玉泉寺  上林 武吉町  綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財

梅林山 玉泉寺 石段 六地蔵 満霊塔
寺門 本 堂 梵鐘堂
武吉町西に在り臨済宗南禅寺派一等池で本尊に釈迦・文殊・普賢三尊仏をまつる。梅林山と号し慶長6年(1601)能登嶽峰恵林禅師の開創と伝え、はじめ五詮庵と称した。嘉永7年(1858)火災にあい慶応元年(1864)再建、明治17年玉泉寺と改称。明治33年(1900)寺門梵鐘堂を建立する。
寺宝に大般若経六百巻涅槃像十六善神・白衣観音図がある。観音図室町時代の画家霊彩の筆になる。紙本淡彩墨絵重要美術品であり、50年(1976)綾部市文化財の指定を受けた。京都国立博物館に寄託中である。
尚、元、深山山中にあった真言宗の薬師寺にまつられていた大日如来座像が、天正年間の取りこわしや、明治6年(1873)の廃仏毀釈等の難にあいながらも、村人による護持玉泉寺の理解を得て、昭和60年(1986)境内に建立された大日堂にまつられ、その後、痛みの激しかった仏像の修理も完了し、寄木づくり彫眼平安末期の様相をもつ鎌倉時代の地方仏師の見事な作として、昭和63年(1989)綾部市の指定を受けた。   平成11年12月  玉泉寺
指定文化財 綾部市指定 紙本淡彩墨画白衣観音図 絵画 1幅 室町時代
綾部市指定 木造大日如来坐像 彫刻 1躯 鎌倉時代
大日堂 大日如来座像 梵鐘堂  寺門  庭園
会報23号 昭和61年3月1日
 玉泉寺と大日如来   井上 益一  氏
 中世の山城跡のある綾部市武吉町西梨ケ岡の麓に、臨済宗南禅寺派の梅林山玉泉寺という禅寺がある.
下を上林川が緩やかに流れ、前方は十倉の平地、若狭へ適ずる上林街道を見渡し、後方は鉢伏山に続く山地で、曽ては地方豪族の館跡かとも思われる台地である.もと玉詮庵といい正保元年(1644)能登総持寺の僧峯禅師の開山で、明治になって玉泉寺と改称した。 この禅寺には珍しい大日如来像が祀られてある.身丈1.3メ−トル彫眼寄木造の座像である.これは鉢伏山の中腹に薬師寺という古寺があって、それがだんだんすたれ荒れはてていくのをみかねた村人が仏像を在へ運び出し、堂を建てて祀っていたものである.このことを「丹波志何鹿部の部」に次のように書いている.
 前城山薬師寺古跡
深山二古跡字ニ大御堂小御堂ト云所ニ七堂伽藍五丈斗滝アリ天正年中福知山域エ引諸仏残リ村エ引取三間四方薬師堂建安置ス居仏三尺斗観音勢至像五尺斗庵ノ本尊大日如来ヲ合セテ三尊上林七里ノ谷勝テ大仏也箕ノ外古仏多シ 吉祥院麻呂子親王七仏薬師ト云云
とのべている。
 時うつり明治初年となり廃仏毀釈の厄にあい堂は壊され諸仏まさに処理されようとする寸前、通りあわせた福知山の商人に薬師如来観音勢至菩薩の三体は買とられ、後に笹尾の円応寺境内に祀られて今日に至った。この始末を同寺薬師堂の板札に記しているし、天田郡誌資料にも同様のことを書いている。
 当時京都府の視察あり、録倉時代中期の立派な仏像であるから大切に保有されたいとのこと。で、同寺金網張にして祀り現在に至った.
 大日如来像は武吉村有志の熱意により中山山麓にうつし細やかな堂を建て四十二名の方々で大日講をつくり祀ってきた。大戦勃発と共にかえりみられることも少くなり遂に堂宇の破損甚しく本尊仏までもいたみ、戦後玉泉寺に依頼しその客仏として境内に祀られることになった.たまたま府教委文化財保護課の視察視察調査あり佐々木蒸平先生(現京都大学文学部教授)から「鎌倉時代地方仏師の力作で極めて貴重である.この堂では管理出来かね仏像も破損するので今少し大きな堂に改め風雨に冒されないよう大切に保存されたい」との指導を受けた。
 明治初年の講連中は全て世を去り、今はその子、或いは孫の代になっている。これらの方々のうち坂田進氏は講連中に熱心に呼びかけ、堂宇を新築し仏像を祀って寺に奉納しようと計画した。講連中は明治初年の先輩の熱意を偲び、呼びかけに喜んで賛同し、浄財を寄進した.玉泉寺現住職喜久文晃師も感激し、托鉢にまわり寄進を受け他の多額の浄財も合せてこの工事に寄付協力した。
 尚府、市のあつい指導協力もあって遂に目的を達成し昭和60年11月吉日めでたく落慶法要の式を営んだ。
 御堂は山門を入って左手本堂の前にあり木造宝形造の屋根、間口1.8メートル、奥行2.2メートル、高き2.5メートル銅板葺くである。工事総額2百万円余、工事請負は岩波建設で岩波功氏(33)が棟梁として精魂をうちこみ完成させた。
 永年の風雪に耐えた大日如来像はそのお顔に衆生済度の温い気持をたたえ杷られてある。
 かつて住職三木師のあとをついだ角田師は、
山紫水明 梅林之辺 禅門自閑 一宇之門
と入寺山門の掲を唱えまた
 随仏縁来玄晋山 白雲深処非壁裳
 法燈相嗣玉泉寺 歓喜 々老僧心
と晋山の嶋を唱えて晋山しこの寺の土になると決意、日々大日如来にも礼拝を忌らなかったが都合により心ならずも寺を去った。しはらく無住であった同寺も先年東京より喜久文晃師を迎え、明るさを加えて今日に至っている。
 尚同寺宝物で昭和50年9月綾部市の文化財に指定された霊彩筆白衣観音画像(室町時代)は、今京都国立博物館に寄託中である。
 檀家僅か百十戸ばかりの豊でもない寺ではあるが、こうした由縁を偲び日々定刻に撞かれる梵鐘の音に、或は板木の音に村人は心のやすらかさを覚え、大日如来の前に礼拝する時、仏恩の有難さをしみじみと味うことであろうと思う.
会報27号 昭和63年10月5日   綾部市指定文化財(63年度分)
木造大日如来坐像 一躯 鎌倉時代 (武吉町玉泉寺)
 玉泉寺はもと玉詮庵といい、開山は能登総持寺の獄峯禅師である。途中曽洞宗から臨済宗への改宗があり、寺名も明治に入って玉泉寺と改めた。
 玉泉寺の境内堂宇として祀られている大日如来像は、桧の寄木造で高さ91.5pの坐像である。
 宝冠をいただき天衣をかけて智拳印を結んだ立派な像である。
 その昔薬師寺という古寺があったが衰退し、それを見かねた村人が仏像を在へ運び出し、堂を建てて祀っていたもので、「丹波志何鹿郡の部」に薬師寺古跡として記録が残っており、又、「玉泉寺と大日如来の稿を本会報23号に井上益一先生よりいただいているので参照願いたい。