綾部八幡宮  神宮寺町 綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財  綾部八幡宮HPへ

鐙・片山両会員による特別取材   綾部八幡宮の関係者多数に情報提供のご協力をいただきました。

慶長年間建立
願主:若連中
世話方:當村中

なぜ1基しかないのか
もう1基は船で運ばれる途中荷崩れを起こし由良川に沈んだ。
引き上げられて大川神社に祀られている。
詳細は、あやべ市民新聞の「ふるさと探訪」第2話を参照ください。
鳥居 平成15年10月 氏子中奉献  石段上の燈籠
 岐(くなど)の神に就いて
 この神様は、道俣の神とも呼ばれ、古事記、日本書紀に見える八衢彦之命(ヤチマタヒコノミコト)であろうと思われます。 衢=街 読みを神職様におそわりました。
古典によると、道路の分岐点、村境、道路界に祀られる悪霊、疫病、禍事除けの神様であります。
此の御神石は、宮代参道大鳥居灯籠の付近、福知山街道と天田郡三俣−菅に通ずる間道、並びに神宮寺加迫道の三叉路に建立されていたもので、昭和57年5月30日此処に遷座いたしました。
 岐の神は、古来から道祖神の一累であり、子供の護り神とも言われ、何時も地域の子供を見張っていて、日頃の行いを記帳されていると伝承され、子供の躾のために親子一緒で祈願していたとも言います。
 青少年の健全育成が課題となっております今日、崇敬を篤くして次代をになう子供達の清く、明るく、正しい成長が、高い御神徳によって守護されんことを祈念いたします。  平成10年4月吉日 綾部八幡宮宮司
平成御大典記念 鳥居 神楽池 上方に最も古い石段がある
八幡宮
 御祭神 応神天皇、仲哀天皇仁徳天皇神功皇后武内宿禰
当社は、治承年中、小松内大臣平重盛卿の勧請創建なる・天正年中宝蔵焼失し、宝物録記等由緒悉く鳥有に帰し祥ならざるも、領主平重盛卿の寄進せし扁額字今に存す。
 寛永十癸酉領主九鬼式部少輔隆季殊に尊崇し氏神となし爾後累代の崇敬篤く社領什宝等の寄進あり
明治4年7月太政官達郷社規則に依り郷社に列せらる
大正3年神饌幣帛料供進神社に指定せらる
宝物
平重盛卿寄進扁額 1面
九鬼式部少輔藤原隆季以下藩士連名奉納による石燈籠 1對
九鬼式部少輔藤原隆季謹書の掛軸  1面      右 社務所
追記:この立札は古く文字が消えて読めない所が多く筆写しましたが、さらに片山 杲様が並松町の奈島家宅(現宮司)に出向いていただき、宮司さんに就任されてから元の立札に基づいて創られた書を頂いてきて、不明の文字を暦とパソコンで調べて頂きました。
八幡宮石段について
此の石段は、天保六巳未年八月寄進と刻んだ石柱を留める外、由緒を詳らかにすることは出来ません。過去を推し量ります所、創祀以来の氏子である井倉在中の人々が勧進せられたものと思われ、既に春秋165年を経過し風化が進んでおりますが、古色蒼然趣も床しく椎葉の滴に濡れる青い石段に、先祖の足跡が刻まれていることを創祀するとき、懐古の情を禁じ得ません。
応神天皇はじめ多くの神々が鎮まりまして往古の様を示し給える神域を守護し、此の石段を八幡宮の文化財として保全し後生に伝え遺すこと、偏に神意に応え奉る所以と信じます。
此の里に生まれ育まれる者、謹みて累世の神徳を思い、祖先の恩を忘れることなく祭祀にいそしみ、広く神域と宮の社の守護に万全を期し奉る。平成11年10月 綾部八幡宮

灯籠の並ぶ石段 全部で125段
最も古い石段20段 天保六巳未年
 聖岩由来記
この霊岩は、元岩神さんと親しみ申し、石凝姫命に神宿り給い、祖先のもろもろの願いを懸け祈りを籠めたものであります。
 この度、山麓一帯を整理するに当たり、牧野工業株式会社の好意により、ここに移転し参った次第であります。お社は、先年地元宮代町並びに篤信者の手により境内に遷座申し上げております。
 口碑によれば、八幡宮山麓一帯は湖で、元の岩神さん辺りは船着場であり、四境寂寥として付近の田園には、鳥獣虫蛇が跳梁跋扈し、この被害は後を絶たず、神明の力に頼らなければ誰も安心して農耕に勤しむことが出来なかった。
 村人達は船着場の巨岩四厄退散の願いを立てて、斎戒沐浴し連日連夜祈祷し続けたのであります。満願の日、天暗く、四尾山は鳴動し、鳥獣鳴き騒ぎ、村人また恐怖に震え戦く時、雷鳴一発轟き、一瞬大音響と共に巨岩は裂けて、男岩と女岩の二体となり、石凝姫命が出現され神鎮まり給い、立ちどころに鳥獣虫蛇の害を絶やされ、村人は安心して子孫の計を立てることが出来たと謂われる。
 以来岩神は、蝮除け害虫封じの神として崇められ、広く農耕庶民の信仰するところとなったのであります。
 中世以後、岩神さんの石にて頭を打ち、お砂を噛むと頭癌、歯痛に霊験があると伝承され、また赤ん坊の頭が早く固まり強い歯が生えますように、美しい小石を供え、子供が心身ともに堅固に育つように祈る風習も伝えた。
 岩神のお祭りは子供の祭りとして、旧6月15日の祭日には婦女子の参詣で賑わったとか、また岩神さんは女神であらせられ、何時の頃か縁結びの神と崇敬され、近郷の若衆や娘衆の逢引の場となり、岩の下から湧き出る清水に水鏡を映して、恋の成否を占ったと言われ、この泉は後年枯渇して清水石に取り替えられたが、御縁がありますようにと一文銭5枚を水引で結んで投じたと伝わる。この手洗石は昔の清水石であります。多くの男女が水鏡を映して結ばれたことを偲び微笑ましく思われます。
 男岩女岩に 七五三縄はれば 母の字になる 聖岩   
恒例祭事
月例祭 毎月 1日 初午祭  3月第1日曜 勤労感謝祭 11月23日
歳旦祭 1月 1日 春期例祭  4月 3日 年越大祓式 12月29日
厄神祭 1月18日 夏越大祓式  6月下旬 古札焼納式 同 日
節分祭 2月 3日 秋期大祭 10月中旬
祈年建国祭 2月11日 七五三祭 11月中旬
予告1:初詣(歳旦祭・宵宮)風景を、鐙・片山両会員の取材により素晴らしい文章とカメラワークでお届けします。乞うご期待

