京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて
綾部の文化財を守る会TOPIX 足利尊氏へ

綾部市文化協会後援」 第三十六回春の研修旅行    事務局 四方續夫


見学箇所についての紹介

 今回の研修旅行は、春の相国寺(しょうこくじ)特別展を見る「京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて」と称し、五山文化の真髄・相国寺の普段見れない処をも見学し、銀閣寺、足利尊氏の墓と十三代将軍の木造と夢想疎石作庭のある等持院、金閣寺の四ヶ寺を拝観見学致します。

 綾部安国寺の足利尊氏の宝篋印塔は二代将軍義詮がこの等持院より分骨したとも云われています。

この時代の禅宗の背景と足利尊氏

 源頼朝が建久三年(一一九二)に鎌倉幕府を開きました。当時、天皇・上皇・公家達朝廷は奈良・南都仏教、北嶺(比叡山天台・真言宗)との結びつきが堅く、鎌倉幕府としては政治上強力なバックとなる宗教を必要としていました。建久一年(一一九一)栄西が宋より帰国し、禅宗(臨済宗)を開きました。又、当時武家側の北条時頼、時宗は鎌倉に有名な禅僧を宋から迎えました。武家側から禅僧に手を差しのべ、さらに宋の有名な禅僧が元帝国からのがれ日本に拒否されないように宋銭を持ってやって来ました。それは当時貨幣経済に向かいつつあり宋銭を輸入している日本にとっては歓迎する所でありました。

 夢窓疎石は、日本人で初めての禅僧指導者で、蘭渓道隆(建長寺住職・宋人)、

や無学祖元(円覚寺住職・宋人)の亡きあと、禅教団を味方につける唯一の重要人物であった。足利尊氏は幕府の宿老二階堂氏の紹介で、この夢想疎石禅師と会い宗教上、政治上にも意気投合したのであります。

 建武五年(一三三八)足利尊氏は北朝より征夷大将軍に任ぜられた。後醍醐天皇等いわゆる「元弘の乱」から後の死者の霊を弔うため夢想疎石の提案で発願し、全国六十六ヶ国二島に一寺一塔の設置をすすめた。光源上皇の院宣をあおぎ寺は安国寺、塔は利生塔と称した。比叡山の

大反対に遭いながらも「全国安国寺」の筆頭として「天竜寺」も造営された。

 費用は一般に迷惑掛けないよういわゆる「天竜寺船」を認め朱印状を出し、元・明との交易により費用の一部を捻出しました。

 

臨済宗七禅刹と主な由緒寺院・塔頭
建仁寺 (建仁寺派大本山・開山・栄西)
東福寺 (東福寺派大本山・開山・弁円) 綾部安国寺はその有力な塔頭
南禅寺 (南禅寺派大本山・無関普門)
大徳寺 (大徳寺派大本山・宗峰妙超)
妙心寺 (妙心寺派大本山・関山慧玄)
天竜寺

(天竜寺派大本山・夢窓疎石)

*等持院 (開山・夢窓疎石)
相国寺 (相国寺派大本山・夢窓疎石) 山外塔頭
*慈照寺 (銀閣寺)(開山・夢窓疎石)
*鹿苑寺 (金閣寺)(開山・夢窓疎石)
その他
 万福寺 (黄檗宗大本山・開山・隠元)

五山について

 五山は五つの寺、十刹は十ヶ寺の数をさすのが、もとの制度である。

 三代将軍足利義満が開基となる「相国寺」を明徳三年(一三九二)に等持院の旧法堂を移築したりして、義満三代事業の一つとして創建した。幕府は早速五山の位次を改訂した。至徳三年(一三八六)

の五山は、上手く京都と鎌倉と分けた。

 (京都)

(鎌倉)
五山之上 南禅寺
五山第一 天竜寺 建長寺
  第二 相国寺 円覚寺
    第三 建仁寺 寿福寺
    第四 東福寺 浄智寺
    第五 万寿寺 浄妙寺

      

