金剛寺  上林 睦寄町   綾部の文化財一覧表へ   綾部の文化財

紫玉山 金剛寺 門標 三界満霊塔 蒼玉 石碑
  金 剛 寺
 当寺は紫玉山金剛寺と杯し、本音は延余地蔵尊、開山は春屋妙葩晋明国師)であって、現在は臨済宗南禅寺派に属する。
 もとは紫玉庵といい、元亨年中(1321一23)の創建と伝えるが、応安四年(1371)に南禅寺山門破却事件をめぐり五山の指専者であった妙葩管領細川頼之と対立し、舞鶴の雲門寺に隠棲した時期に京都往還の際この紫玉庵に休息するのを常としたところから、明徳二年(1390)に金剛寺と改称し、すでに没していた妙葩を開山とあがめるにいたったものである。
 妙葩が幕府と和解し南禅寺に環住したのは康暦元年(1379)であるが、その後将軍義満の発願になる相国寺の造営にも尽力した。上林荘はその大半が相国寺領にあてられたところから、当寺は相国寺寺領経営の拠点としても重きをなしたと思われるが、次第に衰退し天正七年(1579)には諸堂伽藍を悉く焼失し、慶安二年(1649)棟雲和尚によって現在地に再興されたものである。
指定文化財 綾部市指定 木造普明国師坐像 1躯 彫刻 室町時代
本堂
観音像 庭園 御堂
紫玉山 金剛寺 (古い駒札:下記写真)
本尊地蔵菩薩
 臨済宗南禅寺派に属し開山は春屋妙葩(しゅんおくみょうは)(普明国師)(ふみょうこくし)である。
 足利義満妙葩生前の願を入れ明徳三年(1392)尊氏香華道場ととして以前この地にあった紫玉庵を合せ本寺を建立した。妙葩は当時の名僧天竜寺夢窓疎石に学び義満の帰依を得、故あって丹後雲門寺に住したが京都への途次しばしばこの地の紫玉庵に滞在した。室町時代寺領二百石を有したが、天正七年(1576)明智光秀のため焼かれたという。
本寺に伝えられる開山普明国師像室町中期の作として優れている。