会報第40号 平成7年4月15日
(資料紹介)
福田神社発見の棟礼と鬼面 綾部・大島町 故山下 潔巳氏 綾部の文化財
| 大島町の福田神社の境内にある輿庫と社倉が、境内整備の一環として解体整備されることになり、さる2月19日梅原三郎先生と二人で両庫の整理に立ち会った。 8時に新庄宮司の修抜、奉告祭のあと倉内の神輿や祭礼用具などが社務所に移され、後に残った物の整理を行ったが、その中に棟札が三枚と鬼面(木製)が発見された。 それについて資料提示と、若干の考察を試みて見たい。 ○棟 礼 @ 右半分のみ、文化九年の墨書銘があるが、建物の名称は不明。世話人として勘右衛門他6名の名が見える。 A 輿車の棟礼で、大工は大島村利右衛門、大旦那は吉兵衛定家他1名、勧道者は氏子中とあるが、年代は不明である。 B 世話方、政右衛門他3名の願主名があるが、年代や対象物件は不明である。 ○神 輿 あまり大型の神輿ではないが、この神輿は吉美高倉神社の輿を譲り受けたと伝えられている。 ○鬼 面
ところが、偶然書店で朝日新聞社刊の「日本の歴史」別冊に「ゑきれいよけ」という鬼面の写真が載っていた。 内容は「むかし正治二年(1200)ゑきれいがしきりに流行したので、佐渡にある鬼面明呻のお姿を門口に張っておいたところ、その家にはえきれいが入らなかった と古老が言ったという。 安政五年に正治年間のごとく流行して人民大いに苦しんだので、昔の鬼面の図を摸写してゑきれいを病む者を平癒なさしめ、ゑきれいを除けるの一助とするのみ」とかかれていた。 十分な検証を経た結果の証明ではないが、福田神社の境内には市内唯一の疫呻社が祭 られていることから類推すると、あるいはこの面はゑきれい(疫病)除けとして疫冲杜と何らかの関係があって、ここに保存されていたのではないかと思った次第である。 鬼面について知見をお持ちの方はお教えいただきたいと思います。 以上
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| 取材記:彼岸の好天気の中、長福寺と源頼光の伝説のHP校正を持って、新庄町の西田好三先生宅に行き、この福田神社の所在地を地図(ぜんりん住宅地図?)で調べていただいたが分からなかった。大嶋文隆会長宅は記載されていた。帰りに栗町にある九鬼藩郷学校:廣胖堂蹟に寄るべく、所在地を若い人に尋ねたが分からず。年配の人に尋ねて教えていただいた。次に福田神社を探して中筋小学校前の小川沿いの道を走り、5人連れの墓参途中の人(比較的に若い方)に訪ねたが、寺は知っているが神社は知らないとのことであった。小学校の方に少し行くと甲ケ岳の方に開けた道があり、鳥居が見えた。行ってみると福田神社であった。彼岸の故か取材中、人気の全くない荘厳とした神社であった。誰とも話せず「文化財と人とのふれあい」の趣旨に添わない取材となった。最近は?若い人に社寺の所在を尋ねても知らない人が多いように思える。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||