(万寿寺は一般公開していないが東福寺前の九条通の反対側にあります。)

 銀閣寺駐車場」へ到着です。京都学生ガイドクラブ(歴史専攻)の出迎えを受けます。

 ここから徒歩で約七分、総門から中門にいたる参道の左右に設けられた長さ約五十メートルの生垣。これぞ有名な「銀閣寺垣」で石垣・竹垣・椿の生け垣の調和は素晴らしく美しい。の中門の前にきれいなトイレが在りますので全員済ませて見学をしましょう。

慈照寺(銀閣寺・大本山相国寺派  山外塔頭(たっちう)

 室町幕府八代将軍足利義政が文明十四(一四八二)年に建立。義政公は、祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿・金閣(鹿苑寺)にならい、隠棲生活を過すため、山荘東山(ひがしやま)殿(でん)を造営。この東山殿

が銀閣寺の発祥である。銀閣寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺。義政公の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。

 東山殿は、義政公を中心に形成された東山文化の発祥地であり、日本人の近世生活文化の発端をなしている。今もなお、銀閣寺には東山文化と禅文化の結合を見ることができる。造営には山城の荘園領主に造営の費用や人夫を求め、守護大名には出銭を課し、遣明船の収益も使った。 

 庭園については義政自ら西芳寺(苔寺)に足を運び参考にする熱の入れようであったが延徳二年(一四九0)に完成を待たず没した。この時代の文化を東山殿にちなんで東山文化という。

観音殿(銀閣)国宝

 鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃(るり)殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。二層からなり、一層の心空殿は書院風。二層の潮音閣は板壁に花頭(かとう)窓(まど)をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様(禅宗)仏殿の様式。閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。






 

銀沙(ぎんしゃ)灘(だん)と向月台(国特別史跡・名勝)

 近世初期に修復され、波紋を表現した銀沙灘と白砂の富士山型の向月台とのコントラストは絶妙。銀閣と向月台をバックに号車毎に記念写真を撮りますのでご協力願います。

本堂(方丈)襖絵・庫裡・書院・茶室・弄(ろう)清亭(せいてい)(香席)襖絵

 一般には公開されていないが、本堂の襖絵は池大雅(一七二三〜七七六)の「琴棋書画図」と与謝蕪村(一七一六〜七八三)の「棕欄に叭叭(はは)鳥(ちょう)図」が有名である。

 書院の襖絵は富岡鉄斎(一八三六〜九二四)の「大江捕魚図」、弄清亭では奥田元宗(一九一二〜)の襖絵「流水無限」が有名である。
東求堂(とうぐどう)(国宝)

 義政公の持仏堂。一層の入母屋造り、檜皮葺の現存する最古の書院造り。

 南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半の二室がある。

 北面東側の四畳半は、同仁(どうじん)斎(さい)とよばれ

東山文化を生み出す舞台となる書斎、また草庵茶室の源流、四畳半の間取りの始まりといわれている。

 ここから「東求堂」を左手に名水「お茶の井」へ歩いていきます。更に月待山の麓の苑路を上っていきます。

この展望所からの「銀閣寺と庭園」の眺めは正に絶景です。

銀閣寺駐車場の出発は十時三十分時間厳守でお願いします

「春の特別展を見る」相国寺(萬年山相国承天禅寺)相国寺派大本山

沿革

 当寺は足利三代将軍義満が、後小松天皇の勅命を受け、約十年の歳月を費やして明徳三年(一三九二)に完成した一大禅苑で、夢窓国師を勧請開山とし、五山の上位に(第二位)列せられる夢窓派の中心禅林であった。応永六年(一三九九)義満は父二代将軍義詮の三十三回忌追善供養の為、七重大塔(高さ三六0尺・一0六メートル)をも建立した。その後、応仁の乱の兵火により諸堂宇は灰燼に帰したが度重なる災禍にもかかわらず当山は禅宗行政の中心として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏の外護を受けて、慶長十年(一六0五)豊臣秀頼が現在の法堂を建立し、慶長十四年には徳川家康も三門を寄進した。

