 丹の国綾部(フォトグラフィ・イン・あやべ)より
西照寺 東照寺 山岳仏教時代の歴史の道探索
川端先生:山岳仏教の話 西照寺 井戸跡?凹み 何か見つかった様子 礎石?平坦な丸石が
藪の中を検分しながら 東照寺跡の石段? 石垣の跡あり東照寺跡と断定 記念撮影