楞厳寺 豊里 館町 綾部の文化財一覧表へ 綾部の文化財
塩岳山(えんがくさん)楞厳寺(りょうごんじ)高野山真言宗 天平年中(729−48)林聖上人の開創にかかる楞厳寺は、もと吉祥院と称していた。 幾多の時代変遷と再三の兵火により、寺坊はほとんど焼失している。殊に建武四年(1337)の乱により広大な寺領が奪われた記録が、貞和五年(1349)の敷地紛失状である。 また江戸時代初期の筆と考えられる楞厳寺縁起は、当寺の伽藍および宝物について記されている。 現在の本堂は、元禄十六年から宝永五年(1708)にかけて建立されており、庫裡は宝歴八年(1758)のもので、内部の*絵は、長井一*画伯筆の*絵で知られ、四季に分けて三十面に描かれている。 境内の菩提樹、百日紅、椿は三古木として知られる。
本尊 薬師如来 本寺は真言宗高野山派に属し、聖武天皇 天平年中(729−48)林聖上人の開創といわれる。 建武四年(延元二年1337)兵火に見舞われ広大な寺領を奪われ、*** |
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会報27号 昭和63年10月5日 綾部市指定文化財(63年度分) 楞厳寺縁起 一巻 帽20p、長182pの巻物で、応仁の乱後、室町幕府の統制が無力化し、諸国の群雄割拠して相争う下剋上の社会、即ち戦国時代に初期延徳元年(1489)、荻野、大槻が訴訟といって、守護代上原豊前守父子へ謀反を企て、位田城に立てこもった。 これを鎮めるため、丹但備摂十三ケ国の軍勢が攻め寄せ、楞厳寺へ乱入し、資材を奪取、又陣屋にして山林仏閣等悉く破壊したなど、位田の乱についての史料や、楞厳寺再建に至る経過や勤行などの次第が詳しく記載されている。 縁起の部分については、綾部市史史料編42頁に掲載されている。記録された年代は不明である。 |