 また後()水尾(みずのお)天皇は皇子穏(やす)仁(ひと)親王追善の為、旧殿を下賜して開山塔とした。

 他の堂塔も再建したが天明八年(一七八八)の大火で法堂・浴室・塔頭九院のほかは焼失。文化四年(一八0七)に至って桃園天皇皇后恭礼門院旧殿の下賜を受けて開山塔として建立され、方丈・庫裡も完備されて漸く壮大な旧観を復するに至った。現在は金閣・銀閣両寺をはじめ九十余ヶ寺を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の本山である。

貸切バスは{「総門」寛政九年(一七九七)の再建}を潜り抜けて境内へ入ります。

 総門と並んだ横には、特別な時に開けられる「勅使門」があります。その勅使門の後方北側には「天文石橋の乱」の石橋「天界橋」がかかっています。

 宗(そう)旦(たん)稲荷(いなり)(白狐が千宗旦にばけて、茶を点じたという伝説があり、開運の社)前で下車して頂きます。

宗旦稲荷に向かって右側には「専門道場・座禅堂」があり、当寺の塔頭の一つ大通院があてられ、座禅堂は「選仏場」といわれ、日夜修行僧が座禅修行にはげんでいる。

開山塔(円明塔)

 文化四年(一八0七)の建造物。実に、最初の建物からかずえて、六度目の建物である。中央に夢窓疎石、左側に無学祖元の木造や足利義満僧形像などを安置している。戸襖・杉戸の絵は、伝円山応挙筆である。前庭は「龍渕水の庭」と呼ばれ、かって水が流れていた。

方丈

文化四年(一八0七)に再建され、堀に囲まれた大建築物で、裡表に続いている。

 間口二五メートル、奥行十六メートル方丈としては大規模なもので原在中筆などの襖絵がある。方丈裏庭園も枯山水で見事なものである。

庫裡

 庫裡は香積院と称し、切妻妻入で、大きい破風や壁画が特に印象的である。

この庫裡をバックに号車毎に記念写真を撮ります。ご協力お願いします。 

法堂(重要文化財)

無畏堂(むいどう)」といい、間口二十八メートル、奥行き二十二メートルの法堂は現在仏殿とを兼ねている。明徳二年初建落成したが、度重なる火災や兵火によって四度災厄を蒙った。現在のものは豊臣秀頼によって再建された五回目のもので、我が国に現存する法堂の中では最古ものである。内部は祖師堂、土地堂、日牌、月牌、などの壇が造られ、土地堂には建物を守護する大権修理菩薩が安置されている。

 本尊釈迦如来及び脇侍は運慶の作です。天井には狩野光信(永徳嫡子)によって描かれた「蟠(ばん)龍図(りゅうず)」が見事で、「鳴き龍」として有名である。特別拝観で聞かせてもらえる。

相国寺浴室「宣明」(特別公開)

 温泉に恵まれた日本では、古くから湯に入る習慣があったといわれ、聖徳太子の時代にその伝説が残っています。

 相国寺の浴室は宣明と呼ばれ、一四00年頃創建されたといわれるが、現在のものは、慶長初年(一五九六)に再建されたものである。この宣明を称せられるのは、皇室及び将軍家に限られ、禅宗では「威儀即仏法」といい、日常の立ち居振る舞い全てが修行の場であり、浴室は寺院の伝統的な伽藍配置の建物の一つと言うだけでなく、修行の上で「心」と「体」の垢を落とすという意味で、重要な役割を果たしている。禅宗寺院の浴室は、「清(しん)規()」に定められた入浴作法からみると、蒸し風呂に入り取り湯、掛け湯式の入浴であったと考えられている。

塔頭瑞(すい)春院(しゅんいん)(外観のみ)