予告2:春のお田植え式の模様を、木下和美氏提供の写真と片山 杲様が奈島宮司様から預かられました資料を抜粋してお届けします。乞うご期待

予告3:秋祭り神輿風景(広小路)を片山会員の取材写真よりお届けします。乞うご期待
八幡宮は、綾部郷の惣社、井倉八幡宮という。
当社縁起書には、石清水八幡宮の別宮で治承年中(1117−81)平重盛が勧請したと綾部藩々記にのべている。
2月4日奉射講の弓初、4月3日御田植のまねびの行事があったが、戦時中中断した。
平成6年、寛政8年(1796)の古記録をもとに、お田植を復活し毎年実施している。
御田植祭は、綾部郷内七社の関係者が寄合い、翁の面をつけた八幡宮神職が、暦見田おこし、水当田すき種まき鳥追い苗取田植を進め、苗取、田植は太鼓拍子と音頭にあわせて全奉仕者が行い、最後に傘鉾のねり込みで終了する。
 綾部郷の稲作が、縁起の進行の通り、豊穣である事を神を祭って願う民間行事である。
半左衛門兵衛掛け合い問答と、半左衛門の所作の演技は、古式をよく伝え、一郷の年中行事始めとして後世に長く継承されるものである。 平成11年1月 綾部の文化財を守る会
大鳥居 拝 殿 拝殿額
拝殿 と 狛犬 猿田彦神・大物主神・大山祇神 天照皇大神宮
猿田彦神:御神徳 交通安全、旅行、平安の守護神
大物主神:御神徳 家内安全、夫婦和合、縁結びの神様
大山祇神:御神徳 環境保全、公害防止の守護神
八坂神社:
祭神 素戔嗚命 悪疫退散、病気平癒、家内安全の守護神
岩神神社:
祭神 石凝姫神 頭痛その他の病気平癒の神
天照皇大神宮:
祭神 天照座皇大神 国民崇敬の精神的中心として仰がれた 伊勢神宮(内宮)の御分祠
       八坂神社 ・ 岩神神社 ・ 巴の夫婦樹碑
元文丙辰歳5年8月       燈篭      お百度石              狛犬           燈籠           燈篭
釆女稲荷神社 ・ 豊受姫大神 ・ 御剣大神  家業繁栄 家内安全御守護
綾部市井倉小字明智にあり。郷社にして応神天皇を祭神とし、他に仲哀天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の四柱を加え祭る。現在氏子三百戸、井倉、井倉新町、西新町、天神町、広小路、中町、神宮寺、之に属す。古伝に「此処は小松三位中将重盛卿の領地なり。依って考ふるに冶承中に重盛卿の勧請か」とあり。九鬼領時代、御供田として上田七畝歩の除地あり。陰暦2月4日奉射講と称して弓初の式あり。祭礼旧暦8月10日なりしを明治の世10月15日と改む。
「八幡宮のお田植え式」ホームページ http://www5.nkansai.ne.jp/users/yohko/otauesiki.htm  の行方
お田植え式が始まって以来、上記URLで毎年の行事の様子が見られましたが、今年から繋がらなくなっています。
木下和美様にうかがうと、大島町の四方正人様が載せておられたそうです。
取材レポーター感想記  鐙 美佐子 会員
 綾部八幡宮は、初詣お田植え式お宮参り七五三祝い秋の大祭では、黄金に輝く御輿が出て、境内が賑わうと聞いています。
 昔は戦勝の神として崇められ、氏子の男性が出征する直前に「武運長久」を祈願に詣でた、信仰の篤い神社であったと記憶しています。
 当時は静寂な森の中に、荘厳と鎮座した神社も、昭和24年明知に綾部中学校が建設され、周辺は住宅地に開発されて道路の拡張と完備、自然災害も相次ぎ環境の悪化で、風格のある年輪が刻まれた大木が枯れて少なくなりました。
 蒼然とした森の中に建っていた神社の面影は次第に薄れていくようです。
 しかし先人から伝承された文化財として価値の高い、神殿石燈籠石段等の由来は、氏子達の尽力で、立て札や駒札に詳細に記載され保存されています。
 12月上旬、風化が進み石に刻まれた字も読み難くなった石造物を危惧し、建立した先祖の思いに馳せつつ後世まで守護されることを祈念しながら、片山道子様と二人三脚で境内を巡回し調査を致しました。