第38号 平成6年4月15日   神宮寺町 綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財  綾部八幡宮HPへ

綾部八幡宮「お田植式」再興について  綾部八幡宮々司 四方 彰 氏
写真撮影は、綾部の文化財を守る会会員:片山道子さまに、リポートしていただきました。平成17年4月3日

 綾部八幡言のお田植式は、地域の古老によりますと、終戦前(1943年)頃までは、継続して伝承されており、それを見たといわれています。しかし、その後今日に至るまで約五十年間、まったく廃絶しておりました。
 平成二年、私が八幡言に奉職いたしました折に、書庫に保存されていた書類に目を通しているうちに、去る昔、八幡宮神子(ミコ)を勤めていた、井倉村の福林家に伝わる古文書で、寛政八年(1796年)に写本された古文書の写しを見付けました。
 これを解読しようと思い立ちまして努力いたしましたが、なにしろ二百年前の記述で、変体仮名の上、虫損、紙皺(シワ)等で容易な作業でなく、四苦八苦いたしておりました所、梅原三郎先生のお教えをいただき、京都府教育委員会によって、昭和五十四年に集録発行された、「京都の田遊び」の調査報告書に福林家文書の全容が記載されていることが判りました。
 綾部八幡宮では、現在も例年四月三日に、綾部地区(郷)の総鎮守祭礼と位置づけられて、例大祭を斎行していますが、従来から、この祭礼に「お田植式」が奉納されておりました。
 古老の記憶によりますと、約五十年前には、神職がひとりで演じていたようですが、これは、長い歳月の流れの中で風化して、かなり原形が崩れて簡略化されたものであったようです。
 今回の再興にあたっては、京都府教育委員会、綾部市教育委員会、上田正昭先生(大阪女子短大学長、元京都大学教授)のご指導を受けることとなり、明確な記録資料がある以上、これを忠実に再現すべきだという事になり、一気に二百年の歳月を遡って、その姿を取り戻すことになりました。
 さて、お田植式の古文書は、いわば、式の台本のようなものでありまして、式場の配置図を始め、演者、参列者の着座の位置、小道具の位置、展開する順序、台詞、歌詞が具体的に克明に記されています。
 以下、その大要を紹介いたしますと、拝殿の広前に十畳半の舞台をしつらえ、その周囲に、八幡宮氏子中の代表、二宮、若宮、熊野、味方の各社の禰宜、神子と、お田植の仕草を中心的に演ずる半左衛門と兵衛が着座します。
 先ず神前に拝礼の後、暦を見ることから始まり、苗代見、苗代起こし、牛を引き廻しての代かき、草撒き、柄振りによる田慣らし、種播き、烏追いと進み、続いて、歌に合わせて、八幡宮、二宮、若宮、熊野、味方各社の禰宜が立ち苗取りに移ります。
 苗取りが終わると先の人たちにより、昼食をはさんで、午前と午後に分けて、歌に合わせて田植の仕草を演じます。
 最後に、傘鉾(花傘)を押し立て、噺しと共に練り込み儀式が終わります。
 現在、八幡宮に保存されている物は、古文書の写しの外に、半左衛門が着用する翁の面、太鼓、鼓(つづみ)等がありますが、今回の再興にあたって、ほとんど新調することとなり、京都府の援助を受けたことは、大きな励みとなりました。
 更に、八幡宮お田植式と類似し、現存している、日吉町多治神社、亀岡市犬甘野の松尾神社に再三見学に伺がい、教示を得たことと、綾部市では、伺北中学校の四方正人氏を始め、木下和美氏、梅原豊氏のご協力を得たことは、まさに幸運であり再興への絶大な力となりま
した。
 文化財を守り、伝承することは、人々の熱情と英知と力の結集があってこそ或るものだと実感する今日この頃であります。
宮司お祓い 拝礼 神子さんたち
参拝者の皆様
祝い太鼓 半左衛門(宮司)登場 半左衛門 囃子方
田お起し 田すき 牛の引廻し
施肥 草まき 種まき
水戸まつり 鳥追い 糸つむぎ
田干し 田植え・直会 二宮・若宮・熊野・味方・綾部 各八幡宮の祢宜
傘鉾(花傘)を押し立て囃子と練り込み