覚応寺 山家・旭町寺の前  仁王像始末記へ   綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財

仁王のいない仁王門(山門) 鐘が吊られている 空虚には瓦が
覚応寺 綾部市旭町寺の前
塩谷山 覚王寺は、南雄周最を開山とし、山家藩主谷衛政を開基とする、臨済宗妙心寺派に属する寺院である。もと天禄三年 空也上人の開基を伝え、願成寺と称していたが、寛永年間谷氏の菩提寺となり、末寺十七を有する中本寺として往時は栄えた。山門に安置されていた鎌倉時代仁王像は、現在京都国立博物館において保存されている。綾部市観光協会
 ○塩谷山 覚応寺 臨済宗妙心寺派
 旭町寺の前1 此除地:4033平米
本尊:釈迦如来 両脇立:迦葉尊者阿難尊者阿弥陀如来立像維磨居士地蔵菩薩
 天禄三年(972)空也上人の開基で台家念仏宗であったが、小松内府平重盛祈願所で、塩谷山願成寺といい堂宇楼門十二坊院があった。妙光院と号する一小庵を残すだけになり、住僧もなく廃寺同然となったが、萬治三年第二代藩主衛政公が有司佐原親直に命じ、下八田町梅巌寺に立ち寄っていた南雄禅師を境まで迎えさせた。又家臣別所友貞に命じ、谷家菩提所 妙音寺(安国寺末で今の照福寺のある所)を廃し、更に谷家先祖累代菩提寺として、願成寺の小さいお堂を改修し、塩谷山覚応寺と命号し、南雄禅師を開山とし、衛政公を開基として寛文二年(1662)創立した。
 天和三年(1686)三月、三代藩主衛広公の帰依篤く当寺二世禅嶺師たくさんのお堂造営し寺観を整えた。「方丈表九間裡六間但し九尺間、庫裡八間に四間、廊下長さ四間横二間、阿弥陀堂三間四面、仁王門表三間裏二門仁王尊両立し鐘楼一間小間中四方、鎮守熊野権現麻姑釈子(なごじゃくし文化五年(1808)の「木下文書 菅沼矩通記録」にはこう書かれ、檀家数五九戸となっている。明治三十五年第十三世住職小林宗輔妙心寺管長となる。昭和十年五月本堂総瓦葺きに改築した。
 阿弥陀堂は、慶長九年(1604)三月建立され、貞享三年(1686)改築、明治三十年秋、大改修を行った。阿弥陀如来(八尺立像)は、願成寺の本尊で安阿弥の作といわれている。しかし其の後、堂の守が難しく福知山石原輿の人、日本茶道会田中仙樵氏に買われ、現在は汽車からも見える青い屋根の「法輪殿」として大切に保存されている。
 仁王門は、寛永十四年(1686)春創立され、延宝元年(1673)五月衛広公が、願成寺寺院の遺木を集め、本堂を100mはなれた所に建設される。
 明治二十一年府道小浜線の工事の時現在地に移転し、瓦葺きにした。両立の仁王金剛力士像は、願成寺の遺物で運慶の作と伝えられているが、昭和四十四年危うく海外流出となる所、京都博物館に買い上げられ、保存陳列されている。
 第十五世竹貫可瑞師昭和五年入山、昭和六十一年入寂してより無住、現在照福寺の構えとなっている。 山家史誌(山家史誌編纂委員会)より収録
本堂 庫裏 英魂碑
累代住職の石碑 谷家累代の奥都城 巨石の並ぶ墓
竹を切り開いて戴く 谷家顕彰碑 谷子爵家累代の墓