 水琴窟や茶室「久昌庵」や水上文学で有名で通称「雁の寺」とも呼ばれている。

 その他、大書院・小書院・大宝塔・鐘楼や塔頭が多数あるが割愛します。

承天閣(じょうてんかく)美術館

 収蔵庫には、本山相国寺の重宝及び鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・塔頭寺院等、末寺全般から、国宝四点、重要文化財百十一点、」重要美術品四十数点その他未指定のものを含め収蔵展示している。特に有名な物は「無学祖元墨蹟」国宝、木造の「開基足利尊氏肖像」、「二世春屋妙葩(しゅんおくみょうは)頂相(ちんそう)」、「達磨図・牧松筆」、「竹林猿猴図屏風・長谷川等伯筆」などです。又、茶室「夢中庵」の床の間は、応永五年建立の国宝金閣の古材を使用しています。

 バスの出発は十二時です。(時間厳守でお願いします。)

昼食は京都「西陣織会館」上京区堀川通今出川皆見入る 電話(075・451・9231)

十二時十分〜出発午後一時二十五分です時間厳守でお願いします。

 昼食後、会館二階では西陣織の産地勅売店がり京都のお土産はここをお薦めします。又、午後一時から着物ショーが無料で見学できます。ショーが終わり次第出発です。

 又、会館正面堀川通を右手へ約2分で晴明神社」へ行けます。二00五年は安部晴明没後千年にあたり、近年頓に参拝者が増えています。陰陽師、安部晴明は平安中期延喜二十一年(九二一)に生まれ律令制下の陰陽寮に属して天文学博士になり、更に従四位・左京太夫にまでなった中級の役人でした。八十五歳まで長生きし、晩年には第一の陰陽師と言われ、その子孫・阿部有世は足利義満につかえ従三位の地位までに昇り、幕府や朝廷の依頼により呪術祭祀を行った。その頃から阿部氏は土御門家を名乗り、全国の陰陽師を支配した。そして明治維新の政治の転換は神道を中心とし、太陽暦を採用し、免許停止により宗家の解体により土御門家を頂点とした陰陽道の体制は解体した。出発午後一時二十五分時間厳守でお願いします。

 北区にある「等寺院」の駐車場にはバスは入りませんので「馬代通」から下車し十分歩いて頂きます。

 等寺院をバックに号車毎に記念写真を撮りますので、ご協力願います。


等持院(天竜寺由緒寺院

由来 

 暦応(りゃくおう)四年(一三四一)のこと、足利尊氏将軍が、天竜寺の夢窓国師に依頼され、衣笠山の南麓に創建されたのがこの「等持院」である。義満・義政両将軍のような金閣・銀閣で有名な人達が、全力を尽くして立派にされた禅宗十刹の筆頭寺院であり、更に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地の近くにあった等持院もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となったものである。応仁の乱などの戦乱に見舞われたが、豊臣秀吉も秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじたのである。

 その後も移り変わりはあるが、等持院は足利十五代、二百三十余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。

(入り口でビニール袋を受け取り靴を入れて下さい。庭の見学に必要です。)

等持院門前
霊光殿

 尊氏公が日頃念仏持仏として信仰された地蔵尊(伝弘法大師作)を本尊として、達磨大師と夢窓国師を左右に、足利歴代の将軍像(義量(かず)と義栄(ひで)の像を欠く)が徳川家康と共に両側に安置されている。家康の像は四十二歳の厄除けの霊験を受けたもので、はじめ岩清水八幡宮豊蔵坊にあったが、後に等持院に移され、本尊と共に利運を願う人たちに信仰されている。

方丈庭園

 この庭園は夢窓国師作として伝えられる三大名園の一つで、方丈の北庭は東の苑池・心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池庭)で幽邃(ゆうすい)であり、中ノ島には観音閣があったが、現在は礎石でその面影をしのぶことが出来る。半夏生(三白草)が咲く夏至の頃がこの庭の気分をよくあらわしている。一方書院から眺める西の庭は古い木立で区切られ、芙蓉の花を形どった庭園に花木をあしらい草木を配し、更に背景に衣笠山を借景にして、石組も変化に富んでいるのは、尊氏公百年忌の長禄元年(一四五七)に復興した際、清(せい)漣亭(れんてい)がくわえられたことから義政好みと呼ばれるようになった。

