京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて 春の研修会  6月4日(金) 綾部の文化財を守る会
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○銀閣寺
 :室町幕府八代将軍足利義政が文明14(1382)年に建立。義政公は、祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿・金閣(鹿苑寺)にならい、隠棲生活を過すため、山荘東山殿を造営。この東山殿が銀閣寺の発祥である。銀閣寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺。義政公の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。 東山殿は、義政公を中心に形成された東山文化の発祥地であり、日本人の近世生活文化の発端をなしている。今もなお、銀閣寺には東山文化と禅文化の結合を見ることができる。造営には山城の荘園領主に造営の費用や人夫を求め、守護大名には出銭を課し、遣明船の収益も使った。庭園については義政自ら西芳寺(苔寺)に足を運び参考にする熱の入れようであったが延徳2年(1490)に完成を待たず没した。この時代の文化を東山殿にちなんで東山文化という
銀閣寺参道 修学旅行で賑わう ポランティアガイドさんの説明 同1号車
銀沙灘 ・ 向月台 ・ 銀閣 観音殿(銀閣前で1号車) 銀閣前(2号車)
東山慈照寺(銀閣寺) 向月台(史跡)・銀閣(国宝) 東求堂(国宝) 洗月泉
本堂 ・ 東求堂 見事な苔 苔の回廊 展望所より
○相国寺:
  当寺は足利三代将軍義満が、後小松天皇の勅命を受け、約十年の歳月を費やして明徳3年(1392)に完成した一大禅苑で、夢窓国師を勧請開山とし、五山の上位に(第二位)列せられる夢窓派の中心禅林であった。応永6年(1399)義満は父二代将軍義詮の三十三回忌追善供養の為、七重大塔(高さ360尺・106メートル)をも建立した。その後、応仁の乱の兵火により諸堂宇は灰燼に帰したが度重なる災禍にもかかわらず当山は禅宗行政の中心として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏の外護を受けて、慶長十年(1605)豊臣秀頼が現在の法堂を建立し、慶長十四年には徳川家康も三門を寄進した。また後水尾天皇は皇子穏仁親王追善の為、旧殿を下賜して開山塔とした。

 他の堂塔も再建したが天明8年(1788)の大火で法堂・浴室・塔頭九院のほかは焼失。文化四年(1807)に至って桃園天皇皇后恭礼門院旧殿の下賜を受けて開山塔として建立され、方丈・庫裡も完備されて漸く壮大な旧観を復するに至った。現在は金閣・銀閣両寺をはじめ九十余ヶ寺を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の本山である。
相国寺法堂(無畏堂)重文 庫裡(香積院)前(1号車) 巨大な切妻妻入(2号車)
承天閣美術館前で 法堂(無畏堂:重文) 禅僧の講話 龍渕水の庭
水墨画(ふすま絵)伝円山応挙筆 浴室(宣明) 跋陀婆羅菩薩
○西陣織会館
西陣織会館での昼食 高校生の機織り体験 着物のファッションショ−
○清明神社:
  2005年は安部晴明没後千年にあたり、近年頓に参拝者が増えています。陰陽師、安部晴明は平安中期延喜21年(921)に生まれ律令制下の陰陽寮に属して天文学博士になり、更に従四位・左京太夫にまでなった中級の役人でした。八十五歳まで長生きし、晩年には第一の陰陽師と言われ、その子孫・阿部有世は足利義満につかえ従三位の地位までに昇り、幕府や朝廷の依頼により呪術祭祀を行った。その頃から阿部氏は土御門家を名乗り、全国の陰陽師を支配した。そして明治維新の政治の転換は神道を中心とし、太陽暦を採用し、免許停止により宗家の解体により土御門家を頂点とした陰陽道の体制は解体した。
清明神社 由来絵巻
○等持院:
  暦応4年(1341)のこと、足利尊氏将軍が、天竜寺の夢窓国師に依頼され、衣笠山の南麓に創建されたのがこの「等持院」である。義満・義政両将軍のような金閣・銀閣で有名な人達が、全力を尽くして立派にされた禅宗十刹の筆頭寺院であり、更に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地の近くにあった等持院もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となったものである。応仁の乱などの戦乱に見舞われたが、豊臣秀吉も秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじたのである。その後も移り変わりはあるが、等持院は足利十五代、二百三十余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。
芙蓉池と清漣亭(江戸時代) 足利氏廟所等持院門前(1号車) 庫裡を背景に(2号車)
等持院山門 鐘楼前を行く 霊光殿へ 足利氏廟所霊光殿
尊氏崇拝の地蔵尊弘法大師作 尊氏公木像 義満公木像 方丈庭園を観賞
尊氏の宝篋印塔 茶室清漣亭に上がる 足利家15代供養塔 夢窓国師作心字池(室町時代)
○金閣寺
  室町幕府三代将軍義満には三大事業がある。その一つが相国寺の創建、他の二つは室町の新邸(花の御所)とこの金閣寺である。お釈迦様のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。又、1994年には世界文化遺産に登録されました。この地は鎌倉時代に西園寺公経の北山別荘北山第が在りましたが、義満が大変気に入り、応永四年(1397)に西園寺家より譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に表したと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、明国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した所で、この時代の文化を特に北山文化と言います。義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名ずけられた。
鹿苑寺(金閣寺)世界文化遺産 金閣寺庭園奥(1号車) 金閣寺をバックに(2号車)
総門 陸舟の松  方丈 金閣 龍門滝・鯉魚石
安民沢・白蛇の塚 夕佳亭(茶室) 南天の床柱 不動堂