 書院に座して茶の香りを愛でながら眺めるこの庭を引き立てるのは、寒の頃から咲き始める有楽(うらく)椿(侘(わび)助(すけ)椿)、ついで春先に咲く馬酔木(あせび)、初夏のさつき、七月頃からのくちなしの花、初秋の芙蓉の花が清漣亭の前庭として華やかさを表している。

 夢窓疎石作庭と言われるのは、山梨県

塩山市(えんざんし)の恵()林寺(りんじ)(臨済宗妙心寺派)、この@等持院、A西芳寺(苔寺)、B天竜寺(国特別名勝)、臨川寺(天竜寺別院、夢窓国師入寂の寺)などがある。  

清漣亭

 方丈の北背、書院の東にあたる美しい林泉の西北の小高いところに茶室清漣亭がひっそりと姿を見せ、控え目なわびしいたたずまいを、衣笠山を背景にのぞかせ、村田珠光や相阿弥らと茶道を興した義政好みに基ずく清漣亭は、上段一畳を貴人床(どこ)とする二畳台目(だいめ)の席で、この上段一畳に坐して眺める芙蓉池苑は又格別の由。

尊氏公ノ墓

 方丈北の庭の中央に尊氏公の墓と伝えられ宝筐印塔がある。塔の台座は四面に立派な格(こう)狭間(ざま)があり、宝瓶には蓮花を押した紋様があって、室町時代の形を示している。台座四面の正面には延文三年(一三五八尊氏死去の年)四月の文字が見られる。綾部安国寺の高氏公の墓はここから分骨されたと言われています。

 午後二時半にはバスを下車されたところへ、一緒にむかいます。

金閣寺の第一・第二駐車場に入ります。

最終出発時間は午後四時丁度です。金閣寺から徒歩十五分くらいかかりますので注意して時間厳守でお願いします。

(お手洗いも駐車場内にありますので済ませておいてください。)

鹿苑寺(金閣寺・大本山相国寺派

 山外塔頭・世界文化遺産登録)

 室町幕府三代将軍義満には三大事業がある。その一つが相国寺の創建、他の二つは室町の新邸(花の御所)とこの金閣寺である。お釈迦様のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。又、一九九四年には世界文化遺産に登録されました。この地は鎌倉時代に西園寺(さいおんじ)公(きん)経(つね)の北山別荘北山第が在りましたが、義満が大変気に入り、応永四年(一三九七)に西園寺家より譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に表したと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、明国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した所で、この時代の文化を特に北山文化と言います。義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名ずけられた。

金閣

 二層と三層は、漆のうえから純金の箔が張ってあり、屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた杮(こけら)葺(ふき)きで、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。一層は寝殿造で法水院、二層は武家造で潮音洞とよばれている。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟(くつきょう)頂(ちょう)とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。昭和六十一年(一九八六年)に二年がかりで金箔の張替えが行われた。使われた金箔は二十五万枚、およそ二0キログラムで、漆はおよそ一・四五トン。話題を呼んだのは金箔の厚さが前のものより五倍も厚くすぐ剥離しないかという技術上のこともあった。

庭園(国の特別史跡・名勝)

 金閣の前にある鏡(きょう)湖()池()を中心とし、葦原(あわら)島(じま)などの大小の島々や、当時の諸大名がきそって石を献納してその名が付けられた畠山石や赤松石・細川石などの名石が配されています。西の衣笠山を借景としたこの庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園です。

 庭園の左手奥で鏡湖池と金閣をバックに号車毎に記念写真を撮りますので、ご協力願います。

陸舟の松

 方丈の北側に位置している書院の庭に「京都三松」の一つで船の形をし、義満が手ずから植えたと伝えられる。この五葉松は義満の盆栽から移植され帆掛け船の形にしたてられたものとされており、樹齢六00年と言われている。

義満の泉

 金閣の裏側には、義満がお茶の水に使ったといわれている「銀河(ぎんが)泉(せん)」、手を清めたとされている「巌(がん)下水(かすい)」がある。又、その東側に「龍門滝」があり、鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」に因んだ「鯉魚(りぎょ)石(せき)」が置かれている。

安民沢(あんみんたく)(池)

 義満渕の泉の北側にある昔からあるこの池の名前で、池の中央部にある島には西園寺家の守り神といわれる「白蛇の塚」が建っている。

夕佳亭(せつかてい)(茶室)

 安民沢の東側の小高い場所にあり、金森宗和(一五八四〜六五六)が造営したと伝えられる茶室である。この名前は「夕日に映える金閣が佳い」ということに由来している。茅ぶきの屋根の田舎家風で、正面の「南天の床柱」、その横にある「萩の違い棚」が有名。茶席の前の石灯籠と富士形の手水鉢は義政が愛用したと言われている。

不動堂

 岩窟の中に弘法大師の作と伝えられる本尊・石不動明王があり霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されている。

 節分と八月十六日のみ開扉法要がいとなまれる。

第三十六回春の研修旅行参加のご案内

 今回の研修旅行は、春の相国寺特別展をみる「京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて」と題し、次の計画で実施します。ご夫婦で、ご家族で、知人・友人をお誘いの上、ご参加頂きますようご案内申し上げます。

 又、足利尊氏については、多々本をお読みだろうと存知ますが、綾部市図書館の小説・著者・土岐信吉の「夢窓疎石」を研修旅行前、又は旅行後借りて読まれるとより楽しむことが出来ます。

一、期日 平成十六年六月四日(金)

二、集合場所・時間 JR綾部駅北口

    午前六時四十五分(時間厳守)お車でお越しの方は北口西側に市営の有料駐車場へ駐車をお願いします。)

 出発朝七時、帰着は午後六時半頃を予定しております。

三、見学箇所

 1.慈照寺(銀閣寺・大本山相国寺派山外塔頭)

 2.「春の特別展を見る」相国寺(しょうこくじ)(萬年山相国承天禅寺・相国寺派大本山)

 3.等持院(天竜寺由緒寺院)

 4.鹿苑寺(金閣寺・大本山相国寺派山外塔頭・世界遺産登録)

 5.(昼食後、希望者は「晴明神社」を自分で見学に行って来れます。)

四、参加費用 お一人九千円(昼食代、別紙掲載の各寺院の拝観料、手造り記念写真2枚込み。)

五、募集人員 九十名(京都交通貸切バス2台予定)

(但し、申し込み超過の場合はお断りしなければなりませんので、お早めに申し込み下さい。)

六、申込方法 五月十四日(金)までに 

  参加者全員の氏名・住所・電話番号  

  を明記し、葉書にて申し込み下さい。

  (尚、電話での申し込みはお断りし  

   ます。)

七、申込先

  〒六二三ー000四

  綾部市多田町後路二八番地

  四方續夫(つぐお) 宛

八、受付と出発案内等は、申し込み受付 後、葉書にてお知らせ致します。

(注)研修旅行ご参加にはこの「綾部の文化財」第五十八号を持参して頂くよう

お願い申し上げます。

西陣織会館での着物のファションショー

行程表

綾部駅北口==山家バス停==京都縦貫・丹南PA(休憩)==左京区,銀閣寺(拝観)

午前7:00発(時間厳守) 8:00〜8:15      09:30〜10:30

==上京区,相国寺・春の特別展(拝観)==西陣織会館(昼食)着物フアションショー

  10:50  〜  12:10    12:20   〜   13:25

==北区、等持院(拝観)======北区、金閣寺(拝観と買物)==京都縦貫道=

 13:45〜14:45      14:55 〜 16:00出発[時間厳守]

===丹波町・やまがたや(休憩)====山家バス停=====綾部駅北口

   17:30 〜 17:50           18:30頃到着予定